知的障害特別支援学校にいた頃。
これはニキリンコさんの
「自閉連邦在地球領事館附属図書館」
が話題のもととなっています。
自閉症の当事者の方が、はっきりと声を上げられた、という意味で衝撃でした。
○○さん、こんにちは。
>「うーん、宇宙人みたいなとらえ方って、なんか、かえって良くないような気が
>する・・。だって、ウルトラマンとかでも、宇宙人って、やっつけなきゃならな
>い存在じゃない。だから、ヘタにこういう書き方されると、いじめてもいいって
>とられかねないんじゃないの?せめて、”異文化の外国人”くらいの表現の方が
>いいんじゃないかなぁ・・。」
しかしウルトラマンも宇宙人ですねえ・・・
まあもちろん、怪獣宇宙人にしろウルトラマンにしろ我々の心の中にある
なにものかを形にしたもんであると思っていますが。
外国人と言えばダダ父通信に出てきた「わがままな外タレ」という比喩が
なーるほど、と思えましたが。
でもって、「いじめてもいい」と捉えるかどうかって、どんな書き方を
してもそう捉える人は捉えるし、捉えない人は捉えない、ってことだと
思います。
もちろん、これが小学校の教師が子どもたちの前で自閉症児について
説明する時にはまた別の表現が必要かな。逆にホームページで自閉症の
文化を擁護する場合は、ああいう表現でもいいんじゃないかな。
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追記
ダダ父通信の「わがままな外タレ」はソースを探しに行きましたが、
まだわかりません。
ハルヤンネさんは
メールエッセイ・違う★からきた息子
というのを出しておられますね。