知的障害特別支援学校にいた頃。
もともと小学校畑の人間なので小学部しか知らなかったのですが、
今年は中学部に来ました。気分は「敵地に一人でパラシュート降下」
で、普通はそういう時、しばらくはおとなしくしていると思うのですが、
結構いろんなところで声を出しています。
今日は午前中いっぱい体育祭練習の予定でした。担当の先生が
「じゃあゆっくり(繰り返し)やりましょう」と言われたので、笑いながら
「すんませんが1回通したら、後は時間が余ったら休憩にして下さい」
とお願いしてしまいました。
実は先日もA君や他の生徒でも繰り返される練習が結構きつそうだった
のですね。所定の場所に「意味がわからず」座り続ける、とか、嫌いな音
楽が鳴ってる場所にいつづける、とか。で、そのきつくなった子に対して
私なんかはなんとか理解して参加して欲しいといろいろするわけですが、
「いて当然じゃないか」という指導をされる方も出てくる・・
はじまり→活動→終わり→後の活動(休憩とか遊びとか)
これが見通したててできるようにならないと、「がまん」や
「がんばる」ことだって身に付かないと思います。そして終わった
はずなのにまだ続くようだったら怒りだして当然なんですよね。
我々だって怒るはず。
そういう説明はせずにお願いしちゃいましたが。
そしたらその意見が通って、(誰も反対しなかった)1回通して
終わってしまいました。
たぶん、生徒にとっても教師にとっても良かったな、と思い
ます。
後で担当の先生に「いらんことゆうてごめんね」と言うと、
「いやいや、あの方が良かった」と言って下さってました。
さて「敵地に一人でパラシュート降下」と書きました。
敵って何でしょう?
少なくとも一人一人の教師では無い。みんな熱心で、子どもの
ことを考えて活動してはります。
で、私が声を出すと、多くの方が耳を傾けて下さっているような
気がします。そしてたぶん「ええっ、そういう考え方もあるのかあ」
ということなのだろうと思います。実は周囲にいる人はたいていが
レジスタンスの仲間だった??
もちろん理解しがたい面はかなりあるようではありますが。
ってことは、敵ってのは、今までの学校の枠組みとかそういうもの
なのかな。(学校文化?)あるいは「良かれ」と思う時の方向という
のか・・・
変だと思ったり、違うなあと思ったりした時は、どんどん声を
出していこうと思っています。