※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年04月29日

乳幼児期における発達と課題

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


療育援助セミナーとトロンイネーブルウエア研究会に参加するために、
横浜に来ました。今日は、朝、療育援助セミナーの方に出て、
昼からトロンのほうに行ったのです。ちょっときついかな、と思った
けど、10:55〜11:40の講演を聞けたのが良かったです。講師の先生に
レジメと話されたことの一部をアップしても良いとの許可を得たので
書かせて頂きます。

 ただしレジメですし、ほんとうは詳しい説明があってこそであること。
 しかし、私が変に聞いたことを書くと、違うことばかり書いてしまい
そうだし、わかりにくいけどレジメだけで我慢して下さい。
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     自閉症:乳幼児期における発達と課題

                 吉田友子(よこはま発達クリニック
                      横浜市北部地域療育センター
                      児童精神科)

一.乳幼児期を巡る最大の課題:「診断名」と出会う

 1.「これは、個性?それとも発達の問題?」と迷うことに意味があるのか?
   1)新聞に載った2つの投書

   2)子どもを見つめる2つの視点:どちらも大切

 2.診断名を検討することのメリット
   1)いま何を、どんなふうに援助すべきか(対応の切り口)がみえてくる

   2)子どもからは世の中がどんなふうに見えているのかを推測し子どもの
    苦労や努力をより正確に感じとってあてるうえで役に立つ
    子どものキャパシティーを無視した対応は、援助とは言えない

   3)その子に関係するかもしれない医学情報や社会的情報を集めやすくなる

二.子どもの発達と課題

 1.同じ診断名だからといって、乳幼児期における「一律の課題」などない

 2.それでもあえて「乳幼児期の課題」をあげるとすれば
   1)コミュニケーションの土台作り
    「受信すること」の便利さ・楽しさを知ることは、とても大切

   2)人への信頼・社会への安心をはぐくむための第一歩
    乳幼児期にどんなふうに「社会」と出会うことが適切かは一律ではない

   3)子ども自身の自信と誇りを大切に
    軽度のお子さんが教えてくれることを、重度のお子さんについても
    考えてみる

   4)その子に合った、自助技術の習得
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 その他講演ででてきたすてきな言葉

(特に教師に対して)
「丸のままの個性ととらえて欲しいのです。しかし「丸のままの個性として
 とらえる」というのを自分の不勉強の言い訳ににはしないで欲しい」

「「小学校に入るまでにはこれができなきゃ」というのは、トップダウンでも
 何でもありません」

 ここまで書いて、講師の先生にお見せしたら、私(KING STONE)が解説
してもいいよってことなので、ひょっとしたら解説をつけるかも・・・
−−−−−−−−−−−−−−−
解説になるかどうか・・・

 大きく私のバイアスがかかっています。

 また現場にいらした方やその他のみなさんのフォローがあれば嬉しい
です。

 >一.乳幼児期を巡る最大の課題:「診断名」と出会う
 >
 > 1.「これは、個性?それとも発達の問題?」と迷うことに意味があるのか?
 >   1)新聞に載った2つの投書
 >
 >   2)子どもを見つめる2つの視点:どちらも大切

 これはわかりますよね>ALL
 どっちの視点も大事だ、ってことです。でただし

 >(特に教師に対して)
 >「丸のままの個性ととらえて欲しいのです。しかし「丸のままの個性として
 > とらえる」というのを自分の不勉強の言い訳ににはしないで欲しい」

 ってことです。でもこう書くと、吉田さんってめちゃ怖い方みたいな
印象をもたれるかもしれませんが、そばにいてもらうだけで癒されそうな
(この言葉、嫌いな方もおられるでしょうが)方でした。臨床家として
大事なことやろな。

 > 2.診断名を検討することのメリット
 >   1)いま何を、どんなふうに援助すべきか(対応の切り口)がみえてくる

 これ、いつもこの会議室でもいわれてることですよね。
 逆に言えば、どう対応したらいいか無しの診断はほとんど無意味。
おーーっとお・・・レジメの書き忘れ発見

「「プランニングなき評価」は無意味」が抜けてました。

 それから例えば2歳のお子さんがいたとします。確定診断は無理な場合も
ありますよね。その場合でも「今、こんな特徴があるからこうして(対応
して)いけば」ということは言えるはず、もちろん状態が変わること可能性
も含めて伝えていく、なんて話も。

 で、診断を受け入れることと、使いこなすことは別、ということも
おしゃっていました。うーーん・・どういう文脈だったかな。
使いこなせたらいいね、という話だったと思いますが。

 たとえば他人(教師とか)に診断名を伝え、だからこうして下さい
というふうに使えるよね、とか。

 それから、「診断は子ども自身の役に立つためにある」

 >   2)子どもからは世の中がどんなふうに見えているのかを推測し子どもの
 >    苦労や努力をより正確に感じとってあてるうえで役に立つ

 どんなふうに見えているか、というのでめちゃめちゃ面白い例をあげて
はりました。

 「ただいま」と帰った時配偶者さんの顔がいつもの顔じゃなくて、
好みのタレントだったとしたら・・・これはホラーだ・・・めちゃ
不安になるに違いない。(私が帰ったら嫁さんが内田有紀・・ラッキー
と思うかもしれないけど、納得するには時間がかかるな、きっと)

 物をきちんと並べないと気がすまない、というお子さんにとっては
並んでいないと同じような不安があるかも・・・もちろんこれは一例
ですが、その他いろいろ相手を理解する(しようとする)助けになる。

 すげえ納得。

 >    子どものキャパシティーを無視した対応は、援助とは言えない

 将来の楽しみのために今苦しみを我慢しなさい、ではなく
 将来も今も安心して暮らせることが大事。

 よーわかります。私も以前に「私の大失敗」で書いた通り、
つい子どもを追い込みすぎたりするところあるもんなあ。

 >   3)その子に関係するかもしれない医学情報や社会的情報を集めやすくなる

 これはよくわかりますね。
 自閉症という診断がでなければ自閉症協会に入ろうとすらしない
だろうし。(これは先生は言ってなかったと思う。私が勝手に思って
いる)

 >二.子どもの発達と課題
 >
 > 1.同じ診断名だからといって、乳幼児期における「一律の課題」などない

 そうなんですよね。

 > 2.それでもあえて「乳幼児期の課題」をあげるとすれば
 >   1)コミュニケーションの土台作り
 >    「受信すること」の便利さ・楽しさを知ることは、とても大切

 相手がそのお子さんに何かを伝えようとしていることが分かる、もちろん
内容もわかりそれが楽しいと思える、ってことですね。
受容性コミュニケーションが大事だよ、ってこと。そらそれがわからないと
始まらないですね。

 >   2)人への信頼・社会への安心をはぐくむための第一歩
 >    乳幼児期にどんなふうに「社会」と出会うことが適切かは一律ではない

 ここでは、どんな例を出されたか覚えていない。

 >   3)子ども自身の自信と誇りを大切に
 >    軽度のお子さんが教えてくれることを、重度のお子さんについても
 >    考えてみる

 これもね、面白い例を出してはりました。私の例で書いてみます。
 私も若干難聴です。これがわからない時、聞き間違えて他人からは
笑われたり、怒られたりで、結構悩みました。何でだろうって思って。

 で就職のさいの健康診断で難聴とわかりお医者様から「日常生活で
不便なことないですか?」と不思議そうに聞かれた時、胸のつかえが
すーっと下りました。

 わかれば、対処できます。まず周囲に知らせて大きな声でしゃべって
もらう。バイブレーション機能のついた携帯を使うetc.

あり?これじゃ診断の大切さの話になるか・・・

 まあ私も人の顔が覚えにくかったりする。これはもちろん診断名が
つかないほどの軽いものであることは間違いない。でもこれもきちん
と能力の障害と見て対処する(例えば手帳に名前と写真を貼っておく)
ことで困らなくなる。

 軽度の人においても。いわんや重度の人においておや。

 >   4)その子に合った、自助技術の習得

 これはどんな例を出されたか忘れました。
 でもよくわかる気がします。
 例えば「おしっこに行きたい」をどう伝えるか、とかとちゃうかな。


 >「「小学校に入るまでにはこれができなきゃ」というのは、トップダウンでも
 > 何でもありません」

 こんな話題、先日もありましたよね。
 「幼稚園に入るにはこれくらいできなきゃ」っての。

 あの時も疑問に思ってたのです。「これくらいできなきゃ」ってのは、
「できなきゃだめ」の発想ですよね。本当にそうでしょうか。

 今そのお子さんにできていることを組み合わせる。またまったくできない
ことは「できない」で生活できていく方法を考える、それが大事じゃないか
なあ。

 トップダウンというのは、まず「これができたらいいな」を考え、
そこから「じゃあ今どうしよう」と考えていく考え方です。一見、
「これくらいできなきゃ」に似ています。でも「じゃあ今どうしよう」
という時、それこそ「できないから泣いてもわめいても苦しんでも
やらせよう」という発想とは違うのですよね。もちろん「できないから
だめ」というのでもない。

 あくまでも今できていることは、これだからそれをうまく組み合わせて
どうしていこう。できかけていることがあるなら、じゃあそれをどうして
「できる」ことにしていこうか、(訓練というような言葉のイメージでは
なく)ということなのだろうと思います。

 それからこれはどこの部分で話をされていたのか・・・
「例えばチックを出しているお子さんがいる。そんな場合ストレスの
軽減をはかるため、援助の段階を上げる(援助の程度を上げ、より
簡単にできるようにする)ようにしてもいいのでは」

 これもそうだよな、と思いました。
−−−−−−−−−−−−−−−
○○さん、こんにちは。

 >滝沢君の例はちょっと受けが少なかったのではと気になさっていました。

 私が上で「私の場合なら内田有紀」として紹介した例ですよね。
 あはは、吉田先生、ウケをねらってはったのかあ(爆笑)

 でもね、私、笑うより「おおお、なるほど」と妙に納得・感心して
しまって笑えなかったんです。みなさんにもそういうところがあった
のじゃないかなあ。

 でね、あそこには書かなかったけど・・・ある日帰ったら配偶者の
顔が好みのタレントの顔に変わっていた、というの、ほんまホラーで
怖いんですが・・・男の場合「ラッキー」に変化するのがより早かったり
して・・(バキッ)

 》 将来の楽しみのために今苦しみを我慢しなさい、ではなく
 》 将来も今も安心して暮らせることが大事。

 >このことは私は一番印象に残りました。わたしも子供を追い込みすぎたことが多
 >くあるように思います。今を大切にしていこうと強く思いました。

 もちろん、その時、そうでしかありえなかったことは
「それでええやん」で、そして今を大切にしたいですね。

 

posted by kingstone at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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