知的障害特別支援学校にいた頃。
○○さん、ありがとうございます。
kingstoneです。
>1、TEACCHという言葉をどのようなイメージで使っているのか
これね、ほんま困るんですよね。
> 援助システムの問題なのか、
知ったかぶりして、「あれは行政を含めたシステムだからできるんだ。日本ではできないんだ」という言い方ね。参考にできるとは参考にしていい環境を作ればいいじゃないか、あなたが「何かをしない」言い訳に使うなあ、と言いたくなりますね。
あと「世の中に出ればそういうわけにはいかないんだ」という言い方ね。私なんかは「んじゃあ世の中の方を変えていかなきゃ」という立場だったりします。
しかしいろいろな支援物を使ったコミュニケーションでも、工夫することによって、他の全然知らない人たちにも有効なものになったりするんだけどなあ。
> 構造化の背景となる自閉症理解か、
これも結構ありますね。これについては実践してきた実感でしか私なんかも言えませんが。でそうなると別のご意見をお持ちの方も実践した実感で言ってはる・・・そして結構いい実践をしてはったりもする。でも、「ああ、私が担当していれば、全然別の方法でいい関係を作ったりもできるかもしれないなあ」と思うこともあります。
それと「集団」の中は配慮なしで入れようとするのも、この「自閉症理解」の問題になるのかな。
> 構造化の手立てなのか
視覚的な支援をとることを嫌がる方は多いですね。
>あの一貫した本人と家庭への援助を否定する人がいる
>としたら、よっぽどの人でしょうから。
勉強せずに批判する人も多いです。
>2、カードコミュニケーションという表現について
> 最近は、PEC(Picture Exchange
>Communication)という表現をしたほうがより適切では
>ないかといわれています。
ふむふむ、この言葉は初めて知りました。
ただPictureと言うと「絵」や「写真」とこれまた思う方もおられるかなあ・・・
またPECと言うと、カードを直接見せる方はそうであるとして、リマインダー(心おぼえ)として持っていて、チラッと見て、相手には音声言語で、あるいはもう覚えていて相手には音声言語でコミュニケーションするタイプの方の場合はどうなるのかなあ、という気がします。
あっ、でもそういう方に「こちらから伝える」時は視覚的な手がかりをつける(カードやコミュニケーションブックを見せる)ことが有効だったりするからいいのか。
私がカードコミュニケーションと言う時は、実際にカードを使ったり、絵や写真の入ったコミュニケーションブックを利用したり、という場合を頭に描いています。
で、具体物や、パソコンを使ったりということを含めるともう全部AACと言った方がいいかもしれない。しかしマカトンサインを精力的に勧めている方がカードやパソコンを使うことを嫌ったりという場合もあったりしますね。
結局は「生身の体だけでできる」ことと「支援物」を使うことの差に対して違和感をお持ちなのかな。
.ne.jp/gombo/
PS.
たくさん書きまくっていますが、いちおう子どもと虫取りに行ったり、キャッチボールしたり、妻と話をしたりもしておりますので・・・。
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追記
PECとはPECSのことですね。
この前後から一部で話題になってました。
TEACCH風に偏りすぎた人もダメですよ。何でも絵カード,パーティーション。拒否と要求くらいしか無理な子に,朝の会で「今日のお天気は何かな?」分かるわけないだろう。天気って概念がまだないんだから。<br /> TEACCHの「(あえて)タチの悪い」点は,体罰とか根性論的指導と違って「一見親切できめ細かい指導」に見える点と,絵カードとかパーティーションって合う子には劇的にあってすぐさま変容するから「万能」だと勘違いしてしまうのですよね。<br /> ピアジェの発達理論くらいはおさえてから実践して欲しいと思う教員がたくさん。</p>
>もずらいとさん<br /><br />私もピアジェは1冊しか読んでいない(;^_^A<br /><br /></p>
http://ameblo.jp/kingstone/