肢体不自由特別支援学校にいた頃。
まあ異動してショックは受けましたが、私は動作訓練(心理リハビリテーション・動作法)を一生懸命学び始めます。S先生は学部が違っていたので、なかなか教えてもらう機会はありませんでしたが、それでもいろいろ教えて頂きました。何が他の先生と違うって、実際に私に技をかけてもらうと気持ちいい。他の先生はそんなに気持ちよくない。そこが大きい違いでした。
公式1週間キャンプにも行きました。
別に義務では無かったのですが、感想文というかレポートを書いてS先生に読んで頂いたところ「すぐに(キャンプを運営していた教授に)送りなさい」と言われ、送ったところ、機関誌に載せて頂けました。嬉しかったですが、翌年からレポートが義務になったのは私のせいかもしれません。義務になるとあまり嬉しくないもんです。
確か3年間で3回公式1週間キャンプに行き、トレーナー資格は取りました。まあこれは「私はトレーナーです」なんて言えば仲間内では馬鹿にされましたが。当時は単に3回行ったら取れたので(今は知らない)何ら技量を証明するものではありませんでしたから。
あと他流派(?)のキャンプにも行きました。
いろいろ行ってみてわかったのはS先生は動作訓練(心理リハビリテーション・動作法)をする人々(団体?)の中でリスペクトはされているけど、決して主流ではなくむしろ異端だということ。
例えば、当時、論文にはなっていなかもしれませんが、多くの動作訓練(心理リハビリテーション・動作法)をする人の間のヒソヒソ話として(こういうのがその集団の流れを知る大事な情報だったりします)「泣かせると子どもは変わる」「泣かせるといい」というのが飛び交っていました。う〜ん、本当に論文や実践報告にはなっていないかなあ・・・大きな流れでしたから。
で、そういう時代にS先生は「私は子どもをよう泣かさんのや」とおっしゃってました。昂然と、ではなく、何というか「微苦笑」というか「情け無さそうに」というかニュアンスが難しいですが。
「泣く」ということそのものにはいろいろあっていちがいに否定できるものではありませんが、上に書いた人々の文脈というかやってることと重ね合わせると、そら違うやろなあ、と思っていました。