本当のTEACCH―自分が自分であるために (学研のヒューマンケアブックス)/内山 登紀夫
¥1,890
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いい本です。
対象は・・・教師や支援者(医師を含む)でTEACCHを知らなかった人、あるいはある程度わかったと思っている人かな。
もう全文引用(つまり転載!)したくなりますが、それはできない。いっぱい引用して、感想も書きたいと思います。でも当然のことながら興味をもたれた方は購入して下さい。
それと、この本は2006年9月21日に発行されていますが、ノースカロライナのTEACCH部に関しては、その後激変が襲っているようです。私が確認できるのはこちら。
TEACCH部組織改編続報
メジボブ先生、辞職。
TEACCH部の憂鬱〜パート1
TEACCH部の危機について
T入門編 TEACCHプログラム入門
1.TEACCHプログラムの基本
「TEACCHとは Treatment Education of Autistic and related Communication handicapped CHildren の略である。「TEACCH」とか「TEACCHプログラム」と呼ぶ場合には、アメリカのノースカロライナ州立大学を基盤になされているノースカロライナ州の自閉症の人とその家族、関係者(教師やグループホームなどの支援者、雇用主など)、自閉症の支援者を目指す専門家を対象にする包括的プログラムのことを指す。」
2.自閉症とは何か
「現在では自閉症は発達障害と考えられている。発達障害とは生まれつきの障害であること、症状が発達期に現れることが特徴であって、親の育て方や家庭環境が原因で生じるような心理的な障害ではない。」
「1960年代くらいまでは親の育て方が原因だと考えられてきたのだが、その考え方に世界で最も早い時期に異を唱えたのがTEACCHプログラムの創始者であるショプラー教授のグループであった。
自閉症は三つの領域に発達の偏りがあることが特徴である。三つの領域とは@社会性、Aコミュニケーション、Bこだわりである。」
自閉症の三つ組みですね。Bには「想像力の欠如」を入れる場合もありますが。どう違ってくるんだろう?
「この三つの領域の特性以外にも感覚障害といって、音や光の刺激などに過敏であったり、鈍感であったりすることがある。」
「最近では高機能自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害ということばもよく使われる。ここで大切なことは、高機能自閉症もアスペルガー症候群も広汎性発達障害も3領域の障害があることは同じで、支援の原則も同じということだ。もちろん、これらの障害もTEACCHが支援する対象である。」
昔、ある保護者が「うちは広汎性発達障害で自閉症でなくて良かった」とおしゃったという話がありました。ほんと、私なんかが説明する時もややっこしい。
3.TEACCHの九つの理念
「もっとも、この理念は自閉症療育の歴史を知らないとよく理解できないかもしれないので、多少の解説を加えながら説明しよう。」
TEACCHの基本方針・哲学(Guiding principles of TEACCH philosophy)
1理論ではなく子どもの観察から自閉症の特性を理解する
「ここでいう理論とはもともとフロイトを源流とする精神分析的な理論を指していた。TEACCHが生まれたのは1960年代だが、そのころのアメリカは精神分析が盛んで、自閉症も精神分析的な視点から理解され「治療」されてきた。精神分析的な視点の要点は、自閉症の原因は脳の障害ではなく母親の育て方など心理的なことが原因とする見方である。たとえば、子どもがことばをしゃべらないのは、母親が子どもに敵意をもっているからだといった「解釈」がされてきた。
(中略)
精神分析理論に限らずどのような理論であっても、まず理論ありきではなく、直接自閉症の子どもや家族とふれあう中で子どもの行動を理解することが大切というわけだ。」
昔は精神分析に限らず、観察せずに「解釈」し、それで大先生になるような人も多かったようです。例えば「超有名大学の超有名教授がやって来た」「超有名大学の超有名教授がやって来た2」
正直「かなんなあ」です。
2保護者と専門家の協力
「こういうとなんだかあたりまえみたいに思うかもしれないが、これも歴史的経緯がある。1940年代から1960年代にかけての欧米の精神分析的な考え方だと、親はもともと自閉症の原因であり、そのために親は治療の対象だったり、親の悪影響を避けるために子どもから隔離する対象だった。
それは誤解であることは言うまでもないが、そのような誤解と偏見を払しょくするためもあってTEACCHでは保護者と専門家が協力し合うことを重視してきた。保護者と専門家が協力して子どもの支援を行うのはもちろんだが、行政にも協力して働きかけてきた。その結果、ノースカロライナ州全体の自閉症サービスの発展につながって今日に至っている。」
保護者と専門家の関係の考え方は私にも新鮮でした。「「れもん」ボランティアさんへの講義4「保護者と専門家の関係」」
3治癒ではなく、子どもが自分らしく地域の中で生きていけることがゴールである
「TEACCHが目指すのは医学的・心理学的に自閉症を治癒させることではない。TEACCHの話をしたときに、最も素朴に聞かれることは『TEACCHで自閉症は治るんでしょうか』という疑問である。自閉症の原因は脳の障害であり、脳障害そのものを治癒させる方法は現時点ではない。したがって治癒を求めるのではなく、TEACCHでは地域社会の中で自分らしく生きていくことを目標にし、そのために必要な長期にわたる支援プログラムを提供することを重視する。」
4正確なアセスメント
「自閉症という同じ診断であっても一人ひとりの特性を知ることが大切で、それがアセスメント(評価)である。それぞれの子どもの今持っている能力、得意なこと、苦手なことを知って、子どもに何を教えるべきかを考え、環境を調整することで子どもの苦手な点を補わなければいけない。」
評価のためにはフォーマルなアセスメント(PEPなど)とインフォーマルなアセスメント(日々の観察など)があります。「私の大失敗」なんてえのもあります。
5構造化された指導法の利用
「4のアセスメントを行うことで、子どもに何を教えるべきか、教える内容の優先順位をどうすべきかを判断する。
(中略)
構造化とは個々の子どもの自閉症特性を理解した上で、その子どもが理解しやすい環境を設定するための工夫である。
TEACCHプログラムでは視覚支援を多用するが、それは自閉症一般に耳から理解するよりも目で理解するほうが優れているからだ。(中略)
TEACCHプログラムに対する批判の一つに『自閉症が皆、視覚優位とは限らない』とか『耳から聞いて理解できる子どもに視覚を用いるのはおかしい』とか『視覚障害を合併した自閉症にはTEACCHプログラムは何もできない』などといったものがある。
このような批判は前述の個別化の原則を知らないことからくる。もちろん重度の視覚障害を合併した自閉症の子どもに視覚支援は有効ではないだろう。あたりまえのことだ。視覚が使えなければ聴覚や触覚などの他の感覚領域を使って支援の方法を考えるだろう。」
そうですね。しかし「聴覚や触覚など」を使ってスケジュールやワークシステムを考えるのはなかなか難しいことではあります。それだけに視覚が使える人には使って欲しい。「いやなこと」ばかりに使おうとすると、折角の視覚すら使ってくれないようになりますから。
「また、視覚による指導を受けたことがない子ども(いつもことばの指示だけ)に、急に絵を見せてもすぐには理解できないこともある。一見聴覚優位にみえても、視覚を用いた指導を一定期間試してみることはむだではない。
もっとも少数だが視覚よりも聴覚のほうが指導しやすい子どももいる。そういう場合は、その子どもに合わせて構造化の方法を考える。それが個別のアセスメントに基づいた”構造化された指導”ということだ。」
そういや「この子は視覚優位じゃない」と専門家からも言われていたお子さん。単に「好きでもないこと」ばかり見せられてるからで、「とっても好きなこと」は一発で理解してました。って言ってもそれに私が気づいたのは何年も後・・・
6認知理論と行動理論を重視する
「支援プログラムを考えるときに認知理論と行動理論を重視する。これも精神分析の強い影響を受けた自閉症療育の歴史が背景にある。60年代までの精神分析的な治療報告では1例や2例といったごく少数のケースをもとに複雑で難解な理論背景から説明するといったものが多かった。」
ではあるのですが
「実際に『TEACCHは応用行動分析の改変版(Modified Applied Behavior Analysis)だという意見があるが』と水を向けると、ショプラー教授もメジボフ教授も『それは違う』と即座に否定したのが印象的だった。」
確かに。私の言い方だと「背景に応用行動分析の考え方がある」ということになるのですが。あくまでもそれは「背景」であり表には出てこない。う〜ん、でもないか・・・
基本的に「いい行動をする」と「得をする」を大事にするし、トークンエコノミー(シールをためていくと10個そろったら好きな物と交換できる、など)も使うことあるし・・・なんだけど。
7スキルを伸ばすと同時に弱点を受け入れる
「子どもが課題に失敗した時は、課題が子どもに合っていないのではないかと考え、課題を子どもの能力や関心に合ったものに変更するか、構造化の方法を再検討する。
課題に成功した時はことばや態度などでほめることは当然だが、子どもがほめられていることが理解できること、少なくとも子どもがほめらて喜ぶ方法を選択することが大切である。触覚過敏があって嫌がる子どもの頭を撫でたり、耳塞ぎするほど大声でほめることは逆効果であることは言うまでもない。」
あははは。やってしまいそう。
「アメリカでも日本でも『TEACCHプログラムは子どもをほめない』とか、『TEACCHプログラムは強化子(ご褒美)を与えない』という批判があるそうだ」
強化子を与えると言って批判され、強化子を与えないと言って批判され・・・たいへんだ。
「確かにTEACCHプログラムでは、子どもにとって無理な課題をご褒美(菓子など)で引きつけてやらせるということはしない。子どもの現在の能力を評価して無理のない課題を設定するため、ご褒美は必要ないことが多い。課題が『できた!』という達成感そのものが動機付けになるのでご褒美はあまり必要ないのだ。
しかし課題ができたり、子どもが頑張ったときは『Good Job!』などとほめるのはTEACCH部のセラピストにとっては当然のことだ。子どもにも親にもポジティブに接することはTEACCHプログラムの基本中の基本であって、メジボフ教授は『TEACCHのコアバリュー(基本的価値観)の一つは相互に敬意を払い好意をもつことである』と言っている。」
強化子・・・「お菓子でコミュニケーションの練習」なんかは「できない行動ができたらご褒美をあげる」というタイプではなくて、機会利用型指導法(incidental toraining)だしなあ。
過去の記事34(お菓子を使ったコミュニケーション指導の事例は?3)
自閉症の人に音声言語で話しかける
「TEACCHと人間性」の訂正
8ホーリスティック(全体的)な見方を重視する
でた!!ホーリスティック・・・なんか代替医療みたいな言葉ですね(ニコ)でも全然そういう意味じゃなくて・・・
「最近は日本でもそうだがアメリカでは多職種の専門家がいる。小児科医、精神科医、教師、ケースワーカー、言語療法士、作業療法士、行動療法士、家族療法家、ダイエット専門家といった専門家である。それぞれの専門家が自分の見地だけから支援の方法を考えると誤解が生じやすい。つまりホーリスティック(全体的)な視点が欠如しがちで、介入すべき優先順位をだれが決めるのかということも曖昧になってしまう。
(中略)
しかし、スペシャリストであると同時にその子どもを全体として理解しかかわることができるジェネラリストである必要がある。」
ジェネラリストが必要という話でした。
9生涯にわたるコミュニティーに基礎を置いたサービス
「現在のところ自閉症を治癒に導く治療法はない。自閉症は生涯にわたる障害であって、どこかで集中的に治療すれば治るというものではない。したがって、支援も生涯にわたって必要であるという前提にたっている。」
4,TEACCHの歴史
初期のTEACCH
「TEACCHは1966年から72年にかけてノースカロナイナ大学で行われていた自閉症の研究プロジェクトにその端を発する。」
「ベッテルハイムという心理学者は(中略)
このような精神分析的な考え方が支配的であったのだが、この説を支持する実証的根拠は乏しかった。また、この説に基づいた母子分離と絶対受容という治療もほとんど効果をあげていなかったし、多数例を対象に効果をあげたという報告もなかった。1例や2例程度の治療報告で効果があったとされただけで、効果のあがらなかったケースは報告さえされなかった。
当時から精神分析的な解釈や治療に対して疑問を抱く専門家もいた。その一人が、シカゴ大学でベッテルハイムのもとで臨床心理学を学んでいたエリック・ショプラーである。
1964年にノースカロナイナ大学に移ったショプラーは、自閉症児の対人関係と感覚受容機能の障害の関係などを検討し、自閉症は脳の機能障害であるという説を提唱した。TEACCHプログラムに対する批判として心理学的な手法を用いた研究が少ないとか、理論はいつも他からの借り物だという人がいるが、そうではなく、むしろ世界で最初のころに自閉症を発達心理学や認知心理学的方法論で検討したのである。」
ふ〜む、「心理学的な手法」って何だろう?「他から借り物の理論」だったらいけないのかな?全然その批判というやつがわからないな。「白い猫でも黒い猫でも鼠を獲るのはいい猫だ」というのを思い出しますが。
「なぜ親がそこまで非難されていたか。自閉症が容易に改善しない障害であるために、上手に治療できないことに対するフラストレーションや自己嫌悪が親に向けられたといった事情があった。」
う〜ん、これはそれこそ「精神分析的解釈のしすぎ」のような気も・・・でも、「悪者捜し」の矛先がとんでもない所に向けられるのはよくありそうなことです。
「次に、自閉症の親が子どもをどう評価しているかという研究を行った(72年、共同)。当時は自閉症児の親は子どもを適切に評価できるはずがないと考えられ、子どもの評価や指導はもっぱら専門家の役割と考えられていた。それに疑問を持ったショプラーたちは実証的な検討を行い、自閉症児の親はグループとしては(つまり少数の例外はあるが)かなり正確に子どもの発達レベルを評価していることがわかった。何らかの理由により標準化されたテストが実施できないときにプログラムを立案する際には、親の情報が有益であることも確認された。
このような一連の研究結果を踏まえてショプラーは親を共同治療者とすることを「共同治療者としての親」(71年)で提唱した。
(中略)
初期のTEACCHについてまとめると、TEACCHはまず精神分析的な考え方に対するアンチテーゼであったということだ。」
第2期のTEACCH(1972年から78年)
「保護者と協力して行った政治家などへの働きかけの結果、ノースカロナイナ州として正式にTEACCHをサポートすることになった。TEACCHセンターも3か所設置され、11のTEACCHクラスが公立学校に登場した。臨床上の必要から診断・評価に用いられるCARS(小児自閉症評価尺度)、PEP(教育診断検査)、AAPEP(思春期・青年期教育診断検査)の開発が始まった。」
始まったってことはこの時点では、まだできていないのか。
「ショプラーらは州内では公立学校の教師のトレーニングを教育当局との共同のもとに始め(P124参照)、アメリカ国内では全米自閉症協会の創立を支援し、アメリカ精神医学会の診断基準の作成に貢献した。」
第3期(1978年から83年)
「この時期は初期にTEACCHが支援した子どもたちが青年期や成人期に差しかかった時期である。自閉症が治癒する障害ではないことも事実として受け入れられ、当然の帰結として自閉症の成人のためのサービスの開発に重点が置かれるようになった。ショプラーはスタンフォード大学からゲーリー・メジボフをTEACCHセンターに招聘した。メジボフの参加はTEACCHに認知社会的学習理論の視点を加えることになった。」
「TEACCHに影響を与えた心理学者にバンデューラとミシェルがいる。メジボフはスタンフォード大学で彼らのもとで学んだ。
バンデューラは、(1)人間は認知的存在である、(2)能動的な情報処理を行う、(3)行動とその結果を考える、(4)自己の考えに基づいて決定する、(5)実際の経験よりも次に何が生じるかの予測によって自己の行動が影響されることなどを重視した。
(中略)
ここでもう一つ大切な概念は、バンデューラが提唱した『自己効力感』である。人間が生きていくためには自分が有能であるという感覚が大切である。自己効力感を得るためには成功体験を積み重ねることが必要である。逆に失敗体験を重ねると自己効力感が弱まってしまう。
(中略)
行動理論からだけでは構造化の考えは出現しないだろう。構造化の背景には認知理論がある。さらに、構造化された状況下では子どもが自信を持って達成できることが増えていく。スキルを増やすことよりも子どもが自己効力感を持てることの方が優先する。構造化とは子どもが自己効力感を持って学習や生活をしていくための支援手段なのである。」
TEACCHが認知心理学的である、ということ、今までそういう説には触れたことはあったのですが、やっとこれでわかりました。
第4期 1984年から現在まで
「TEACCHの支援の対象とサービスの内容は時代とともに広がっていた。より低年齢の子どもたちの早期療育、典型的な自閉症だけでなく高機能自閉症やアスペルガー症候群の子どもや成人がTEACCHでの支援を希望することが増えている。
(中略)
最近のTEACCHについては後で詳しくふれることになる。」
ふ〜〜、ここまでで「T入門編」P33まで。
う〜ん・・・感想文全部書くのにどのくらい時間がかかるんだろう。
今、肢体不自由の世界にどっぷりつかってますので、最新の情報を読ませていただき感謝です。<br /><br />世界は動いてるんですね。</p>
>d-moon@fedhanさん<br /><br />今回紹介した部分は「過去」のことですし、私は過去の人間ですが、<br /><br />最近Twitterを始めてそんな過去の知識でも結構今に役に立つこともあるのだなあ<br /><br />と思っています。<br /><br />肢体不自由児教育の世界はそれこそ激変しているようですね。<br /><br />ちなみに障害児教育フォーラムは登録に失敗して行かないままになっています(涙)<br /></p>
http://ameblo.jp/kingstone/