はみだしインディアンのホントにホントの物語 (SUPER!YA)/シャーマン・アレクシー

¥1,575
Amazon.co.jp
すてきな本です。
しかしアメリカの小説って、時々ものすごく比喩がたくさんでてくるのがありますね。これもそう。ちょっと「ギターをとって弦をはれ」(ウディ・ガスリー自伝)を思い出しました。
主人公はジュニアとかアーノルドとか呼ばれるスポーケン族インディアン。ウェルピニットという保留地に住んでいる。時には食事も取れないほど貧しい暮らし。
14歳の時。飼い犬のオスカーについて
「『けどオスカーはひどい病気だよ。母さん。お医者さんに見せないと死んじゃうよ』
母さんはオレをじっと見た。母さんの目はもう暗くなっていなかった。ということは、本当のことを言うってことだ。ときには、本当のことは、いちばん聞きたくないことでもある。
『ジュニア、かわいそうだけど、うちにはオスカーに使うお金がないのよ』母さんは言った。
『オレがあとで返すから。ねえ、約束するよ』オレは言った。
『だけど、何百ドルもかかるよ。何千ドルかもしれない』
『オレがお医者さんに返すよ。オレ、働くから』
母さんは悲しげな笑顔をうかべると、オレをぎゅっと抱きしめた」
「父さんがライフルと弾を戸棚から持ち出した。
『ジュニア、オスカーを外に連れ出しな』父さんが言った。
『いやだ!』オレは叫んだ。
『苦しんでるだろ。楽にしてやらないと』父さんは言った。
『そんなのだめ!』オレはどなった。」
「オレは、音速より速く走りたかったけど、どんなに苦痛を感じてるやつでも、そんなに速くは走れない。だから、父さんがオレの最良の友達を撃ったとき、ライフルの轟音が聞こえてしまった。
弾丸は2セントだったから、どんな貧乏人でも買えたのだ。」
食べるものにも事欠く家でも銃がある。そのことに驚きます。後ろにも、銃でおじさんが殺されるのが出てきます。
彼は勉強したくてしたくてたまらない。ある時、数学の時間に教科書が配られます。そこに書かれた名前はお母さんのもの。彼はわけのわからない憤怒にかられて教科書を数学担任にぶつけケガをさせてしまいます。1週間の停学。数学担任が家に来てくれていろいろ話をします。そして彼は考えに考えて保留地の外の白人ばかりのリアダンの高校へ行くことを決意します。
1週間の謹慎がとけて学校に行った時。ラウディは保留地の高校チームのスターで乱暴者。しかし、いつもいじめられているジュニアをかばってくれる存在。
「リアダンへの転校に親が同意してくれた次の日、ウェルピニットの学校に出かけていくと、ラウディが校庭のいつもの場所に腰をおろしていた。
もちろん、ひとりぼっちだ。みんな、ラウディをこわがって近寄らない。
『おう、うすのろ、停学食らってたんじゃねえのか』ラウディは言った。
これは、『会えてうれしいよ』という意味の、ラウディなりの言い方だ。
『うせろ』オレは答えた。
オレが言いたかったのは、ラウディは無二の親友で、すっごく愛してるってこと。でも野郎同士でそんなこと言わないし、ましてラウディにはだれひとりそんなことを言う者はいない。」
う〜ん、難しい会話ですね。
「『秘密を教えようか?』オレは言った。
『女々しいのはよせよ』
『そんなんじゃないよ』
『オーケー、じゃあ、言ってみな』
『リアダンに転校するんだ、オレ』」
「『あんな町、オレは車でだって通らないぜ。どうしてそんなとこに行かなくちゃなんねえんだよ?』
ラウディは立ち上がると、じっとにらみつけ、それから地面にペッとツバを吐いた。」
ジュニアは保留地の家族以外のほぼ全員から裏切り者とみなされます。
ウェルピニットの高校からは大学へ進学する者はいません。リアダンの高校からは卒業生の過半数が大学に進みます。
住んでいるところからリアダンの高校までは35km。これがどのくらいの距離かというと、JR大阪駅から京都方面に進むと、茨木も高槻も越えて向日町までくらい。一つ先が桂川です。つまりほとんど京都駅の近く。後ろに出てきますが、この距離をジュニアは父の車(ガソリンが無くて送ってもらえないこと多し)・ヒッチハイク・徒歩などで通います。仕方なくお休みすることも多かったみたい。
ジュニアは「人種差別主義者がうようよいるようなリアダンで」というような気持ちで行きます。
ところで、すごいと思うのは「リアダンに行こう」と思ったら行けること。少なくとも制度・手続き的には何の問題も無いということ。特に授業料が高い、ということも無いと思われます。タダなのか?食事にも事欠く父が反対していないのですから。
クラスに入っていくと、「いちばんきれいな」ペネロピーが話しかけてくれたりします。
しばらくたってからの男の子たちの態度はこんな感じ。
「でも、そのうちやめさせないと、この先ずっと『酋長』だとか『トント』(『ローンレンジャー』の相棒のインディアン。バカという意味もある)だとか『おんな男』なんていうあだ名が定着してしまう。」
「オレが恐れていたのは、モンスターたちに殺されるかもしれないってことだった。
この場合『殺す』というのは『比喩』じゃない。やつらは本当に死ぬまで殴りつけるんじゃないだろうか。」
と思っています。しかし、ジュニアはこんな文化の中で育っていました。
〈非公式かつ暗黙の了解にもとづく(ただし守らないと二倍はひどく殴られる〉スポーケン・インディアンの殴り合いのルール〉
1.だれかがおまえを侮辱したら、そいつと戦わなくてはならない。
2.だれかがおまえを侮辱しそうだったら、そいつと戦わなくてはならない。
3.だれかがおまえを侮辱しようとしていると思ったら、そいつと戦わなくてはならない。
4.だれかがおまえの家族や仲間を侮辱したり、侮辱しそうだったり、侮辱しようとしていると思ったら、そいつと戦わなくてはならない。
5.女の子と戦ってはいけない。ただし、その女の子がおまえか、家族か、仲間を侮辱した場合は別である。
6.だれかが、おまえの父親か母親を殴ったら、そいつの息子あるいは娘あるいはその両者と戦わなくてはならない。
7.おまえの母親か父親がだれかを殴り倒したら、そいつの息子あるいは娘あるいはその両者が戦いを挑んでくることになる。
8.インディアン保護局で働くインディアンの息子あるいは娘あるいはその両者には、喧嘩をふっかけなくてはならない。
9.どこであろうと保留地の中に住む白人の息子あるいは娘あるいはその両者には、喧嘩をふっかけなくてはならない。
10.殴り倒されるのが必至の強い相手と戦う場合は、こっちが最初に殴りかかること。それ以後は攻撃のチャンスがなくなるからだ。
11.どんな戦いでも、先に泣いた者が敗者になる。
でロジャーという白人(って周囲には白人しかいない)ででかくてバスケットボールチームのヒーローと
「『おい、酋長、ジョークを話してやろうか』ロジャーが言った。
『ああ』と、オレ。
『インディアンってのは、黒んぼがパッファローとつるんでできたんだってさ。聞いたことあるかよ?』」
「こんなこと言われてまで、おとなしくしているわけにはいかない。自分のためだけじゃない。インディアンの名誉と、黒人の名誉と、そしてバッファローの名誉もかかっている。
そこでオレはロジャーの顔面にパンチを入れた。」
「親分が血にまみれたのを見た子分たちがかかってくると思ったオレは、いいかげんなカラテのゼスチャーをやってみせた。
でも、やつらはぽかんと見ているだけだった。
びっくりしていたんだ。
『殴るなんて信じられないよ』
ロジャーの声は流血のせいでくぐもっていた。」
少なくともリアダンの高校生たちは「殴り合いをするな」というルールのもとで育っていたのでしょうね。そしてジュニアを侮辱する言葉の数々も侮辱しているなんて気づいていなくて、単に自分達の親しみの表現だったのかもしれない。「いじめ」をしている多くの子が「いじめ」をしている、って気づかないように。
ジュニアはそこそこいい成績の生徒だったみたい。理科の時間、先生の間違いを指摘してしまいます。教師は怒りますが、白人天才少年ゴディが加勢してくれます。
「『ゴーディ、話があるんだ』オレは言った。
『ひまがない。オーカット先生と一緒に、PCのバグを直さないといけないんだ。PCって、いやんなるよな。すぐに壊れたり、ウィルスにやられたりするんだもんな。まるで腺ペストが流行った時代のフランスみたいだよ』ゴーディは言った。
うわあ、オレのこと変わってるって言うやつは、ゴーディのことは何て言うんだ?
『マックのほうがずっといいよね。きみはどう?マックは詩的だもんな』
こいつはコンピュータに恋してるんだ。ひょっとすると、やせっぽちの白人天才少年が、混血のアップルコンピュータとセックスする恋愛小説を密かに書いてたりするのかも。」
う〜む、いつの時代のことやろ。今?今でもそうなのかなあ。まあゴーディがオタクだということはわかります。でもって後ろでも出てきますが全然人種差別主義者では無い。
「『きみと友だちになりたいんだ』オレは言った。
『何だって?』
『オレときみが友だちだといいな、って思ったんだ』
ゴーディは後ずさりした。
『言っとくけど、ぼくはゲイじゃないぞ』
『いやいや、そういう意味じゃなくて、普通の友だちだよ。君とオレには共通点がたくさんあるからさ』
ゴーディは、オレをじろじろ見た。
オレは保留地から通って来るインディアンの子どもだ。孤独で、みじめで、仲間はずれで、おびえている。
ゴーディだって、同じじゃないか。
というわけでオレたちは友だちになった。」
ゲイフォビアは西欧社会では、日本ではわからないくらい、強いものがありそうです。
ある日、ジュニアは女子トイレで誰かが吐いていることに気づきます。何か手助けできることはないかジュニアは声をかけます。「ほっといて」と言われますが、ジュニアはそこにいます。出てきたのは
「いちばんきれいな」ペネロピーでした。過食症だったわけ。この時をきっかけに二人はつきあいはじめます。
ペネロピーの親父さんのアールに初めて会った時。彼は人種差別主義者。
「『おまえ、うちの娘のパンツに手をつっこむなよ。あの子がおまえとつき合うのは、父親への嫌がらせなんだからな。わたしは、そんな手にはのらない。だから、ほっとけば、娘はおまえとつき合うのもやめるだろうさ。それまでのあいだ、おまえの息子はズボンの中にしまっとくんだぞ。わたしに殴られないようにしろよ』」
う〜ん、本当にこんなことがあったんだろうか。著者はホーンブック賞を受けた時のスピーチで「78%が事実」と語っていますが。
「そこでオレはゴーディに相談した。
『インディアンのオレが白人の女の子に好きになってもらえる方法って、なんかあるかな?』
『ちょっと調べさせてくれ』とゴーディは言った。
数日後、ゴーディは簡単な調査報告をしてくれた。
『おい、アーノルド。グーグルで〈白人女との恋愛〉っていうキーワードでさがしてたら、こんな記事が見つかったよ。去年の夏メキシコで、シンシアって名前の白人の女の子が行方不明になっただろう。顔写真がどの新聞にも載ってたし、大騒ぎになったからおぼえてるよな?』
『まあな』と、オレ。
『この記事によれば、同じ場所で過去三年間のあいだに二百人以上のメキシコ人少女が行方不明になっているそうだ。でも、誰も騒がない。それって人種差別だよ。この記事を書いた男は、きれいな白人の少女は地球上のだれよりも気にかけてもらえる度合いが高いって言ってるよ。白人の少女たちは、特別待遇を受けてるんだ。注目のヒロインなんだよ』
『だから?』オレはきいた。
『ってことは、きみも、ほかのみんなと同じで、人種差別的な考えにとらわれたアホってことさ』
わーお!
本の虫のゴーディーも、ラウディと同じくらいタフなやつだったんだな。」
ええ友だちやなあ。
おばあちゃんのことを語りながら
「昔のインディアンたちは、いろいろな種類の風変わりな存在を許していた。じっさい、風変わりな人たちは、しばしばめでたいとされていた。
てんかん持ちの人がシャーマン(霊と話ができる人)になることも多かった。発作を起こした際に神がビジョンをもたらしてくれる幸運な者と思われていたからだ。
ゲイの人たちも、魔力を持っているとみなされていた。
ほかの多くの文化と同様、インディアンの文化でも男は戦士であり、女は世話をする存在だ。でもゲイの人たちは、男性でも女性でもあることから、戦士であると同時に世話をする存在でもあるのだ。
ゲイの人たちは、何でもできると考えられていた。スイス製のアーミーナイフみたいに!
オレのばあちゃんは、世界中でゲイの人が攻撃されたり、同性愛が非難されたりすることを快く思っていなかった。とくに、ほかのインディアンがそういう態度をとるのは気に入らなかった。
『おやおや、男が男と結婚したっていいじゃないか。あたしが知りたいのは、誰が汚れた靴下を拾うかってことだけだね』
白人がやってきてキリスト教と一緒に風変わりな人たちへの恐怖心を持ち込んで以来、当然のことながらインディアンもしだいに寛容さを失っていった。」
おばあちゃんは、後で、酔っぱらいの車に轢かれて死にます。お姉ちゃんも酔っぱらいのせいで死にます。おじさんも。銃がらみの死も多いですが、酒がらみの死も多いです。
ジュニア(アーノルド)はバスケットボールチームのトライアウトを受けます。落っこちるだろうと思っていたのに、1軍に合格します。「秘密兵器」の扱いらしいですが。(出ずっぱりのレギュラーじゃない、ということ)ってことは前半に書いてあるほどひ弱な奴じゃ無かったってことかな。
コーチとのやりとりが後ろにもいろいろ出てきますが、アメリカやなあ、という感じ。地方の小さな高校のコーチにすぎない、と思うのに、言うことがやたらかっこいい。
ウェルピニットの高校に試合に行きます。もめごとが起こった時に対応するために警官も二人。
観客は家族を除いて大ブーイング。いざ出場となってコートに出たところで額にコインをぶつけられ流血退場。しかし、控え室で「傷が残ってもいいから」と言って縫ってもらい、再出場。でも、この時もラフプレーをされジュニアは脳震盪を起こして気絶し病院に運ばれます。コートは観客も出てきて大乱闘。警官が何とか止めたようですが。結果リアダンはボロマケをします。
リアダン高校での再戦。今度はホームですから声援も大きく、ウェルピニットへのブーイングも激しい。この時はジュニアも大活躍してリアダンが勝利。ジュニアはヒーローになり、みんなにかつぎ上げられます。
「とうとう敵を打ち破ったのだ!チャンピオンを負かしたのだ!旧約聖書のたとえで言えば、オレたちは、乱暴者の巨人戦士ゴリアテの頭に石をぶつけてやっつけた羊飼いの少年ダビデだった。
そう思ったとき、オレは気づいた。
ゴリアテはこっちだ。リアダン高校のインディアンズのほうだ。
だって、チームの上級生たちはみんな大学に行くじゃないか。メンバーはみんな自分の車を持っている。iPodやケータイやゲーム機も持っている。ブルージーンズなら三着、シャツなら十着は持ってるし、親はみんないい仕事についていて、教会にも通っているじゃないか。
そりゃあ、白人のチームメイトだって、問題は抱えてる。その中には深刻な問題もある。でも、命がおびやかされるほど深刻なわけじゃない。
オレは、ラウディのいるウェルピニット・レッドスキンズのほうを見やった。
あっちのチームのうち、二人か三人は今朝のごはんも食べていないはずだ。
家に食べるものがないからだ。
七人か八人は、親が飲んだくれている。
ひとりは、親父が麻薬の売人だ。
二人は、親父がムショに入っている。
チームの中に大学に行く者はいない。ひとりもいない。
それにラウディは、負けたことで親父さんにぶちのめされるだろう。
オレはふいにラウディに謝りたくなった。ほかのスポーケン族たちに謝りたくなった。
復讐したいと強く思っていたことが、恥ずかしかった。
自分が怒り、憤慨し、痛みを感じていたことが恥ずかしかった。」
そんなふうにしてジュニアは成長していきます。
リアダンでも、少なくとも生徒たちの間では仲間と認められています。
この作品は2007年全米図書賞(児童文学部門)
2008年ボストングローブ・ホーンブック賞(詩とフィクション部門)
など様々な賞を獲得しています。