でもって、今日は何か勢いついちゃってます。
自慢話です。
大昔の話です。
肢体不自由特別支援学校に行った年に。
私が肢体不自由特別支援学校に行った1年目。ある地域の教科の研修については別に特別支援教育を選ぶ必要はありませんでした。私は社会科が好きだったし、小学校時代は社会科のグループに入っていました。特別支援学校に行っても、何て言うか小学校に帰るかもしれない、という思いもあったし、社会科のグループに所属しました。
前いた小学校の先生で社会科に造詣の深い素晴らしい先生がいらっしゃいました。当時の小学校でも既に低学年でも定期テストは当たり前になっていましたが、その先生は「あんなもので学力が評価できるわけがない」とされていませんでした。もちろん漢字小テストなどはされていましたが。
当時、コピー機は学校に入ったばかりでした。私や他の先生は何となく「もったいない」と思ってあまり使いませんでしたが「こんな物は使わなきゃ」と子どもたちへの視覚教材や、子どもたちの評価の資料作りにがんがん使っておられました。
また、当時はネットは無い時代でしたから、資料集めの実地訓練として図書館に連れて行って頂いたりしました。
ある地域の社会科研修グループの中でも重鎮でした。
で、私が肢体不自由特別支援学校に異動した年の2学期頃に、社会科グループの研修がありその先生が講演をして下さる、とのお知らせがありました。私も楽しみにして出席登録しました。
当日、私は仕事で参加が遅れました。もう話は半分か3/4は終わっている時刻になって私は駆けつけました。
先生は話をされておられましたが、私が部屋に入っていくと、突然話を変えられました。
「今年の学年(前年は私も担当していた学年。3クラスありました)を担当した時、ある先生のクラスの子どもたちがえらく他のクラスの子たちと変わっていた。発表はみんなしたがるし、あれしたいこれしたいといっぱい言ってくる。最初は、なんてしつけのなってない子たちだろうと思った。しかし、よく考えてみると子どもってそんなもんじゃないか。その子たちってすごくうまく育ててもらってるんじゃないか」
おおむねそんな内容でした。もちろん私のことですね。
ありがたいことでした。
ほんとうに私は授業は下手だったです。でも子どもたちの表現は大事にしようとしていました。(表出性コミュニケーションと言ってもいいかもしれません)
たぶん、その点では、私は通常校・肢体不自由特別支援学校・知的障害特別支援学校・特別支援学級と態度は一貫していたのだと思います。