アフガン農業支援奮闘記/高橋 修
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編著者は高橋修さん。
1930年現在の京都府綾部市生まれ。
1951年京都府立農業講習所卒業。
1952年京都府採用、農業改良普及事業に従事。
1988年京都府を退職。
1990年から2001年まで、国際協力機構(JICA)の専門家として、また全国農業改良普及支援協会の
委嘱により、東南アジア8カ国の農業普及改善について技術協力。
2002年から、PMS(ペシャワール会医療サービス)の農業計画担当として、アフガニスタンで現地
指導と後方支援に従事
という経歴の方です。もう80歳ですね。
ペシャワール会の活動を始めはったのが72歳。
ご自身が農業で生計を立ててた、というのじゃなさそうですが、普及事業にずっと携われてきたことがわかります。
この本は高橋さんの文書を中心に、亡くなった(殺害された)伊藤和也さんや他のワーカーさんの文書がまとめられています。正直文は拙かったり、それこそ自慢話めいたりするところがあったりしますが(って、私が他人のことを言えた義理じゃないですが)でも、ものすごい迫力です。
ペシャワール会の農業支援ワーカーさんも農業の経験はそこそこある人もいますが、高橋さんが統括指導をしてはったということになるのでしょう。
ちなみに伊藤和也さんの経歴は以下のよう。
1995年春 - 静岡県磐田市内の静岡県立磐田農業高校を卒業
1995年春 - 磐田市の静岡県立農林短大(現・同県立農林大学校)に進学。園芸課程の野菜コースを専攻
1997年春 - 2年学んだ後、農業研修でアメリカに渡った
2003年7月 - 静岡市のアフガン支援NGO「カレーズ(地下水脈)の会」(葵区)の
小野田全宏・副理事長(61)。半年ほど会員として活動
2003(平成15)年12月 - アフガンへ渡る
高橋さんをひとことで言えば「農業普及オタク」という感じでしょう。もちろん賞賛です。
様々な実践をし、細かくデータを取っておられたことがよくわかります。
JICAはこの度の事業仕分けでも話題になっていましたが、高橋さんもその「硬直的なスキームの弊害」を書かれています。
インドネシアの例。
「もう一つは、過去に日本から供与された機材が雑然と積み上げられていたことである。例えば、電極に結晶がついて使用不能になった土壌分析用の機材とか、素人が分解修理しようとして配線が露出したビデオテープの編集機などである。特に驚いたのは、過去に供与された機材を整理するよりも、「新しい機材を買った方が楽だ」との受け止めが大勢になっていたことである。
つまり技術協力の内容も供与機材も、相手側の必要性とか技術レベルとか、さらに管理能力もお構いなしに、日本の物差しで指導・供与されていたことである」
スリランカの例。
「その専門家達の「実態が分からないからまず農家調査を」との要求に押し切られ、約180項目の調査票を作り6集落・約200戸の農家を対象に面接方法で聞き取り調査を行った。調査票を作るのに約半年、試行調査を含めて1年近く調査に費やしたが、結果は無惨なものであった。調査員によって記述のニュアンスが異なり、空白が多いため集計自体が困難で、もちろんクロスしての分析などは全く不可能な代物であった。その上スリランカ政府の高官からの批判もあり、調査票の山を見てため息が出るばかりであった。何より実態調査が農家の意欲の向上に結びつかず、”調査のための調査”に終わってしまったことである。プロジェクト発足早々の1年半の空費は痛かった。」
ちょっと違いはあるかもしれませんが私の体験では文部科学省から現場に下りてくる調査ってやつも・・・もちろん行政が何か事業をしようとしたら裏付けとなる調査が必要ではあるのでしょうが・・・
例えば情報処理機器の実態調査・・・馬鹿馬鹿しい。
この後に実態把握について書いてはります。
「ところで、いろいろな参考書には、「仕事の始めにまず実態を把握して・・」とある。仕事の開始時点における実態把握とは、農業センサス的な悉皆調査とか統計的な計数ではないようだ。私の経験上、また農家の反応を見る限り間違っていないと思う。センサス的な実態把握をあえて無用とは言わないが、それよりもまず、農家の心と触れあう中で得られる生の実態、生の意見が遙かに優先する。もっと言えば、実態把握は指導する側の必要によって行うものではなく、実態と問題点・課題を農家と共有すために行うものだ。農家と共に行う実態把握は、即、農家を動機付ける活動の出発点であると思っている。」
ですね。少なくとも特別支援教育でも同じです。
で高橋さんは「現地主義」を主張されます。
「主役は農家」「現地の技術を改良しながら」「資機材は現地調達を基本として」
ふむこれと自閉症の人への特別支援教育とを考えるとどうなるだろう?
まあ決して「日本の伝統教育が一番」という考え方にはならないだろうな。
「主役は自閉症の人本人」「現地の技術(ってのは決して日本生まれの療育とかいうのじゃなくて、それぞれの場の工夫だと思う)を改良しながら」「手に入る物を基本として」手に入るものはいろいろあります。ありふれた物も、安く買える物も。無理して手に入れる必要がある物じゃなくてね。
実態把握についての方法を高橋さんが書いておられます。
「また、こうした場面でよく行われるアンケート調査をやっても、本当の答えが返ってくる保証はない。もちろん識字率の問題もある。
調査は単にデータを集める手段ではない。私たちは単に”調査”を目的としているのではなく、調査を通じて、農家と私たちが現状と問題点、さらに改善に向けての課題を共有する狙いがあり、何よりも、農家を立ち上がらせる動機付けの場にしなければならないと考えてきた。
ここで我々が取った方法は2つある。1つはダラエヌール渓谷の10数箇所で長老格の農家に集まって貰い、それぞれから苦労した話、工夫した話と自慢話を聞くことであった。それを聞きながら、ささやかな工夫でも正当に評価するように心がけた。歯の浮くような褒め言葉を使ったわけではない。見て分かることは一切聞かないようにした。その上に立ってペシャワール会の農業計画に対する希望を聞いた。
するとどうだろう。次から次へと話が弾んで、次表の通り、現在栽培している作物と面積、収量から、現在困っていることに至るまで次から次へと教えたくれた。やってきたことが認められ、正当に評価され、その上褒められることは、文化の違いを超えて人類共通の喜びのように感じる。
(中略)
もう1つの方法は、10箇所における話し合いの前後、みんなで三々五々近くの畑を見て回った。目の前にある現実の中に答えがあるとの考えに基づく。(中略)その途中の出来事であるが、難しい顔をして玉蜀黍(トウモロコシ)畑の中に小さな畦を作っている農家に出会った。目的を聞くと、素っ気なく「畑全面に水を平等に行き渡らせるため」との答えが返ってきた。感心して思わず「これは永年の知恵だな」とつぶやいた。これを現地語が達者な目黒さんが農家に伝えたところ、農家はニヤッと頬をゆるめ、振り向いていろいろな苦労話を聞かせてくれた。小さい工夫でも正当に評価すれば心を開いてくれることを再確認した。
以上の2つの方法は、かつてスリランカで、血を吐く思いをした実態調査の失敗を反面教師としている。」
またこんなことも書かれています。
「農家との話し合いは前向きの内容ばかりではなかった。直接的にはよく分からなかったが、村全体の農家に対して肥料代を補助して欲しいとか、中には”生活保障”的な支援を求める極端な意見もあったようだ。
(中略)
一方参加農家相互で、過剰で利己的な要求を規制しあう空気もあったと聞いてホッとした記憶が残っている」
支援の時はよく起こりそうです。イラクの復興支援の時も、そりゃ絶対何か勘違いしてるよなあ、という要求もあったみたいだし。
ダラエヌールでは、もともと水が少ない・干ばつ・地下水位の低下などで農業が危機に瀕しており、ペシャワール会では「井戸を掘る」「水路を開く」「適切な農作物を探し、適切な農法を開発する」という支援をしようとします。
いろいろな問題は起こります。
「(試験農場担当ファーマーのラティーフ)彼については、ペシャワール会の現地スタッフの中で最高に近い評価をして給料をアップしていたにもかかわらず、給料の不満を述べることが度重なった。ペシャワール会の現地スタッフの先例を見ても、お金で解決すれば再度お金の問題に発展することは明らかである。賃上げが賃上げを呼ぶ悪循環が延々と続くということだ。ペシャワール会に残る者は給料が安くても頑張るし、どんなに給料を上げても去る者は去る。
一般の水準以上の給与にすれば、アフガンの賃金水準を上げることにもつながり、貧富の差がますます開くことになる。他のNGOや国連機関と同様に、間接的に現地住民を苦しませていることにもなりかねない。ラティーフに関しては断腸の思いで解雇を通告した。」
給与に関してはこんなことも。
「(収穫祭のためにあれこれ準備が必要で)すると確かに一通りの手配は完了しており、ワリーさんは「心配するな!明日を見てみろ、必ず全てうまく行くぞ!」と笑顔。
(中略)
まったく予想をしなかった事態だ!前日まで収穫祭の準備を一緒にやっていたワリーさんが突然、何の前触れもなく賃上げ要求のストライキに入ってしまった。確かにワリーさんとのすれ違いは、この収穫祭の2ヶ月前、「俺は今の給料ではこれ以上仕事ができない」として、突然4割増しの給料を要求してきたあたりから始まっていた。ただしこの時は、「ワリーさんの人脈の広さを失うわけにはいかない」と直接中村先生に懇願し、ベースアップを了承頂いた。異例の昇給を果たしたワリーさんは、ひとまず不満もなく一緒に仕事をするようになっていた。
それでも内心は納得してくれていなかったのか、あるいは彼の親類の中に大勢いる地域の名士や、農業指導員として高い給料を得られる立場の人などから様々な影響を受けていたのかも知れない。」
お給料の問題はいろいろあるんでしょうね。
山口絵理子さんはマザーハウスではバングラディシュで、周囲よりは少し高い給与を払っている、と書かれていたと思いますが。またバングラで面接を受けに来たけども、給料に不満でやっぱりやめようと思う人に、周囲のマザーハウスのバングラ人スタッフが「給与以上に得られるものがあるよ」と説得していた、というエピソードもありました。
なんやかんやでトウモロコシ・日本米・小麦・サツマイモ・ソバ・大豆・飼料作物・お茶・ブドウ・除虫菊など様々な作物の導入に成功したり失敗したりしはります。
しかし「この作物を入れる」という動機が結構ええかげんだったりします(笑)
たとえば「日本人スタッフが食べたいと言ったから」とか・・・しかしそれが成功を呼んだりします。サツマイモとか。
思いついてサツマイモの種イモを選ぶのも最初は近場のホームセンターみたいなところで選んだりとか。
しかし、ものによっては日本全国の農事試験場に問い合わせたり、インドネシアやパキスタンの農事試験場に問い合わせたりします。つまり現地主義と言っても、やはり世界の中でいいものがないか、調べてはるわけね。
こんなこともあったとか。
高橋さんは養鶏については様々な問題点があるのでストップをかけていました。しかし2005年に養鶏導入の話が持ち上がります。理由は「中村先生(ペシャワール会の指導者ですね)から指示があって・・・」
「通常ペシャワール会では、中村先生の指示は絶対視されている。しかし私は中村先生の指示であっても納得できなければ同意できない性格である。
(中略)
05年の11月、中村先生が講演会で京都へお越しいただいた際、伊藤君に対して行ったのと同様の説明をし、あわせて先生から直接ワーカーに、農業計画の内容を指示いただくのは止めて欲しいとお願いした。後段のお願いについては勇気が要った。ヒヤヒヤしながらの説明とお願いであったが、両方とも快く了承をいただきホッとした。先生の意図は、農業計画の達成に必要な堆肥を確保する一助になればとのお考えであったようである。」
リーダーがねえ、自分のわからない分野にあれこれ指示して悲劇を生む、というのはよくあるみたいですもんねえ。リーダーは自戒してないと・・・
いろいろと試行錯誤しながら進みつつあった農業計画ですが、治安悪化のために中断が考えられます。
2008年6月に高橋さんは「農業計画中断案」を出します。
それに対して現地のスタッフ(つまり伊藤和也さんたち)は農業計画案は終了するが別の計画を実行するという案を返してきます。
そして2008年8月26日に伊藤和也さんが拉致されたという報道がされます。そして遺体が発見され農業計画(支援計画)は強制終了になります。
しかし現地では農業支援のいくぶんかは根付いたであろうエピソードが紹介されています。
支援というものがいかなるものか、ということをいろいろ考えさせてもらえました。
ネットを見てても「日本でも格差があったりするのだからまず日本のことをすべき」とかいう意見もありますが、別にどこでどんなことをしようといいじゃないか、という気がします。ある場所について見てしまった、感じてしまったんだからしかたがない。そんなもんじゃないかと思います。
|これがインターネットの字面だけだと乗らない。
そう?
私はビンビン感じますが。
で、「字だけじゃ伝わらない」という方がよくされ、確かに伝わらないものもあるのも事実ですが、ひょっとして、それって「いわゆる定型発達の人たち」が「自閉症やアスペルガー症候群の人たち」を「他人の感情や考えていることに気づきにくい」という言い方をするけど、実は自閉症の人たちは逆に定型発達の人の気づかないことに気づいているように、ある種の人たちは、「字だけ」の中に「定型発達の多数者」には読み取れないものを読み取っているかもしれませんね(今の思いつき)
これがインターネットの字面だけだと乗らない。
それはまだ修行が足りないだけです。日本語でも論理的な文章は書けます。そうなっているかを簡単に検証する方法があります。「英語に訳しやすい文かどうか」です。もってまわった文は英語になりにくいです。ただ,日本人は「あいまいでもってまわった文」を好みます。「もずらいと」という人の文はその意味で日本人向きではありません。
>「電子会議室で会議はできない」と言い習わされてきたのは、
喧嘩になりやすいんです。その人と違った意見がネットではすごく言いづらいんです。最近ほとほと困っています。
これは「日本文化」の面が一番大きいです。米国のネット論議は喧嘩と見まごいますが,彼等は「人と違う意見を言う」ことを訓練されてきているから感情とは乖離して発言できるのです。相手をやりこめるためのテクニックなのです。でも,日本ではなかなかそういうのはなじみません。