私は知的障害特別支援学校に勤務した時に、周囲は給食時に「さっさと食べない物のある子」に対しては有無を言わさず口の中にその「物」ののったスプーンを突っ込むということをしていました。私もそれをやり、そしてすぐに挫折しました。「こんなことできひんわ」
で「食べさせられない教師」「使えない教師」という視線を感じるようになるわけですが。(私に直接そう言った人はいません。しかし、別の食べさせられない教師に対してその本人がいない時に「あの先生はよう食べさせないから」というのは複数回聞いています。つまり本人の前では言わないが、陰で言われていた可能性は大)
そういう「さっさと食べない物のある子」というのは自閉症の子である場合が多かったわけですが。
あと威嚇と暴力にさらされるのも自閉症の子が多かった。
で、自閉症の子の教育について初めて小児精神科医のお医者様に会った時に「(自閉症の子について)口にスプーンを突っ込んだらまずくなる、という論文、データを示してくれ。それでないと教師は動けないじゃないか」と食い下がって困らせた話は、たぶん何度も書いています。「科学者じゃないか。科学でしょ」
みたいなところかな。
今EBM(evidence-based medicine)という考え方はかなり広まり、EBE(evidence-based education)という考えもあるやに聞きます。
根拠というか科学的証拠(エビデンス)をもとにやっていこう、というわけですね。実のところ、私自身は「エビデンスなんてどうでもいいじゃん」みたいな考え方を持っています。しかし他人を説得するためにはエビデンスは必要かなあ、みたいなあたりかな。
ある方がこんなつぶやきを私宛にして下さいました。
「こういうやり方はマイナスになる、というエビデンスも必要かもしれませんね。」
それに対して私が返したつぶやき。
「私が昔知的障害特別支援教育でマイナスのエビデンスが欲しいと思ったもの。「大声で話しかける(笑顔でも)」「威嚇する」「暴力をふるう」「口にスプーンを突っ込む(肢体不自由は別)」」
この肢体不自由は別、というのは肢体不自由で両手を動かせない人のためにスプーンなどで食べさせてあげることもあるから。と言っても、決して「突っ込む」じゃありませんけど。
するとある精神科医さん(と言ってもネット上のつき合いだから本当のところはわかりません。でもたぶんそうだろうな、と思ってます)がこんなつぶやきを返して下さいました。
「これは実験するのは非倫理的なので、まとまった数の症例報告、疫学的研究でも十分ですよ。なのですでにものによっては、それなりのエビデンスはあるとしていいと思います。」
「こういう副作用の多そうな介入の場合、本来は使う側に有効性と安全性の立証責任があるわけですが…。」
なるほどなあ。
「口にスプーンを突っ込む」の場合、確かに「そのままゴックンする」というのはある。
そして、その後の「問題行動が起きる」「全体的なQOLの低下」を私なんかが立証するのもなかなかたいへんだ。
「威嚇や暴力」にしたって、例えば「朝会の時にその場に黙って立っている」という現象が起きたりはする。
これもまた、他の時の「問題行動が起きる」「全体的なQOLの低下」もいろいろあるのだけど、立証はなかなか難しい。実際、時系列的には別の時に起こるし、証明はたいへん困難。
でも四の五の言わんでも、そのくらいわかるやろ、ということだったりしますが。そしてそんな「副作用の多そうな介入」をやめ、あれこれ考えて対応するとお互いに楽に楽しく過ごすことができるのですが。
自閉症で強度の偏食、具体的にはフライドチキン、最大限唐揚げ以外は食べないという生徒がいました。違うものを食べさせると下校後暴れるので親が毎日フライドチキンを持たせるので給食を食べさせないでくださいと言われそのとおりにしました。<br /> その子は卒業後数年したら偏食と体重増加で自力歩行ができなくなりました。<br /><br /> 「それも自己決定」とはちょっと思えません。自己決定信奉者はそのようなケースを考えていないように思います。<br /><br /></p>
>もずらいとさん<br /><br />食べられる物の種類を増やす手だては「スプーンを口に突っ込む」以外にもいろいろありそうです(^-^)</p>
http://ameblo.jp/kingstone/