※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年04月24日

構造化(見てわかるようにすること)は何のために必要か

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 ○○さん、こんにちは。

 □□さんからのレスもいちいちうなづきながら読んでました。
 
 構造化(見てわかるようにすること)は何のために必要か、と言えばたぶん

「ひとりひとりに合わせるため」だと思うのですね。

 できないことをさせるためではないと思うのです。
(もちろん、できなかったことができるようになることもあったり、
あるいは「そう見える」こともあるのですが、基本的にはできる
ことを組み合わせた結果ですから)

 で、実はこの文は何とも言えず苦い思いの中で書いています。

 私自身が学校の中での「集団での活動」をうまく構造化できて
いないために、いっぱい問題は起こっています。

 そこで今私が思っていることは、現在の私の目の前の教育課程が
根本的に間違っているのではないか・・・すべての活動を
「まず活動ありき」からではなく、全部チャラにして「ひとりひとり」
を考えるところから再構成していく必要があるのではないか。

 これは苦しいです。


posted by kingstone at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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