大昔の話です。
知的障害特別支援学校にいた頃。
ボランティアグループ「れもん」のボランティアさんをどう集めたか、
過去のlogは無いので、今、思い出して書いておきます。
もともとボランティアグループを作りたいとは思っていました。
でも、どうやってボランティアさんを集めたらいいかわかりませんでした。
ある日、私の授業を見たい、と2人の大学生が来ました。
大学の福祉学科で学んでいて、もともとボランティアとか、福祉施設での
バイトとかしている学生でした。1人がF君の親戚にあたり、保護者が
「何かこの頃、先生の指導が変わってきて、Fがすごく良くなってるみたい」
と伝えたので、興味を持ってくれたようです。
1日、一緒に授業に入って頂きました。途中で解説もしたと思います。
放課後、一緒にお茶をしました。その時に「こんなボランティアグループ
を作りたいねん」という話をしたら「是非一緒にやりましょうよ」と2人が
言ってくれたのですね。すごく遠い所の大学生さんでしたが。
それで「よし行ける」と思いました。
A4サイズの募集用のチラシを作りました。
「自閉症の子と遊ぼう!」という題です。
それを持って、大きな大学の学生課へ行き、ボランティアサークル(そん
なものがあった!)の部室を教えてもらい、直接行ってみました。副部長さ
んが私の話を聞いてくれました。
結局、その後、この副部長さんを始め、ここ所属の多くの学生さんがボラ
ンティアに来てくれるようになりました。
また、ここの学生が他の大学のボランティアサークルの学生に連絡を取っ
てくれて、他の大学からも来てくれるようになりました。
他にも、探せば、近所にいろんな大学がありました。
地元でありながら知らない大学もありました。
たくさんの大学の学生課へ行きました。
チラシを学校の掲示板に貼ってもらえるようお願いしました。
協力的なところもあったし、そうでない所もありましたが、全部合わせれ
ば結構な数のボランティアさんが集まりました。
最初から「交通費は払う」というのは堅持しました。
遠い所から来る学生は多かったし、学生さんにお金が無いことはよくわか
っていましたから。そのために利用する保護者からはお金を頂きました。
後、学生とは別にネットで知り合ったかたが、ボランティアに来てくれま
した。
利用者はもちろんですが、ボランティアさんが楽しめる(新しいことを知
れて喜べる)というのも大切にしたつもりです。ボランティアさんが増えて
いったところを見ると、とりあえずは成功してたみたいです。
当時は知的障害特別支援学校の場合、午後4時半になれば職場を離れても
良かったし(今は駄目かもしれない)児童・生徒が帰ったあと、時間休を取
ったりして動いていました。だから可能だったのですね。
知的障害特別支援学校にいた頃。
ボランティアグループ「れもん」のボランティアさんをどう集めたか、
過去のlogは無いので、今、思い出して書いておきます。
もともとボランティアグループを作りたいとは思っていました。
でも、どうやってボランティアさんを集めたらいいかわかりませんでした。
ある日、私の授業を見たい、と2人の大学生が来ました。
大学の福祉学科で学んでいて、もともとボランティアとか、福祉施設での
バイトとかしている学生でした。1人がF君の親戚にあたり、保護者が
「何かこの頃、先生の指導が変わってきて、Fがすごく良くなってるみたい」
と伝えたので、興味を持ってくれたようです。
1日、一緒に授業に入って頂きました。途中で解説もしたと思います。
放課後、一緒にお茶をしました。その時に「こんなボランティアグループ
を作りたいねん」という話をしたら「是非一緒にやりましょうよ」と2人が
言ってくれたのですね。すごく遠い所の大学生さんでしたが。
それで「よし行ける」と思いました。
A4サイズの募集用のチラシを作りました。
「自閉症の子と遊ぼう!」という題です。
それを持って、大きな大学の学生課へ行き、ボランティアサークル(そん
なものがあった!)の部室を教えてもらい、直接行ってみました。副部長さ
んが私の話を聞いてくれました。
結局、その後、この副部長さんを始め、ここ所属の多くの学生さんがボラ
ンティアに来てくれるようになりました。
また、ここの学生が他の大学のボランティアサークルの学生に連絡を取っ
てくれて、他の大学からも来てくれるようになりました。
他にも、探せば、近所にいろんな大学がありました。
地元でありながら知らない大学もありました。
たくさんの大学の学生課へ行きました。
チラシを学校の掲示板に貼ってもらえるようお願いしました。
協力的なところもあったし、そうでない所もありましたが、全部合わせれ
ば結構な数のボランティアさんが集まりました。
最初から「交通費は払う」というのは堅持しました。
遠い所から来る学生は多かったし、学生さんにお金が無いことはよくわか
っていましたから。そのために利用する保護者からはお金を頂きました。
後、学生とは別にネットで知り合ったかたが、ボランティアに来てくれま
した。
利用者はもちろんですが、ボランティアさんが楽しめる(新しいことを知
れて喜べる)というのも大切にしたつもりです。ボランティアさんが増えて
いったところを見ると、とりあえずは成功してたみたいです。
当時は知的障害特別支援学校の場合、午後4時半になれば職場を離れても
良かったし(今は駄目かもしれない)児童・生徒が帰ったあと、時間休を取
ったりして動いていました。だから可能だったのですね。