臨床瑣談/中井 久夫
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もう読んでいてワクワクしました。
なんでこんなに面白いんだろう。
1 虹の色と精神疾患分類のこと
虹の色つまり「スペクトラム」ですね。私だとすぐに自閉症スペクトラムという言葉が頭に浮かんできます。
「1980年以来、精神医学の風土は変わって、二つの診断基準表が二十年かけて世界を征服した。それはWHO(世界保健機関)による正式のICD(国際疾病分類)と米国のDSM(診断統計マニュアル)とである。
(中略)
その世代(診断学のグローバリゼーション以前)の人の多くと同じく、私の診断学は臨床と議論と勉強の歳月をかけて『醸造』されたものであった。どれか一つの学派に拠ろうとしても、その内輪での議論をかいまみると、どの学派にも安住できなかった。そのために、私は、ある見方によるとこうであろうが、別の見方によればこうであるまいか、というふうに考えてきた。
これは折衷主義ではない。それならばそれなりの整合性を求めるだろう。私は矛盾や疑問や空白をそのまま持ちこたえることを以てよしとした。」
「暗がりを一歩一歩手さぐり足さぐりで歩いてきたようなものである。一見決定的なものを見つけて鬼の首でもとった気になった時がかえって危ないことを経験が教えてくれた。私は慎重というよりも臆病な医師であったと自分では思う。(患者の大胆な提案に対して、私はよく『できるかもしれないけれども医者は冒険をしないからね』と言ってきた)。」
「その代わり、私は回復過程(寛解過程)を観察して、回復は発病の逆過程でなく、疾病特異的な症状と同等あるいはそれ以上に非特異症状の消長が重要であることを知った。」
これはよく書かれているところですね。統合失調症(昔は分裂病)が治療法なし、と言われていた時代に、回復過程に着目して研究・実践しはった。すごく後ろの丸山ワクチンについて書かれたところで
「肝硬変で肝細胞(ヘパトサイト)群が繊維で囲まれるのも、病理の深まりか、自然治癒力の現れか、にわかにいうことができないのではないか。」
このあたりも、普通は「病気のために出る悪い症状」と見られるものの中にも、治癒の力というか、「希望」を見だそうという臨床家の姿勢を感じます。
ここは診断名について、になると思うのですが
「患者が、その独自の体験を精神科の用語で置き換えるのを、シュルテは『精神医学化された(psychiatrisiert)』と形容した。『サリヴァンの精神科セミナー』の対象となった患者が代表例である。そこでは、担当医は精神医学用語を使うのを禁止して患者と争うが、私ならむしろ、精神科医がそのつど、言い直すことを勧める。「あ、まぼろしの声?」とか。それが思いつかなければ「きみのいう幻聴」と「きみのことば」であることを強調するだけでもよい。患者のアイデンティティ(自己規定)が「何々病」「何々症」という精神科の病名や症状名になるのは悲劇的である。患者自身の自己評価に加わることが悲劇的なのである。『私は何々症です』には『きみは何々症そのものかね』『はぁ』『何々症が服を着て歩いているのかね』と応対したい。精神科医は、症状を無視するのではないが、面接の焦点は人柄に起き続ける努力が重要だろう。落語には、蛇のなめる草をたずさえてソバの食べ比べに出た人が人間の形をしたソバになってしまった話がある。人をとかす草だったのである。患者は人間の形をした何々症ではない。」
ここらへんはたぶんいつも私が書いていることと「同じ」とは思いますが、あえて字面で反論というか、違う側面を書いてみたいと思います。
自閉症という言葉を本人の前で他人への説明として使うか
サポートペーパー4(「自閉症」から始めるか)
自閉症を研究している?
「自閉症」「アスペルガー症候群」とかいう言葉、診断名。
「私は自閉症です」
「私はアスペルガー症候群です」
という言い方、私はありだと思っています。
まあカナータイプの方が「私は自閉症です」とは言わないかもしれませんが。
で、それは「こういうところが苦手で、こういうところが得意です」「こういう支援が必要です」ということを説明するために、おおいにありかなあ、と。もちろん細かい所は「○○君独自」「□□さん独自」ということになりますが。
私はカナータイプの人と付き合う時、普段は「自閉症の○○君」とか考えませんが、「はてな」という行動をしたり、「おおそりゃ困る」という事態になったら「○○君は自閉症だから、はてさてどういう対応をしたらいいだろう」と考えます。
私は高機能自閉症の人やアスペルガー症候群の人とは、昔は全然意識せずに、そこそこうまくつきあって来たのだろうと思います。
小学校の特別支援学級の担任になった時、通常学級の子で、初めて「あっ、この子はアスペルガー症候群や」と思う子に出会いました。(診断名は通級の先生以外は誰も知りませんでした。問うても教えては貰えませんでした)その時は実のところいろいろ困った状態になっていたのに、担任に有効なことを告げることができませんでした。これも、やっぱり「アスペルガー症候群」からもっともっと考えていたら、担任に有効な手だてを伝えられたと思います。
また大人になった当事者の方とお会いしたこともありますが、本人さんが困ってなけりゃ、全然何も意識はしませんね。
「米国の診断基準も、秘密はNOS(not otherwise specified『特定不能の』と訳されている)というカテゴリーにある。一種の屑籠である。『虹』の名づけえぬ部分に当たるわけだ。これさえあれば体系はめでたく遺漏がなしとなるのである。しかしNOSがいちばん多い部分もある。これが実態かもしれない。」
2 院内感染に対する患者自衛策試案
アロマセラピー、花束、食事
「見舞いの花は考えものだ。入院中は花の匂いに敏感になる。普段とは違う匂いに感じてしまうこともある。別の花束の匂いが混ざって悪臭にもなる。フランスでは花を見舞いに持ち込むことは礼儀に反するそうだ。ハーブの花束ならよいかもしれないが長持ちしにくい。土の付いた鉢植えは絶対によくない。土は菌の塊だ。」
鉢植えは「ねつく」からダメなのかと思ったら、なるほどなあ。
「漢方薬といえども副作用はある。まず少量服用してみる。この段階で合わないものはやめる。どのみち、患者が嫌がる薬は長い服用に向かない。逆に納得した薬は効く。多くの薬はプラシーボ効果(心理的効果)が三十パーセント、薬物自体の効果は十パーセントという。漢方薬も数日、時には一服で効果が現れることがある。衰弱した身体は薬物に敏感であるから、一日一服(一日三服であるから通常の三分の一量)で足りる。最初はそこから始めてよい。免疫力は無際限ではないので、『よいというものは何でも使う』のは必ずしもよくない。」
3 昏睡からのサルヴェージ作業の試み
お義父さんが昏睡になり、主治医から「私たちにはもう打つべき手がありません。センセイにできることがあるなら、何でもおやり下さい。」と言われて中井さんはとっさにあれこれ考えて、関わる側が楽にできてかつ効果のありそうなことを試されます。思いつきではあるのですが、一応全部理論がある。
「この目に見える報酬すなわち『やり甲斐』はリハビリテーションにきわめて重要である。おそらく認知症の介護も同じだろう。私のような凡夫は全く報酬のない介護には耐える自信が無い。私は主に統合失調症を病む人を診てきた医師であるが、通ってきた道を振り返ると、私は本人にも治療者にも報酬のある方法を編み出す方向をつねに求めてきたということができるだろう。対話の仕方の工夫も、身体観察をすることも、大幅に描画を使うことも、みなそうである。」
実際、「こんな方法あるよ」と言っても、本人さんにも周囲にも報酬がなけりゃあ続かないですもんね。
「私はその後、『一般的に回復の始まりは「錯覚か」と思うものだよ。そこでやめないように』と研修医にいうようになった。何事についても回復の初期はそうなのだ。」
そしてその後、お義父さんは奇跡的な回復を見せます。そして中井さんがさすがに疲れ「消化器出血に気をつけてください。くれぐれも頼みます。水と電解質さへ補給していれば三日や四日ぐらい食べなくても人間は死にませんから」と言って場を離れます。
その後、病院で出された常食を食べたお義父さんは大量下血して亡くなります。
5 SSM、通称丸山ワクチンについての私見
「このワクチンに対する態度がどうであるかは医学界での立場に影響するという空気があって一種のタブーになっていたらしいが、私は精神科医でありガン学界とはまあ無縁である。私は求められれば使用し、希望者を日本医大ワクチン療法研究施設に紹介し、治験協力医となるのにためらいはなかった。」
「私は医学界の人間であるから、教授がガンになった時、助教授がワクチンを取り寄せるために奔走することを一例ならず知っている。『ダブル・スタンダードじゃないか』と憤慨すると同時に、他の治療法ではみないことであるから、案外ほんとうは有効ではないか、と思わせられていた。」
実際に中井さんが自分自身に使われたのは、前髪の生え際にホクロができた時。もう一回はご自身の前立腺ガンの時。いずれもそこそこ効果があったよう。しかしもちろん他の療法と併用してはります。
また患者さんに使って著効があった体験も書いてはります。
「丸山ワクチンの有効例とみてよいものが存在することも、百パーセント有効ではないことも認めてよかろう。身も蓋もない言い方だが人の死亡率は百パーセントである。日野原重明先生が『医学は敗北の技術である』といわれるとおりである。最終的には医学の目的は、自然回復力も有限であることを忘れずに、これを適度に促して人生のQOL(生活の質)の積分値を最大にすることであろう。
1944年に丸山先生が皮膚結核の瘢痕を治すという別の目的でつくられてから64年経った。百人を一時はだますことも一人を永続的にだますこともできるが、百人を永続的にだますことはできないという法則を適用してもよかろう。」
丸山ワクチンには思い出があります。まだ学生の頃、父がガンとわかりました。お腹を開いてみましたが、既に手術不可能。(いわゆる姑息手術というやつ)ピシバニールを打ちましたが効果無し。主治医が「もう手のほどこしようがありませんので何でも思うことをやって結構です」と言うので、家族で相談して、私が日本医大に丸山ワクチンを貰いに行きました。東京が無茶苦茶怖かったのを覚えています。
結局、父には何もかももう手遅れで効果はありませんでした。
6 軽症ウイルス性脳炎について
これは様々なウイルス病にかかった後、それが治癒したと見えたにも関わらず、脳炎を起こし、脳の機能低下を起こす場合があることに触れられています。麻疹のものが有名ですね。身近でも非常に重大な後遺症を起こした人がいます。
「単純ヘルペス脳炎だけは恐るべきものとされている。たまたま何十人かのCT画像を見せてもらったことがあるが、私なりの結論は、映像に写ったら手遅れで、生き残っても重い障害が残る確率が高く、写らないうちが勝負だということである。これは医師の推理能力に負うところが大きい。
(中略)
そこまでしなくとも、精密検査にはいくら早くしても二、三日はかかる。抗ウイルス剤もある今こそ『(うかうかしているうちに)機会は去りやすい』というヒポクラテスの教えに従うべきではないだろうか。前の感染症時代をわずかに知る者の感想である。」
「このように脳腫瘍を精神障害と誤診することに比すれば、精神障害を脳腫瘍と誤診することはまだしも許されよう。つまり重傷度の高いもの、後遺症の残りやすいもの、まちがうと取り返しがつかない確率の高いものから先に考えるのが臨床的思考である。」
そういえばソースは覚えてないのですが、アスペルガー症候群がマスコミなどでよく取り上げられるようになった時、中井久夫さんが、「私はアスペルガー症候群だ」とどこかで語っていたのだけど、どこだったかなあ。何か納得するのですが。
臨床瑣談 続 中井久夫著