臨床瑣談 続/中井 久夫
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いやあやっぱり面白い。
昔読んだのと同じことを書いてはるなあ、という部分もありますが、そりゃ同一著者なんだから当たり前。お年でもあるし。
まえがき
「一般論的な違いとして、患者とその縁者の求めるものは端的な『治癒』であるが、医学は実はそうではない。病因とされるものは必ずしも単一の器官、臓器、細胞群、体液の異常ではないけれども、とにかく病因となっている異常に一連のプロセスを加えることであって、全体的治癒はこの医療的プロセスの結果の一つにすぎない。『治癒』の例をいくつ並べても、それは医学的証明にはまったくならないのである。治癒例を羅列している本は、いかがわしいのである。
病人とその縁者は『治癒』を願いつつ、治癒例を羅列するのは医師ではなく、治療師ではないかと(しばしば正当にも)眉に唾をつけざるをえない。しかし、同時に、疾患と治療のプロセスを述べて決断を迫る医師に対して、求めているものを与えられていない欠落と失望を禁じえない。
かつては、『お任せ下さい』というパターナリズムがこのすれ違いを隠蔽し、中和し、運命との暗黙の妥協を与えていた。今、パターナリズムは去ったが、そのことが生んだ空白が埋められたわけではないことが、医師と患者の間に縁者として身を置いた医師にはまざまざと感じられる。」
えーっと「医学とは・・・異常に一連のプロセスを加えること・・・全体的治癒は・・・結果のひとつにすぎない」ってところは、よくわからなかったりします。全体的治癒を目指すものでは無いのかなあ、と。しかし「手術は成功しましたがお亡くなりになりました」ってこともある、ってことか。
まあ、治癒せずに、そのままで生きていく(あるいは死に向かう)、ってのもあるわなあ。
認知症に手探りで接近する
「私がインターンの時に見学した精神科病院の患者たちには何年か奇妙な姿勢をとりつづけて体がそういう形に固まった人が何人もいました。隔離室がずらりと並んでいて、梅毒による進行性麻痺の人たちと、この慢性緊張型の統合失調症の患者とで病棟は満員でした。
この二つの病いはもう見られません。ことに、あの奇異な姿勢の患者は統合失調症の極北のように思われていたのですけれども、なぜかいなくなってしまった。何が効いたのでしょうか。東北大学の先生に聞くと、東日本のほうが多く、なくなるのも十年遅かったようだけれども、いずれにしても今の若い精神科医はみたことがないでしょう。教科書からも消えてしまった(その代わり西日本には緊張病よりも躁鬱病が多いようです。今は特に『双極II型』といっている躁が軽くて鬱が重いタイプ。東北人に『そんなに気分がころころかわってたら凍え死んでしまうがね』といわれるのだと、これは西日本の精神科医からの又聞きです)。」
ははは、なるほど。凍え死んでしまうかあ。
「伝統的な生活様式だと析出してこなかった病気も当然あるでしょう。二十年前ぐらいの沖縄の百歳老人の調査では、ヤマトなら認知症とされるはずなのに堂々と日常生活を営んでおられる方もあると聞きました。
統合失調症と同じく、太古からあったのか、二十世紀の病なのかは、ぜひ知りたいところです。」
中井さんも言及されていますが、昔の人はここまで長く生きなかった、というのが大きいでしょうね。
「『症状』とは社会と折り合えない面の析出です。これは疾病診断学の主役で、医師の世界の主役です。『生活障害』は介護を必要とする面が析出したケアの世界。それに温存されている機能をみるという視点を加えて初めて全面的に病む人を捉えられると思います。温存機能もチェックしたいものです。」
つまり「できるところ」を見つけるわけですね。
「神戸大学から沖縄県立八重山病院に赴任していた医師の話ですが、老人病院に行って重症の患者を診た時、その医師は、さしあたり、老人たちの個人史を調べて、看護師に語って聞かせたそうです。『この方は夫が戦争で亡くなった後、子どもさんを立派に育てた』とか。そうすると、そのうちに何かが変わったそうです。その人の個人史を知ることは、当然、畏敬の態度を生むでしょう。患者は、それを敏感に感受したらしいのです。
こういう感受性は最後まで残るものではないかと思います。」
これは、別に看護師がその個人史を患者と一緒に話しをした、ということでは無いわけですね。ただ看護師が知った、と。こういう畏敬の念というか相手に対する尊敬というか、これは障害児教育の相手(お子さん)でも同じではないでしょうか。
「私は、統合失調症でも、認知症でも、子どもでも、自尊心の再建が重要な鍵だと思っています。これ抜きでは、治療でも介護でもリハビリテーションでも必要な士気が得られません。」
お母さんが亡くなった時のエピソード。
「その代わり、母は私の出勤日の十日前に、『おかあさんは十日水も食物も摂らなくて平気だからね。十一日目に摂るからね』といいました。母は入院を嫌っていて、最後の一カ月を妹と私と共に過ごすことを『最高の幸せ』というので、末期の自宅介護を行ったわけですが、二十四時間ついていた私は心身ともにへとへとになりました。亡くなる三日前に私はとうとう父が入っている病院に入院させました。
(中略)
三日後、私たちは、通夜の時にご飯と水を供えました。『これが十一日目に飲食を再開するということなのか。パーフェクト・ゲームだ。母らしいユーモアだが行き過ぎだ。身に応える』と私は思いました。」
「だから『アルツハイマー病』と告知することを考えると、サリヴァンがかつて統合失調症について述べた『さしあたり相手の安全感を堀崩すしか効用がないのにスキゾフレニアと告知するのは心ないわざである』という声が私の耳には聞こえてしまいます。では『お任せ下さい』でいいか。それもよくないでしょう。たとえば、周囲の覚悟ができません。告知は、この人を、その病を、引き受けるという医師の覚悟とセットになって初めて許されることでしょう。これはパターナリズムとは違うのです。一般にすべて患者に選択させるというのでは、医師の側の覚悟というか責任が示せていないと思います。」
これは自閉症やアスペルガー症候群の人と教師や支援者との関係でも同じでしょう。支援者は診断はしませんが、でもわかってしまうこともありますから。覚悟って言うとおおげさになるけど、「それで当たり前じゃん」と思ってつきあうというか・・・
認知症の人からみた世界を覗いてみる
「しかし、もっとも重要なのは、自尊心の維持です。」
なんでも一緒やなあ。
「私は精神科医として四十何年かを過ごしてきましたが、患者とは、あるいは患者も含めて不幸な人とは、考え、考え、考え、考えている者だということを言ってもよいだろうと思います。幸福な人とは、明日も今日と同じであってもよいと思っている人のことだという定義を聞いたことがありますが、健康も幸福の一部です。健康な人とは明日も今日と同じだってよいと思っている人です。考えに迫られてはいないでしょう。」
何て言うか、ルーティンを大事にできる、ってことは幸せなんだな。
「いかにして認知症の人がプライドを持つことができるか、という問いがあるかもしれません。それは、人として大切にされ、存在していること、ここにいることが喜ばれているという感覚を持つことでしょう。それが日々のやりとりの中に認められることです。『何を今更』と思われるかもしれませんが、夫が妻をながらく『おまえ』と呼んできたとしても、『あなた』あるいは『きみ』と呼んでみることを実験してみたらどうでしょう。夫であることがわからなくなっても、自分に優しい特別な人であることを認識できるとすれば、やがて、何かがよいほうに変わってゆくかもしれません。そしてスキンシップも意味があります。」
う〜ん、スキンシップは苦手かもしれない。
3 血液型性格学を問われて性格というものを考える
「私が丸山ワクチンの次によく尋ねられるのは、血液型と性格という、いささかきわどい問題である。しかし、精神科医として何らかの意見を持たねばならない。大部分の科学者は、科学的根拠はいっさいないと力説する。しかし、ABO型血液型の存在そのものに疑いはなく、あやしいのは『性格』の方である。そして、性格学というものは、ABO型血液型性格学と、まあおっつかっつのものである。
なお、『性格』とは、とりあえず、ある個人の言動(言説と行動)の比較的恒常なパターンと理解しておく。『人格』『気質』との言葉の違いはニュアンスの差として詮索しない。」
なるほど。なるほど。そりゃそうだ。
私の場合「AB型でさそり座です」と言うと、少しかじっている人は「なるほど」と納得してくれる場合が多いです(笑)
「ユングは、内向型と外向型にまず二大分して、それぞれを思考型、感覚型、感情型、直感型にわけた。この分け方は病気をモデルとする偏りがなく、常識的といえる。だた、この合計八つの類型を記憶する記憶術が作られていることからみると、八つですでに記憶の限界を越えているからではなかろうか。もし三十六分類がもっとも科学的だという結論が出たとしても、誰がそれを使いこなせるであろうか(現に統合失調症には三十六分類があり、その通時的安定性が証明されているが、だからといっても、使う人は私の知るかぎり二、三人である)。
もはや普遍的に人間の性格を分類することは医学の流行ではないようである。では現状はどういうものであろうか。」
ユングの八類型では、私は自分のことを勝手に「内向感情型」と思っていて「山の湖のように底は知れない」という形容が気に入っています。
「そもそも、(テストや質問紙でわかる数字は)何百何千だろうが生体を決定する媒介変数のごくごく一部であろう。他方、百個程度の検査もすでに手段、人員、経済の三面から頻繁には実施しがたい。まして経過を細かく追うことは困難である。しかし、迅速性をいくら改善しても数値はつねに『時遅れ』である。急速に変化する疾患では半時間前のデータはすでに古い。心理テストは一見そんなに変わらないようにみえるが、あっという間に変化する実例も経験している。」
「性格は一般に非常に複雑と考えられがちだが、それに関係する遺伝子は比較的少数の組み合わせで間に合っているかもしれない。私の知っている性格遺伝子は目下一つである。『新奇探求遺伝子』で、引っ越しの多い人からみつかった遺伝子である。そのDNAの一部に同じ記号の繰り返しがあり、くり返しの数が多いほど転居、転職、離婚再婚が多いという。くり返しの数が八段階らしいのは、性格が白か黒かでなく、何段階かの程度があることを表している。ミラー数の範囲なのも面白い。新奇探求という行動はヒトだけではない。好奇心は動物界に広く分布している。遺伝子が発現して表現型になるまでの過程で年齢発達や段階や境遇、文化などの多数の環境要因とが関与するだろうから、これ一つでもかなりの複雑多様性が現れるだろう。これが移民の国アメリカで発見されたのは偶然ではなかろう。日本では鎖国の前に大量の出国があって、一つ所に留まって命を懸ける(一所懸命)タイプの人たちが残ったということがあるかもしれない。」
新奇探求。もちろん、誰でもそれは持っているかとは思いますが。ルーティンを好む、という自閉症の人だって新奇探求の意欲はすごくありますもんね。
「ところが、些細な差こそ重要であるという考え方がある。容貌は生理学的には些細な差であるが、この些細な多様性をめぐって美だ醜だと人類がどれだけ大騒ぎすることか。(中略)些細さと共にこの不完全さも意味があるのだろう。それでこそ個性である。ABO血液型の四つの性格差といわれものも含めて、性格の個人差すなわち個性もその程度の弱い相違であることに積極的意味があって、言動の適切な生物学的多様性を生んでいるのではないかと思う(第一、あんまりちがっては何かと困るじゃないか)。」
そうか、些細な差なんだ。納得。
「生物学は、生物学的多様性が種の存続に有利であると告げる。特に群居動物で文化のために協業する必要があるヒトには対人関係における言動の弱く些細で微妙な多様性がよい働きをしているのではないか。性格というものはそういうものであろう。科学的根拠があろうがなかろうが、ある一つの血液型を優遇したり、排斥したりすることは集団の生き残りにマイナスである。ABO血液型遺伝子は優劣性のない例としてよく出される。A:O:B:ABの人口比が4:3:2:1というのもよい。」
優劣性が無い、というのはどういう意味なんだろう?いずれにしても多様性がよい、というのは障害に関してもだろうな。
「些細な心理的差異の有用性は、男性だけの会議と男女混合の会議を体験するとよくわかる。大学教授会でもメンバーに女性がいるとおおむね男性の発言を比較的論理的で礼節をわきまえたものにした。また、一般に異性との関係を永続させる上で、心理的な些細な差であるが絶対に到達しえない部分があることが積極的な意味を持つ場合が多いと私は思う。未知はしばしば魅力であるが、それだけではない。」
深くうなづきます。が・・・私も過去にはそんな体験をして来ましたが、今後はどうなんだろう。男女が普通に混合されるようになると、逆にどうでもよくなるだろうか・・・
「血液型性格論を聞いているとそれぞれ、なるほどそういう人がたしかにいるなあ、という、類型描写の巧みさがある。これが第一の長所である。次に、対人関係が主題になっていることである。これが第二の長所である。これがなければ話が盛り上がるまい。どれだけのパーセントかはともかく『A型とA型とは恋愛には進みやすいが結婚までには苦労する』とか。また、そういうことは血液型の組み合わせに関係なく他にも起こっているにちがいがないが、多くの人には思い当たる例が一、二はあって、納得させてしまう助けとなるだろう。精神疾患の診断基準の次の版、DSM−Xでは関係障害 relation disorder が新しく登場する可能性がある。これは障害が個人を超えることである。人と人との組み合わせが主題になることはまず間違いない。実はフランス犯罪学が百年以上前から問題にしてきたことだ。」
ほんと「たしかにいるよなあ」はありますね。
「私は主に血液型性格論を書物でなく人からきいた。その型の人が目に浮かぶほど描写がうまい人がいる。しかも、言動の集合であって、硬い一つのイメージではない。そこで、これだけ現実に普及しているものを使わない手はない。臨床の場面でも、相手に血液型を聞くと相手の過半数がリラックスする。『誰それはその型の典型ですか、なるほどそうだと思うところとそうと思えないところは?』と問うほうが、相手を傷つけず、しかも本人だけでなく、配偶者、子ども、さらに簡単ながら、きょうだい、祖父母、いとこぐらいまでの話がきける。話はしばしば血液型を離れて思いがけない逸話も出てくる。この逸話というものが大きなヒントあるいはキーとなるのである。」
確かに、いい接近のための方法だと思います。
「私が教授だった二十年前ころ、近畿の精神科教授が年一回集まって晩飯を食べる機会があった。話題はなんと血液型を使っての人物評に落ち着くことが多く、また皆ほんとうによく知っているなあと感心した。人をほどほどにしか傷つけない批評ができる。(中略)人類遺伝学を専攻する教授だけが一人苦虫をかみつぶしていたのがむしろ気の毒であった。」
あはは。
私は気のおけない友人とだと「あの人はADHDか、この人はアスペルガー症候群か」という話で盛り上がりましたが、傷つけてしまうのかな?そういう意図はあまりなかったのですが。自分もどこかの範疇に入りそうだし。
4 煙草との別れ、酒との別れ
「煙草と別れた私の友人の一人によれば、満一年後に吸った煙草はおいしかったが、満二年目に吸ったら生まれて初めて吸った時よりもまずかったそうである。身体的依存の解消には二年かかるわけである。」
「煙草を吸う夢を見なくなったのは十年後である。心理的依存の解消には十年かかるということであろう。」
アルコール依存の人との関わりで
「次に、家族に会う。
『誰にでもできることです。でも、実際にはなかなかむつかしいことかもしれません。だけど一つだけ』『何ですか』『本人に恥をかかせないことです』。
『ここで、恥をかかせない練習をします。「酒を止めてえらかったね」は恥をかかせることばです』『まさか』『薬も毒になる例です「どうせ、おれは酒をやめるぐらいしかほめてもらえない人さ」と恥の上塗りになるのです』『そんなにひがんだ、ゆがんだ心を持っているのかなあ』『劣等感が深いといってもいいけど、恥をかかせるということは、カサブタをひっぺがして新しく血を流させることです。潰瘍になるもとです。もうなっているかな』『そんな良心がありますか?』『ええ、良心は敏感ですよ。良心の病いといってもよいくらいです。実りある良心の病いにまず変えましょうね。まず、恥をかかないこと。「酒」と言わずに「米の汁」というだけでも少しは心の潰瘍の包帯になるのですよ。また練習しましょうね。入院しても、よくなったら受け入れていただきますね』『よくなるんですか?』『努力します(治療を軽率に言明しない。そもそも医療の報酬は弁護士の報酬と同じく成功報酬でなく努力報酬である)。七転び八起きです』。」
「九州大学精神科時代の碇浩一医師は、まず、ひたすら酩酊にのめり込むところから酒を味わうことに移らせようと『宴会療法』なるものを始めた。彼は飲めない身で茶碗を叩いて『チャンチキおけさ』などを唄っていたのである。対象は、交差点の真ん中に寝ころんで『轢くなら引け』とわめく女性などだそうであった。碇さんが小諸の精神病理・精神療法学会で発表した時、皆は呆気に取られ、私が立って、炭坑廃山後の九州について説明しなければならなかった。
前者でも、私は食べ物の話、野球や相撲の話、旅の話をした。これらは雑談ではなく、頭の中の宴会療法である。酒との別れには生活多様性がなくてはかなわないからである。」
私は煙草は大学のクラブを引退した時に集中的に吸って体調を壊してやめ(馬鹿ですね)お酒も体調を悪くして飲めなくなってしまいました。今、関係があるとしたら薬かなあ。
5 現代医学はひとつか
「宗教的医学は平安時代が全盛かな。加持祈祷のたぐいだね。日本では八十八箇所の巡礼が有名だ。西欧ではピレネー山脈に近いルルドへの巡礼が今も盛んで、医師が奇跡的治癒かどうかを見分けているそうだ。日本人で個別宗教の信仰者は三十パーセントあるかないからしいけれども、祈りの意味を認める人は七十パーセントを越えるそうだ。これは祈りの超能力を認めているといいう意味では必ずしもないとぼくは思うよ。生理的レベルまで浸透している何かだね。」
私も祈りの超能力みたいなものは信じていないけれど、祈りがいいこと、みたいなことは思っているなあ。
7 インフルエンザ雑感
「今春(2009年)の対策にはいろいろ批判があったが、私は、阪神・淡路大震災にかかわった経験から、錯誤や過剰対応を強くあげつらわないことがまず重要であると思う。それは、次の災害への対応を退嬰的にする。」
この部分は、いろいろ悩んでしまいます。別エントリに書きたいと思います。
「インフルエンザか、風邪かの区別は、いちおう医師免状を持っている程度の私には、最初期はつきにくい。とにかく、病気は毎日、毎週診ているのが重要なのだ。」
う〜ん、そうやろなあ・・・障害支援についても同じかもしれない。引退してしまった私があれこれ発言することは良くないのかもしれない・・・と思いつつも言ってしまうけど・・・
「common cold virus つまり、普通の風邪が発見されたのは、1960年代前半であったと思う。そういうものがあるかどうか、疑う者が多かった中で、戦後なお国民に耐乏生活を強いていた時代の英国は、ソールズベリー研究所に十年、探索を続けさせた。この英国の姿勢は奥行きが深い。培養に初めて成功したのは、たしか pH5,35℃という非常識条件であったかと記憶する。これが彼らにとっての至適条件だった。今、その後身は、リノウイルス(ライノヴァイラス)と呼ばれ、170種類ぐらい見つかっているのではないだろうか。他にも風邪様症候群を起こすウイルスはたくさんある。」
普通の風邪のウイルスって、まだ見つかっていないのかと思っていました。しかし1960年代前半ということは、最近(?)なわけですね。
あと、中井さんは「風邪をひいたな」と思ったら「参蘇飲(じんそいん)」(ツムラ66)2.5gを一服、熱っぽくなったりしたら「葛根湯(かっこんとう・・・さすが一発変換した!)」(ツムラ1)2.5gを飲むそうな。
葛根湯は有名ですね。開高健の小説にも葛根を刻むアルバイトをする話がありました。
インフルエンザ流行と災害との比較?
「阪神・淡路大震災の一年後に、ちょうど一年早い1994年1月17日に震災に見舞われたロサンジェルスを訪問した。
(中略)
震災においては、一千万の人口を持つロサンジェルス・カウンティにおいて、公務員は出勤におよばずとし、家庭に戻して、FEMAと称する理事会が災害地域を支配し、1200人の災害時要員が行政を交代するとのことであるが、一千万の人口に対する1200人、1万人弱に対して1人というわけであるから、治安を保つことも危ぶまれる。1200人という数は、ロサンジェルス群保安官の数と一致する。ひょっとすると、非常事態宣言のもと、戒厳令に似た状態に置かれるのかもしれない。
暴動・略奪・破壊などは、ある程度、折り込み済みのようにみえた。二日間は、暴徒にやらせるにまかせ、三日目に不眠、疲労などによる衰えを待って一網打尽にするという考えのようにみえた。州兵が出動するかどうかはそのつど決まることらしい。」
う〜ん、折り込み済みかあ。阪神・淡路大震災の時は無かったようですが。
「パンデミックにおいては、事実上すべての人間が感染するという。しかし、決して同時に感染するのではない。人から人へと感染しながら、次第に広がってゆくのであり、個々人は五日も立てば治ってゆくのである。大勢がかかるから、死亡数が大きくなるが、死亡率は低く、予防法も見当がついている。」
「強毒のウイルスは、他動物のウイルスからたまたまヒトにうつる機会を持った新参者である。エイズがそのよい例である。隔離されて生存していた人種にも同じことが起こる。バイドクが1512年に日本に入った時は致命的な病気であった。
大流行は伝染力が強いことを意味しているが、毒性が強いわけではない。それでも、罹病者が多いから、死者数は多くなるが、季節性インフルエンザ、つまり毎年の流行で、何万人かが亡くなっている流行病である。もっとも、その年の全死亡者のごく一部である。そして病弱者が余病を併発して亡くなることが大部分であるらしい。」
当時「死者が100人を越えた」というようなことが報道されていた時、季節性だったらどのくらい死ぬのかな、と思っていました。たぶん相当多い数が亡くなっただろうと思いました。
「『タミフルは五日間だけ使う』と小児科医は言い切った。効果は病気の期間を二日短くすることらしい。患者としての私はタミフル・リレンザの使用の可否はかかりつけの医師に任せる。後は漢方薬を使う。そして、加湿器を使う。」
「七十五歳を過ぎた私は、毎年、今年の冬は越せるか、今年の夏は越せるか、と考える。老人は、総合的に、夏や冬の養生を考えるのがよいであろう。」
私はずっと若いですが、毎夏、今年の夏は越せるか、と感じます。
臨床瑣談 中井久夫著