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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年09月20日

音声言語の訓練についての私的考え

 自閉症・高機能自閉症・アスペルガー症候群の方への音声言語の訓練(教育?療育?身につけること?)について考えていることを書きます。

 ここしばらくのエントリで音声言語関連の話を書いて来ました。

 実のところ「音声言語の理解」と「音声言語の表現」については、本当にひとりひとり異なっていて、アセスメント(別にフォーマルなものでなくても日常生活や課題学習・自立課題学習などでかなりのことがわかると思います)してみないとわからないところがあると思います。

テンプル・グランディンさんが子ども時代、危機の時に言ったこと

 に引用した以外のところで、テンプルさんは三歳頃、大人の言うことはすべて理解していた、と書いています。ただしそれが「行動」とひっついていたかは疑問ですし、少なくとも音声言語での表現はできなかった。

危機の時にものすごく適切なことを言ったお子さん

にしても

いままでに1回だけ「置いてくで!」と言った子

にしても、頭の中に何らかの「音声言語」がたまっていて「こういう時はこう使うんだ」という知識とともに入っていたのでしょうね。でも普段は使えない。

 「音声言語」というか「音声」というものがあるのはわかっている。音声は頭の中にも入っている。しかし人と人とのやりとり(コミュニケーション)に使えるとは気づいていない、そんな感じかな。もちろん人により頭の中に入っている音声の多い少ないはあると思います。また過去の研究から継時的に入ってくる情報をとらえにくい、という実験結果は大昔に出ていますから、「音声」もひとかたまりではなく「ぶつ切り」で頭の中に入っているのかもしれない。

 「人と人がやりとりできる」ということに「気づけない」ことが障害というか特性なわけです。音声言語だけでなく、他の方法でも、コミュニケーションできることに気づいていない。

 そこで、まず本人にわかりやすい方法でコミュニケーションしてもらおう、というのがAAC(拡大代替コミュニケーション)の考え方です。これは別に音声言語を否定しているわけでは無い。不思議なことにこういうことをすることで音声言語が伸びる子も多数いる。しかし、もちろん音声言語を伸ばすためにやるもんじゃないです。音声言語が伸びるのは、あくまでもついて来た結果。基本は「本人の楽な手だてでコミュニケーションする」です。そしてコミュニケーションの楽しさ便利さをわかってもらうために、PECSでは徹底的に本人の好きなものを探し、それを要求するところから始めます。

自閉症児と絵カードでコミュニケーション PECSとAAC アンディ・ボンディ他著

 またsyunさんは表現手段となる機器をフィッティングする時

「これは本人からの要求以外には使わんといてなあ」と言うわけですね。

 コミュニケーションはそこから始まるのですから。


 で、言語訓練ですが、昔、診断が無く「言葉が遅れている」「言葉が使えない」と言うことで、「言葉の教室(通級学級)」や「耳鼻科」を訪れる人は多かったです。ひょっとして診断があってもかな?

耳鼻咽喉科のお医者様とお会いしました

 今は言語聴覚士やことばの教室の教師も私が上に書いたような「トータルコミュニケーション」の観点から見て行かれることが多いと思います。ちなみに手話もAACのひとつですね。

 しかし、大昔は、補聴器のフィッテイング、舌や口の使い方etc.に高い技能をお持ちでも、またそのあたりの障害のお子さんに音声言語を獲得させるのが上手な方はいても、自閉症・アスペルガー症候群・広汎性発達障害のお子さんにうまくコミュニケーションを獲得させる技術をお持ちの方は少なかったです。(少数はいました。そういう方は音声言語にこだわっていませんでした)

 また、言う音声、聞き分ける音声、が増えたとしてもコミュニケーションには使えなかったりとか。

 例えば「トイレ」という音声を出せば親が絶対関わってくれると学習したお子さんは、「関わって」と伝えたい時に「トイレ」と言うとか。そういう間違いは、いろんなところでよく起こります。

 あと「理解する」「聞き分ける(判別する)」方の間違いとしては

「きらっといきる」あら ってるねえ! 〜・西畠義浩さん〜

の中では西畠さんが「自分の名前」「ダメ」「ありがとう」の意味を完全に取り違えている様子がわかります。(「ダメ」は取り違えてないか・・・でもNGになるということは・・・)

 「言葉の教室」にしろ「言語聴覚士」によるスピーチセラピーにしろ、「音声言語の発達のために」「訓練で」通わせようとしたら失敗するでしょうね。その本人さんにとって「楽しい時間」となり「伝わった」という喜びがもてる時間でないと。(で、実際に大昔にもそんなことができている言葉の教室の教師もいました)

 例えば、私だったらこんなセラピーをしたい、という例を挙げれば

 お茶とお菓子を用意する。そしておやつの時間とする。「お茶下さい」「ジュース下さい」「砂糖下さい」とかそんな自然な会話をする場にする。もちろん必要なお子さんには「要求用のカード」を用意したり「リマインダー(心覚え)」を用意したりもする。

 これが「好きなゲーム」であってもいいだろうし。提示できる単語数、聞き取る単語の獲得数、出せる音声言語の単語数、そういったものは少なくなるかもしれない。しかし確実に使える「言葉」(音声言語であったりカードであったり自分で書くことであったり)は増える。

 
 そう言えば鈴木おさむさんがAERAでバリバラを紹介していました。

きらっといきる「バリバラvol.4〜バリアフリー・バラエティー〜」

 実のところ、私は「NHK教育がバラエティー?!絶対面白くないわ。見ないでおこう」と思っていたのです。ほ〜きらっと生きるだったのですね。

 で鈴木さんが感動しはったというのが

「ヘルパーを志す若者たちが、重い言語障害のある人のことばを聞きとるクイズに挑戦する。」

のところ。若者たちはみ〜んなトンチンカンな理解をする。それを見て(聞いて)重い言語障害のある人がたまらず笑い出す。そこが「感動」と書いてはったか、「こんなのもあり」と思いはったのだったか・・・

 でもそうやなあ、と思います。矯正することを考えずに笑い飛ばす、というのもなかなかすてきです。


posted by kingstone at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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