知的障害特別支援学校にいた頃。
○○さん、こんにちは。
□□さんからのレスもいちいちうなづきながら読んでました。
構造化(見てわかるようにすること)は何のために必要か、と言えばたぶん
「ひとりひとりに合わせるため」だと思うのですね。
できないことをさせるためではないと思うのです。
(もちろん、できなかったことができるようになることもあったり、
あるいは「そう見える」こともあるのですが、基本的にはできる
ことを組み合わせた結果ですから)
で、実はこの文は何とも言えず苦い思いの中で書いています。
私自身が学校の中での「集団での活動」をうまく構造化できて
いないために、いっぱい問題は起こっています。
そこで今私が思っていることは、現在の私の目の前の教育課程が
根本的に間違っているのではないか・・・すべての活動を
「まず活動ありき」からではなく、全部チャラにして「ひとりひとり」
を考えるところから再構成していく必要があるのではないか。
これは苦しいです。