私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年05月27日

私自身への診断3.9

 私自身への診断4の少し前になると思います。

 校長からはボロクソに否定されていました。

 報告しようとしても
「君は私の話を聞かない。私の話を聞け」
と怒鳴りつけられ、相当困った話をえんえんと聞かされました。

・お前の特別支援教育が間違っている。
・自閉症の子も集会では列にみんなと並べてこそ喜びがあるのだ。
・ある保護者は虐待ではない。しつけだ。

その他その他。

 私の今までやってきたことをすべて否定し、校長である私の言う
ことを聞け、という感じ。

 ある日曜日、公園に息子達と遊びに行き、帰ろうとした時、
「明日学校だ」と思い校長の顔が浮かんで来ました。その途端、腕が
しびれ動悸がしてきました。「ああ、学校へ行けない」と思いました。

 月曜日に、ある集会の司会をする予定でした。
 夜、同僚に電話しました。偶然中学の同級生であり親しい仲でした。

「すまない。明日行けない。司会を私に代わってやってくれ。
 その後も学校に行けないかもしれない」

 話を聞いた同僚は「何故だ?」と質問をし、それが校長とのあれこれだ
と知ると

「それはもったいない。校長から暴言をはかれているのは職員全員なんだ。
 お前だけじゃないよ。お前の責任じゃ無いんだよ」

 私は全然知りませんでした。校長は職員全員に暴言を吐き、今で言えば
パワハラを行っていたのです。私は当時同僚と雑談するということが無く
なっていたのでわからなかったのです。

 受話器を握りしめたまま私は号泣していました。そして号泣したことで
心が軽くなり、また学校へ行こう、という気持ちになりました。

 この後、たまたま知り合いの精神科医に会う機会がありました。
 診察ではなく、まったくの雑談です。その中で私の症状などを言うと
「それはパニック障害。昔で言う不安神経症」とのことでした。

 パニック障害と言うと、心臓が止まりそうな思いをして救急車を呼んで、
というイメージがあったので「そこまでじゃないのだけど」と言うと
「程度はいろいろあるからね」とのことでした。

 なるほど、そういう診断でもあるのだなあ、と思いました。

 で、しばらくは登校(仕事)を続けられたのですが、「私自身への診断4」
に至るわけです。

 校長先生のパワハラですが、ご本人のもともとの性格ということでなく病気
のせいだったかもしれません。

 脳の血管の障害で倒れられ、治療をしておられました。

 頻繁に激怒して職員にあたっていました。

 また特別支援学級の児童の中学進学にあたって中学と相談しないといけない
ことができました。その時、校長がすぐに動いてくれ、中学に電話をかけ、か
つその足で校長・担任・児童が中学へ行き、相談し話をうまくまとめて頂きま
した。それは良かったのですが、その翌日校長が担任にこう言いました。

「昨日、私は何かしたっけ?」


 ドラマの「ER救急救命室」の中で「もともと腕がいいけれどアルツハイマ
ーにかかり、感情失禁で激怒したり記憶の抜けができる」という医者が出て来
ます。彼の場合は、自分で気がついて引退を決意するわけですが。

 彼がERを去ろうとするまさにその時、難しい患者が運ばれて来ます。彼は
見事に救命します。そして(まだ局面では力があるのに)去って行きます。

 校長の場合は「やめろと言われても、定年まで勤めきるのが責任と言うものだ」

と言っていました。

 しばらくして私は休職に至りますが、その間に管理職を除くすべての教員が
一致して連名で教育委員会に「校長を替えるか処分して欲しい」と直訴をする、
という異例の事件が起こります。

 しかし何も起こりませんでした。

 「校長の権限」「委員会からの校長への信頼」というものはそれほどまでに
強いようです。



 







posted by kingstone at 06:15| Comment(0) | TrackBack(0) | うつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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