※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年12月07日

教師の姿勢 「いじめの定義 内舘牧子 週刊朝日12/17号」から考える

いじめの定義 内舘牧子のエッセイ 暖簾にひじ鉄より 週刊朝日12/17号

 群馬桐生市 小学校六年生女児自殺事件について

 この事件はあまりいろいろ読んでなかったのですが。

 エッセイの中で

「女児は級友からのいじめに苦しんでいたといい、学校はそれを認めた。報道によると、女児は『臭い』『汚い』『あっち行け』などと暴言を受けていたと、父親が証言している。父親は、幾度も学校に訴え、救いを求めた。」

とあります。

「女児へのいじめはエスカレートしていく。
 ひとつは、女児の母親が学校に来た際、級友たちが言った言葉だ。
『お前の母親はゴリラ顔だ。だからお前もゴリラだ』
 これはテレビの報道番組で父親が証言している。女児の両親は国際結婚で、母親はフィリピン人だった。
 そしてもうひとつは、給食を『好きな人どうし』で食べるようになり、女児はどのグループからも仲間外れにされたこと。いつもみんなから離れた場所で、一人で給食を食べていた。これは彼女の死後、同級生が各グループの位置関係を絵に描き、女児がポツンといる状態を明かしている。」

 他のニューソースを拾ってみます。

クラスで孤立 小6自殺 学校側「いじめと認識せず」 群馬

「女児は運動会後の9月中旬から、1人で給食を食べることが多くなり、学校を休むことが目立つようになった。21日の校外学習の際には出席したが、同級生から「こんなときだけ来るのか」と言われたという。」

母にプレゼントする予定の手編みマフラーで首つり 群馬の小6女児

「明子さんは2年前、愛知県から転校。上村さんによると、いじめは5年のときに始まったといい、6年では「近寄るな」などと言われることもあり、今月は学校を休みがちだった。21日の校外学習には参加したが「何で来るのか」と言われショックを受けた様子だったという。」

群馬・小6自殺:学校側「いじめあった」 市教委に報告

「明子さんは10月23日に自宅で自殺し、岸洋一校長は同25日の会見で「いじめの認識はなかった」と説明していた。その後、全児童へのアンケートや聞き取り調査で、明子さんが(1)複数の児童から心ない言葉を投げかけられていた(2)給食を1人で食べるなど孤立していた−−ことを確認し、いじめで「精神的苦痛を感じていた」と判断した。ただ、自殺の直接的原因は「(明子さんの)学校生活の様子や教職員、児童からの聞き取りでは特定できない」とした。」

「また、明子さんが給食時の孤立を泣きながら訴えたのは担任以外の教諭だった。明子さんのクラスは担任に従わない学級崩壊状態に陥り、「1学期後半から児童の落ち着きがなくなり、担任および他の教職員が指導を行ったが改善できず、ルールが守れない状態がみられた」という。」


 なるほど、学級崩壊の状態だったのか。それに対しては学校はどんな手を打ってたのかな。

 こりゃ何を言ってもせんないことかもしれません。

 内舘さんの提案は二つ。

 一つ目。

「担任はなぜ女児の味方につけなかったのか。もしも、『フィリピンってすごい国なんだよ。スペインやアメリカの植民地になっても自分たちの誇りは捨てなかった。強大なアメリカには勇敢に立ち向かったんだよ。そうだ、せっかくフィリピン人のお母さんを持つお友達がいるんだから、来週の社会科では各グループがひとつずつフィリピンのことを調べて発表しよう。Aグループは歴史、Bグループは食べ物、Cグループは気候だ』
 といい、女児に向かい
『あなたはお母さんにフィリピンのいいところと、日本のいいところを取材して、発表して』
 と言ったなら、少なくとも女児は救われた。先生は私の味方であり、大好きなママを認めてくれていると思ったはずだ。」

 二つ目。

「そして、『好きな人どうし』の給食は、女児が仲間はずれにされているとわかった時点で、即座にやめるべきだった。『仲間に入れてと自分で頼みなさい』というのは、獅子が我が子を崖下に突き落として鍛える愛情とは重ならない。」

 どちらももっとな意見と思います。まあそれ以前の問題として学級崩壊してしまっていた、ということですから、担任さんも子どもと向き合えなくなっている、子どもたちも聞く耳を持たない状態になっていたのかもしれませんが。

 一つ目で言うと、大昔の大昔に通常学級の担任だった頃、ある女の子を複数の別の子が「タレ目!タレ目!」とはやしたてたことがありました。私はすぐさま

「『卒業』という映画があってな。主演女優がキャサリン・ロスってタレ目でめっちゃ美人。タレ目ってのは馬鹿にするような言葉やない」

とかなんとか言いました。小学生に「卒業」もないもんだ、と思いますが、まあその頃私がファンだったもので。子どもたちは真剣に聞いていたと思います。まあ、心の中ではどう思っていたかはわかりませんが。でも、それで「タレ目」というはやし言葉は無くなりました。

 二つ目で言うと、毎月1回の席替えの時、「好きな人と隣に」なんて許したことはありません。さりげなく、あれこれ配慮して決めました。まあ、校外学習(遠足)の時なんかは勝手に好きな者同士でグループを作って食べていましたが、特段問題が無かったのは幸運?

 子どもたちって、すっごく優しい気持ちと、残酷な気持ちが同居しているような気がします。それでいいんですが、その残酷な気持ちの方が外に現れずにすむようにしてあげ、優しい気持ちが出やすいようにしてあげるのが大事じゃないかな。

 教師の姿勢でクラスの子どもたちはずいぶん違ってくると思います。




 ところでこの報道に関連して

群馬小6自殺 文科省の依頼にも学校は調査せず

県内小中学生に「いじめ調査」 自殺問題受け県教委

都道府県別いじめ解決率公表へ=積極的取り組み促進―文科省

 文科省も自治体も調査、調査と言いますが・・・

 そんなアンケートや報告を書いている場合かな。小さな問題はいつでも起きていて、起きた問題をいかに小さな芽のうちに解決するかが大事なことで。いくら調査に力を入れ、その解決率を公表したところで意味はないと思えるのですが。

 で、解決していればアンケートや報告には上がってきませんしね。

 何か力を入れるところが違っているような気がする。


posted by kingstone at 19:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
1 ■学校という枠が崩れている中で...
教員だけを頼るのは無理でしょう。フィンランドがうまくいっているのは、単に昔の日本と同じで「先生の言うことには従いなさい」と親も地域も共同体としての意識があるからだという話があります。</p>
Posted by もずらいと at 2010年12月08日 19:28
2 ■Re:学校という枠が崩れている中で...
>もずらいとさん<br /><br />やっぱり枠が崩れてるんですかねえ。<br /><br />|親も地域も共同体としての意識があるから<br /><br />大事なことかもしれません。<br />しかし「この先生の言うこと聞いたらいかんわ」という教師も見てきたので、なんとも・・・<br /></p>
http://ameblo.jp/kingstone/
Posted by kingstone at 2010年12月08日 20:03
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