知的障害特別支援学校にいた頃。
○○さん、どうもです。
kingstoneです。
学校での授業の仕組みありがとうございます。
>道徳の特別支援学級での取りだしは、これはいつもの取りだしとは内容を変え
>て、「□□本人のための道徳」(ソーシャルスキルトレーニング)という意味
>合いを持たせてもらっています。日常的なマナーや、言葉の使い方、休んでい
>る人にお手紙を書く…といったことをしていただいています。
>普段の取りだしと道徳をわけたことでも、□□の混乱はありませんでした。
>□□は親学級での道徳がイヤでしたから、それに比べりゃと言うところなので
>しょう。
あっ、でもいいですね。
ここからまたいろいろ考えられそう。
それから記録することについて
>それと、ビデオ撮影の件ですが、私の意見をのべます。
>視覚支援グッズといっても、私の持っていくものは、□□にわかるようにした
>ものですので、あくまでも参考してもらうという域からはでません。
>ですから、ビデオや写真といった方法で、記録を取って持ち帰るということ
>は、イメージを固定する感じがするので(子どもに合わせてという基本から考
>えると)、否定的に捉えています。
わかります。
イメージの固定、ってのそうなりがちなもんではあります。
これね、今まで行ったTEACCHのセミナーなんかでも、写真を撮らせてもらえなかったし、そーゆーもんだろうなあ、と思っていたのです。しかしアメリカのTEACCH部の髭のジャックたちの来た先夏のセミナーではジャックは「OKだ。個人情報が流出することだけに配慮すればいい」とのことで、みんなでいろんな支援グッズを撮りまくりました。
で、やっぱりそれをぼーーっと見ている時に「あっ、これは使える」とかいう形でヒントになり形を変えて使ったりできました。
いつも書いてるように「本に載ってたから」「写真で見たから」だけでそのお子さんに合わせることを忘れてやってみても失敗するのも本当。しかし「参考にする」スタンスで、そこからヒントをもらいお子さんに合わせていく形で利用すれば役に立つのも本当。そんな気がします。
>なんというか、私自身も先生方や先輩のお話やジグを、その時に集中して聞い
>たり見たりしてきたので、あとでレジュメや写真が一人歩きすることには、と
>ても違和感があります。
こういった「先生方や先輩の話」とセットになっているのが一番強いですよね。私が先夏のセミナーで撮った写真(実は他の方が撮ったのを貰った・・・私は用意していなかった)も、私がセミナーに参加していて「ああ、あのお子さんにこうやってたんだ」というのが浮かぶから役に立つのかもしれない。
まあ服巻智子先生は、最初「視覚情報を重視するらしい」という噂だけをたよりに自分で実践を続けてはったそうですが。
PS. 実は以前、講演会のビデオ撮影にも私はこだわって反対していました。
カウンセリングのワークショップなどの経験が長いもので、「今、ここ」で自分の中に入ることだけが大事、ビデオなんて・・・という気持ちもあったのです。そしてその場であったことはその場限りのこと・・・
でも、最近はそうじゃない部分、役に立つ部分もあるのだなあ、と思い始めました。(でもやっぱり撮影は苦手・・・)
構造化のパワーに気をつけろ