私の関わりのある法人
ksbutton.png omemebuttan.png sowerbuttan.png
※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年08月07日

授業改善のために

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 kingstoneです。

 自分なりの意見をまとめていきたいと思います。
(内は、外には出さない(?)意見)

 作業学習の時間2コマを課題(認知)の時間とし、課題(認知)を今の午後と合わせ週3コマとする。

 理由。

「作業」と名前がつくと、どうしても製品を作ったり、そのための作業にひきづられ、その生徒が「何がわかり」「何ができ」「何ができかけていて」どんな課題をやっていけばいいかがわかりにくい。「課題学習」として場面を設定したほうが上記の点がよくわかる。(もちろん問題意識無しでやっていると結局わからないままになるが)

 反論として考えられるもの
「作業は高等養護でも必要だ、作業所でも必要だ」

 例えば、社会人になれば必要だ、といって通常中学校でエクセルの使い方、を毎日毎日学ぶだろうか。データベースの構築のしかたを毎日毎日学ぶだろうか。あるいは、例えば私の場合、最初は鳶をしていたのだが、そうなるためにと中学時代に足場組立の練習ばかりをする、ということがあるだろうか。

 極端に言えば、個別の作業は職場・作業所へ行ってからでもいい、という考え方もできる。

 学校時代は「本人が何がわかり」「何ができ」「何ができかけているか」を明らかにし、一つの作業をさせようと思ったら、どのような支援をすればそれが可能になるかの情報を蓄積し、進む学校や、作業所に伝えていくことができるようにする時代である。(そうなっているか?)

 ただし「一人の人間がつきっきりで指示を出し続け、手取り足取りすればできる」という支援は無しである。たぶんどのような「重度」のお子さんでも、短い時間、設定された環境でなら何かの一人でできることがあると思われる。

 さらに言えば、「つきっきり・・・」という支援(?)が問題を生むともかんがえられる。であるならば、つきっきりでなくていい環境を作る必要がある。

 また「進んだ先でこれこれを身につけておくことが必要」と言ってその子の今の状態を無視して指導するのは一見「トップダウンアプローチ」というものと誤解されることがあるが、違うものである。

 トップダウンアプローチとは「将来(今)これこれをさせたい」「今かくかくのことはできる」「今しかじかのことはできかけている」だから今「こうすればこの部分は無理なくできる」からやっていこう、という考え方である。

 この今の状態、子どもたちの力を知るためには、課題学習でさまざまな取り組みをすることが必要である。(でそれがわかれば日常の生活で子どもに対する対し方も変わってくるはずである。私と組んでいる同僚が今日しみじみと「C君、音声言語が一見よくわかっているように見えて、すごくわかりずらいんですね。きょう1対1の課題をやってみてよくわかりました」と言って下さいました。これはC君を貶める言葉ではありません。ここからスタートして初めてC君にどんな環境を作ってあげればC君が楽になるかを考えていけるわけです)

 また学校時代は蓄積された子どもたちのデータをもとに「コミュニケーション」「余暇活動」などを広げておく時代である。(そうなっているか?)

 このためにも課題学習が使える。ブロックを積むのはブロック遊びに、数字を弁別したり並べるのはトランプに、文字の弁別はカルタに・・

 また「わかって一人でできる」方法をさぐるというのは、明らかにコミュニケーション方法(指示理解のコミュニケーション方法)をさぐるのに役立つ。


問題点
 教材を作ったり考えたりするのに時間は必要であるし、その時間の確保。
−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 アセスメントについては、その日以前の学習の様子や日常生活での観察がアセスメントになるのだから、それについては「時間の確保」は主張してないわけです。

 まあ、でも「わかってる」人が指導すれば「作業」でもこのエントリに書いてることは十分できたりもします。





posted by kingstone at 12:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック