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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年07月20日

高機能自閉症児を育てる 第3〜5章 高橋和子著

高機能自閉症児を育てる 第1〜2章 高橋和子著 の続きです。


 前回書いたところまでは「なかなかいい感じ」に進んでいましたが、ちょっといろいろ大変になります。

第3章 小学校時代

 主治医から「知的障害は無いのではないか、今のところ療育手帳をとらずに、通常学級へ入学してはどうか」という話があり、園長先生からも通常学級を勧められます。

「ところが、Tが年長になる年に、夫の立命館大学への就職が決まりました」

ということで、引っ越さなくてはならなくなります。しかし調べた結果、京都の「適性就学指導委員会」では通常学級への進学は難しいだろうと、高橋さんが判断されます。そこでTさんを連れて大阪府のいろいろなところの具体的な支援などを見たり、考え方を聞いたりした結果、枚方市を選ばれます。ところが、見学したような仕組みをとっていたのが47校中4校しかなかったそう。

 で、引っ越せた住所の地域校に行くことに。ところが最初は通常学級にと言っていた校長先生が急に特別支援学級にと言い出します。これは後で推測されていますが、Tさんが特別支援学級に入れば担当教師を1人増やせるという状況だったのでしょう。

 しかしその学校の特別支援学級は教室が物置になっており、在籍児は全員全時間通常学級にいたそう。つまり担当教師が一人ひとりにつく時間が限られ、またいろいろな理由で手がかかる(?!)お子さんがいれば余計につけなくなります。

 これは大阪でも地域によっては違うと思いますが、大昔、全体にそのような傾向はあったようです。そのため結果的に適切な手だてなく「放り込まれる」状態になってしまうと。もちろん理念は素晴らしいのですが。

 結局、高橋さんは通常学級在籍を選択されます。すると学校とのコミュニケーションがとたんに難しくなったとか。確かに大昔の通常学級では個別の情報を取るなどというようなことは、あまり無かったですから。

1年生の時の担任さんは

「Tが学校から持ち帰る連絡帳に書かれていることが分からない(これは近所の同じクラスの子に聞いても同じように書かれた連絡帳になっているので、Tの問題ではありませんでした)ので、私から、連絡帳の内容について質問してみても、理解できるような答えが連絡帳に書かれて返ってきません。どうも文章を書くことがあまり得意な先生ではなかったようです」

とのことです。まあ、何と言うか・・・しかし、私の周囲では通常学級の先生が個人の連絡帳に書く時ってのは、何か事件のあった時くらいでした。1年の最初だと、もちろん自分で書けないので、プリントにして連絡帳に貼りつけさせることが多かったです。この先生は個人の連絡帳にみんな書いていたのか?だとしたらとんでもない仕事量になりますが。

 Tさんは様々(例えば給食当番)のことを具体的に教えてもらえず問題が噴出してきます。

 また先生はTさん以外の子に対してなのですが、大声で怒鳴りそれがTさんをおびえさせます。また配慮の無い運動会で「その後のTはかなり長い期間恐怖にさいなまれました」という状態になります。

「Tを『通級学級』に通わせたいことを校長に訴えましたが、『本校では、これまで「通級学級」を利用された方はおりません。ですからT君にも「通級学級」はお勧めできません』と校長先生はきっぱりと言われました。」

 これは校長先生の不勉強ですね。なおこの場合は「ことばの教室」のことです。当時なら、もし「情緒障害通級学級」があったとしても通わない方が正解だったと思います。今は随分変わってきているでしょうが。

「学校に対して、私はさほどの頻度で懇談を申し込んだとは思っていません。しかし、話し合いの機会がなかなか設けられず、Tの小学校生活スタートの時点で学校側とコミュニケーションがうまくとれなくなったことは、非常に残念なことでした」

 確かに、ここに書かれている範囲なら多くは無いですね。また教師側に理解があれば懇談自体も短く簡潔に行うことが可能であったろうと思います。

 2年生になって高橋さんはTさんがいじめられている場面を見ます。しかしTさんはそれをいじめとは理解していないようなので様子を見ることにします。そのうちにTさんは周囲の言葉づかいから「ばか」「あほ」と言い返すことを覚えてしまいます。

 いやはや「ばか」はわかりませんが、私の地域では「あほ」はごく日常的な言葉で、昔、嫁いで来た私の母はそれがものすごくショックだったと言っていました。喧嘩を売る時は「ぼけ」とか「だぼ」なのですが。言い方とかはTさんにはすごく難しいことでしょうし。

 ある日(本の中では特定されています。しっかり記録なさってた、ということですね)Tさんをよくいじめていた子が松葉杖で登校したのに対し、Tさんは「車椅子ばか」と言ってしまいます。それを知った担任は物陰へ連れて行って(!?その余裕があるのだったらするなよ)2発ビンタします。

 これでTさんは嘔吐するようになり、学校に行けなくなります。

 何とか行けるようにしたいので保健室登校・学童登校も考え校長と担任にクラスの生徒と学童に来ている子全員に説明することを求めます。しかし学校は説明せず「さぼりや」とTさんをからかったようです。また職員への説明も求めはりますがそれもなされませんでした。(注・そのたびに高橋さんは具体的文を示しておられます)

 校長先生・教頭先生・担任との会話。

「私たち夫婦は、学校が『善処する、本当に申し訳ない』と言ったので、もう1か月も待ち続けました。この1か月、善処すると言われた中身は何だったのでしょうか。学校はこの1か月の間に、Tが学校へ登校できるようにどのような問題解決をなされたのでしょうか」と尋ねても、3人の先生とも無言です。では、「今後どのようにこの問題を解決していただけますか。見通しがあったら聞かせて下さい」と尋ねましたが、今度は「分かりません」という答えが返ってきただけです。

 ふ〜・・・校長・教頭・担任はまあ善意であるのは間違いないとして、「善処する」というのは「見守る」「見る」ということを示すことが多く、結局「何もしない」ことの意味である場合が多いです。ちなみに法律では「善意」とは「知らない・わかっていなかった」ことで校長・教頭・担任はまさしく「わかっていなかった」と思われます。

 こういう時、保護者もなかなか高橋さんのように具体案が出せないかもしれません。そういう時に役立つのが

発達障害のある子への支援 小学校編
発達障害のある子への支援 中学校以降編
(保育園・幼稚園編もあります)ですね。

 お父さんの言葉

「私どもは1か月待ちました。先生方を不当に責めたりすることもしませんでしたが、何の解決案もないということでしたら、これからは、私どもから教育委員会などの相談機関を通して相談させていただきますがよろしいですね。最初は市教委に相談させていただきますが、それでも問題が解決できない場合は、府教委、文部省(現文部科学省)と上位機関に相談させていただきます。文部省には、私の知り合いもおりますので、話はすぐに通じると思います」

 まあ文部省云々は誰でもが言えることではありません。でも校長・教頭そして教育委員会の人には相当効く言葉かもしれません。(現場の担任にはピンと来ないかも)なんせ

文部省の課長さんは滅茶苦茶えらい

ですから。

 教育委員会については、もう最近ではこのような相談の窓口はしっかりあると思いますし、別に校長・教頭・担任の許可を得て相談するようなものでも無いとは思います。

 高橋さんは2年生のクラスの子どもたちに1コマとって説明することになります。30分ほど話したところで、半分くらいの子が泣いていたとか。そして話が終わると一人の子が立ち上がり「間違っているのは先生だ」と言い高橋さんは「誰も間違っていないんだよ。先生もTが心優しい子どもになって欲しかったから注意しただけなんだから」と説明したそう。

 年度末の職員会議で翌年の話になった時に「あのお母さんとT君なら、私が担任をさせて下さい」と言った先生が5〜6人出たそう。嬉しい話です。

 翌年は職員30人ほどのうち叩いた先生を含め10人余りが転出し、実力のある先生方がやってきたそう。まあ1/3の異動だったら少なくはないけど、それほど多くはないと思いますが。「余り」というのが結構多いのかな。

 なお、高橋さんはこんなこともされてます。

「Tが安心できるようにするためには何でもしました。Tには暗示にかかりやすい面もあったので、『神頼み』もしました。『今から、先生が雷を落とさないように、雷除けの有名な神社に連れて行ってあげるからね』と雷除けの神社として有名な京都の北野天満宮に連れて行きました。宮司さんがいらしたので、『実は学校で、よく雷を落とす先生がいるのですが、この子に雷が落ちないようにしていただこうと思ってこちらへ来たのです』と話しましたら、宮司さんは、『ここの神様はすごくよくきくんだよ』と話を合わせてくれました。厄除けのお守りもいただき、ランドセルに結びつけました」

 こういう神頼みだといいですね。

 結果的に高橋さんは学校と意思疎通できるシステムを作れます。

 主治医の白瀧先生や大阪教育大で高橋さを指導されていた里見恵子先生(インリアルで有名。すごい実践家で、私は肢体不自由特別支援学校時代に何度も講演をうかがっています。印象的なエピソードもありますがまた別の機会に)が先生方に話をして下さったりもしています。そして高橋さんのあげる注意点が

トラブルが起きたときには

「1.優先順位をつけて、いちばん大切なことをひとつ伝える(一度にたくさんのことを相手に伝えようとしない)。
2.お願いではなく、具体的方法を提案する。建設的な提案をする。
その提案が学校で役に立てば、先生方はもっと情報を聞きたいと思います。この親に相談すれば、問題が解決できるのではないかと思うのです。そのときに、教師のニーズに合わせてそのほかの提案をすればよいのです。」

 確かに。ただかなり難しいことではありますね。最近、私も日本自閉症協会の掲示板での回答の最後に一般のお医者様のことと思って

「まあ、何というか、保護者もうまくいかないことを、自閉症に詳しくないお医者様に何とかしてもらおう、というのはなかなかむつかしいかもしれません。」

と書いてしまいました。つまり保護者がまずできないと、と・・・しかし、本当は教師や支援者、専門家と呼ばれる人たちができないといけないのですが。そこを保護者に要求するような書き方になったのはまずかったかなあ、と。でも、現実にはできないと困る場面もあるのですが。そして世界で一番その子のことを知っているのは保護者、ということもありますし。

 まあ、そういう点で、本当に上記の本は役に立つと思います。

児童期の支援

理解を得やすい説明とは

「また、説明者が是非説明をしなければならないと思っている内容でも、聞き手があまり問題には感じていないこともあります。そのような場合に、説明者が自分の思いで懸命に説明をしても聞き手との間に意識のズレが生じてしまいます。聞き手の意識に合わせて説明の内容を調整する必要があります」

 これは私も何度も失敗しているし、今でも失敗しているだろうところですね。

特別な配慮をしない大人との会話練習

「それがうまくいくようになって、親子の意思疎通ができるようになった段階で、息子に特別な配慮をしないボランティアの大人に自宅に来てもらい、その方々と会話をしました。息子の会話が分からないときには、無理に分かったようにTに合わせず、分からないことをTに言ってもらうようにお願いしてありました。息子が会話の相手の意図をうまくくみ取り、それに応じた応答をすること、相手の会話の意図が自分の意図とずれていたときには、そのズレを調整する(会話の調整能力)支援をした期間が1年くらいありました」

 全場面をビデオに撮ってはります。恐竜の話が面白い。

ゲスト「恐竜はどうして絶滅したの?」
T「わからん」

 Tさんは「まだ学界では恐竜絶滅説については、どの説と決定するには及んでいない。ゆえに研究してみなければ、どの説がもっともか分からない」ということであるようです。で、ここでか、後でか高橋さんが介入し、自然な話ができるように持っていかれています。


第4章 中学校での支援とアルクラブ活動

 中学校は教科担任制ですから

「多忙な先生方に同時に集まっていただき説明をするのは、難しいと考え『「高橋T』を理解する−生育暦・特徴とかかわり方−」という先生向けのTオリジナル版支援マニュアルを作成しました。支援マニュアルは、読み手が負担を感じない程度に、できるだけボリュームを絞りました。また、私たちの一方的な『お願い』にならぬよう、Tを引き受けて下さる先生方へのねぎらいと感謝の気持ちも伝えました」

 サポートブックと言ってもいいですね。マニュアルと言えば嫌な顔をする方もおられるかもしれませんが、まさにマニュアル。そしてそれは随時更新されるものです。そこんとこ忘れると困りますね。

 面白いのは

「先生方が、マニュアルに書いてあるほど支援しなくても大丈夫だと思い、各自通常のやり方で授業を始めたら、3週間目ころからぽつぽつと珍事が起こり始めたそうです。
 支援マニュアルに、Tに対して必要だと書かれてあった支援を行わなかったとたん、書いてある通りのことが起こったと言って、職員室にマニュアルを握りしめ、飛び込んで帰って来る先生が何名か現れたそうです」

 いやーわかります。ついね、忘れてしまうんですよね。

 中学2年の時、複数の生徒から集中的にからかわれるという出来事が起こります。

「Tはプールのことを聞かれるのが嫌だったのです。最初に『プールはどう?』と尋ねた同級生は、あいさつのようなつもりで『プールで調子よくやっているか?』と聞いたのだと思います。しかし、この出来事で、Tに『プールはどう?』とからかえば、パニックを起こして困るので面白いという情報が、同級生から同学年の生徒にまで知れ渡ることとなりました。それで、同学年の腕白な複数の生徒から、毎日何度も『プールはどう?』とからかわれることになったのです。」

 自閉症のお子さんをからかうのは子どもに限りません。例えば

過去の記事59(たたく、引っぱる3 問題行動への対処)
暖かい心?冷たい心?

 このからかいについては、なかなか対処が難しかったようですが、あの手この手で解決されます。しかしある先生が指導した子の中には

「Tは勉強ができるのに、なぜ生まれつきの障害があるって言えるんだ、僕らのほうがTより勉強できないじゃないか」と言ったそう。無茶苦茶胸をつかれます。これまでいろんなことに傷ついてきた子なんだろうな。

 たぶんこの頃、私は高橋さんに特殊教育学会でお会いして、質問しに行きました。あちらはもう覚えておられないでしょうけど。こんな頃です。

高機能自閉症児を理解し援助するためのマニュアル試案の有効性について


 高校進学については地域の府立高校へ行こうかとも思われたのですが、職員向けにアルクラブの啓発セミナーの案内を送ったところ校長に握りつぶされる、ということが起こりあきらめはります。

 私学の学校説明会に行ったところ「こんな子で」と説明しても門前払いするところは無かったそうな。確かに少子化も始まっていたし、私学の方がより危機感を持っていたでしょうね。噂のレベルですが、私学が特別支援学校の進路担当者を引き抜きに動いている、という話もあったりしますから。

 結局、京都の洛南高校だけを受験し合格しはります。


アルクラブ発足

「私たちがアルクラブを始めたのは、まず第1に同じような障害をもつ同年代の子どもたちの中で、子ども同士のコミュニケーションやソーシャルスキルの支援をしたいということ、2つ目には、定型といわれる子たちとではリラックスできる人間関係が作りにくいので、アルクラブでの活動を通じて、同じ趣味や興味を共有できる友人関係を育てていき、将来大人になったときに社会に居場所があるようになればと考えたからです。このような支援は、義務教育や医療機関では、当時も今も取り組まれていません。」

 最近はそうでもないような気がします。義務教育の場では無いかも。しかし医療の場では取り組まれているところも知っています。またそれこそNPOであったり、個人であったり、会社であったりで様々に取り組み始められていますね。


第5章 義務教育後の進路

「洛南高校は、規律や校則の厳しい学校としても知られています」

 これは良かったでしょうね。私の知っている例では、校則に「髪を染めるのは禁止」となっているのに茶髪の子がいるじゃないか!とアスペルガー症候群の生徒とその保護者(たぶん保護者もその傾向があったのじゃないかな)が学校にねじこみ大騒動になったというのがあります。

 Tさんはほとんどパニックを起こさず過ごせたそう。しかし

「Tがクラスに在籍することに不快感をもたれた保護者が中心になって、臨時保護者懇談会が行われることになりました」

 この会には高橋さんは出席されませんでした。教頭先生や担任の先生とは話し合いされたとか。

「結果的には、教頭先生が『誰かのせいでうちの子どもが勉強できなくなったという対立は、一般生徒の保護者同士でも起こることなので、T君に障害があるからこのような問題が起こったとは思わないで下さい。私が堰になって、担任の先生やお母さんが悩まないですむように全部シャットアウトしますので安心して下さい』と言われ、この問題は収束へと向かいました」

 そして私が唯一この本で泣いたところ

「洛南高校の生徒には、理解力の高い子や倫理観の強い子どもが多く、何も知らせなくても息子のことをよく理解し、Tを助けてくれるクラスメートが何人もいました。親同士のトラブルがあったときにも『恥知らずな親もいるもんだ。僕らの間ではTのことはもうよく分かっていて、全部片づいたことなのに、親の方が不安で今ごろ何を騒いでるんや』と言った生徒が多かったと聞きました」

 そして一浪の末、京都大学に合格します。

「しかし、日本の大学では、Tが大学に入学するまで、発達障害学生のための支援をシステムとして行っている学校はありませんでした。そこで、私たちは、京都大学に、既存の障害学生支援のシステムに準じて発達障害学生の支援システムを作り、Tを支援してもらえるように要望しました。」

「支援チームのメンバーは、工学部工業化学科の教授と准教授が4名、工学部事務の方が3名ほど、高等教育研究開発推進機構の方が約3名、学生カウンセリングの教授が1名の10名以上で構成されました。必要に応じて、教育学部や医学部とも連携できる旨も伝えられました」

 ふえ〜すげ〜。もちろん学生とのやりとりも重要だったでしょう。

 進路の話で少し小学校時代に戻ります。小学校1年生の時に京大を見に行って

「僕はここに来て数学を勉強したい」

と言っていたのが小学校2年生で

「僕は数学を目的には勉強しません」
「僕にとって数学は目標ではなく、ツールだと思う」
「僕が本当にやりたいのは化学の方だと分かった」

と言ったとか。すごい・・・で

「Tが小学校3年生になったとき、初めて買って欲しいと言った本が『高校化学シグマベスト』でした。私は、小学生にしては変わった本の選択だと思いましたが、Tが物を買って欲しいと言ったのは初めてだったので、少しうれしく思い、その参考書を買って帰りました。Tは、2か月ほどで、参考書の内容を吸い取るように読み、まるで、受験生の参考書のようにぼろぼろになってしまいました」

 ここでも「やらせよう」じゃなくて、Tさんの興味関心を追いかけるというか、興味関心につきあってはることがわかります。そしてこんなことも言いはります。

「私は、Tに常々『勉強については、あなたにとって趣味のようなものです。勉強中心に時間を割いてしまったら、あなたが生きていくための力を育てることができなくなります。うちの家訓は「職業に貴賤なし」です。そして「働かざる者食うべからず」です。化学者になれなかったときに、あなたには療育手帳等は交付されないので、もしかしたら化学とは関係のない、望んでいない職業につかなくてはならないかもしれない。それも覚悟をして、化学者を目指すなら目指しなさい』と言ってきました。
 本当はそんな言い方はよくないのですが、働く人になって欲しかったのと、標語のような表現がよく腑に落ちるようだったので、『職業に貴賤なし』や、『働かざる者食うべからず』という表現を使って、よく言い聞かせていました」

 もう高橋さんはいろいろなことがよくわかった上で「個別のT君に」言っているわけですね。ここまで読んできて反発される人はどなたもいらっしゃらないと思います。ここのところが大事ですね。発達障害でも様々な事情のある方、様々な状態にある方がいらっしゃいますから。

「Tのことについて、世間の人は、3歳にもなってしゃべれないと言われた自閉症の子どもが、京都大学に入学し大学院へも進んだと聞けば、何か成功物語のようにとらえがちです。しかしそれは違うと思います。いろいろな高機能自閉症スペクトラム障害の子どもがいて、大人になったときに、その人らしく社会の中で生きることができれていれば、それが幸せなことだと思います」

「学歴を高くするということは、メリットに働くばかりでなく、デメリットになることもあります。Tの場合は、大学院修士修了で就職活動をすることが難しかったのと、本人の研究者になりたいという希望を追求するために、博士後期課程に進むことを考えています。ただ、この先の人生をどのように開拓していけるかについては、今までと同じように悩んだり、迷ったり、トライしたりしながら探していかなくてはならないと思っています」

 そうですね。まだまだ途上におられる。
 まあ、人間、みんなそうなのかもしれませんが。


posted by kingstone at 15:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>学歴を高くするということは、メリットに働くばかりでなく、デメリットになることもあります。

 これは日本特有の現象です。欧米は正しい学歴主義で製薬や電機の開発で博士課程修了より学部卒が優遇されるようなことはあり得ません。いくら「私は東京大学理科三類の卒業だ」と言っても「でも学士なんだろ?」で終わりです。校長が教育博士号所有というのも珍しい話ではありません。
Posted by もずらいと at 2011年12月31日 16:41
もずらいとさん、どうもです。

>学歴を高くするということは、メリットに働くばかりでなく、デメリットになることもあります。

|これは日本特有の現象です。

まあ特有かどうかはわかりませんが、私なんかは「それはそれでいいんじゃね」と思いますねえ。
フィンランドではそもそも修士が無いと教師になれないとか。
それもなんだか、と思います。
Posted by kingstone at 2011年12月31日 17:15
 私はそうは思いません。日本が没落した原因の一つは「専門家」の「訓練」を受けていない「難関大学卒」が政治の裏方を仕切ってしまったからだと思います。まともな学歴社会にならず「学閥社会」にしてしまったのが今の日本を生んだと思います。
Posted by もずらいと at 2011年12月31日 18:43
 「進歩」は好むと好まざるとにかかわらず「うけいれるしかない」というか「清濁併せ持つもの」ですね。
 言えるのは「良いとこ取りの進歩」はないということです。
Posted by もずらいと at 2011年12月31日 19:33
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