知的障害特別支援学校にいた頃。
担任と子どもとの関係の番外編です。
私より以前の担任さんは、たいへん指導力のある方でした。
すごくメリハリのきいた指導をされ、困った行動をする時は叱り、良い
行動をした時はほめ、また楽しいこともいっぱいされていました。体を
使っていろいろすることが多かったかな。A君だけでなく、この方がおられる
と他のお子さんでもあまりうろうろ動いたりしないことが多かったです。
またすごい偏食のお子さんが、この方が側に来ただけでぱっと嫌いな
物を口に自分で入れる、という行動もみられました。でこの方がいなく
なると吐き出す・・・
私が担任してから木工の授業をしていました。木材を電動糸鋸で切る、
という課題の時にこの先生が来られました。「久しぶりやなあ」と言い
ながら一緒にA君と材木を切ろうとしました。A君はものすごい抵抗を
して電動糸鋸の側に寄りませんでした。
私が変わってみるとA君は何の力も入れず私に手をまかせ、一緒に
材木を切りました。その時私は何も気づいていませんでした。しかし
その先生が
「あっ、お前、KING STONEさんとやったら切るねんな。こいつう」
と大笑いしはりました。
その時「あっ俺みたいな情けない教師でも、この業界で生きていく
意義(あるいは必要性)もあるのかもしれないな」と思いました。
たぶんこの担任さんが側にいればA君は立ち歩いたりしないことと
思います。通常校に交流に行き、本人にとってわからない授業で
あっても動き回ったりすることは無かったと言いますから。
(私とだとわからなかったり、退屈したりするとうろうろしようと
しましたし、いろいろ要求しようとしました。それを前担任さん
は不思議がっておられました)
すごい関係が作れれば立ち歩いたりしないのかもしれない。
しかし、そんなすごい関係が作れるよりも、あまり濃い関係がなく
ても、あの手この手で本人がわかって納得して座ったり、動いたり、
あるいは拒否したり、してくれる方がいいな、って思っています。
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追記
威嚇と暴力の上手(?)なリーダーさんのことですね。
もちろん障害児教育フォーラムに書いていた頃は、そんなことは書け
なかったのですが。
また前にも書いたことですが、当時、またそれ以前、その知的障害
特別支援学校において、ほとんどの教師が自分は手を下さないにして
も、この先生を頼りにしていた、という事実には重い意味があるなあ、
と思います。
虐待への芽は、誰の中にもあり、容易に発現します。
川を渡る