知的障害特別支援学校にいた頃。
自閉症やその近縁の認知などに障害を持ったお子さん(あるいは方)
にとって(だけじゃないけど)「わかる」ってこと、とても大切なのだと
思います。
例えば外から見ていて「暴力」を使われているように見えたり、
すごく「非人間的」に扱われていると思われこちらが胸を痛めて
いても、そのお子さんはその「暴力」をふるわれる方や「非人間的」
なやりとりをする方に寄っていったり、好きであったりするように
見えることもある。
これってその方が「わかりやすい」からではないか。
で、その「暴力」をふるわれる方はそういう子どもの反応を見て
「私のやり方は正しい」と自信を持たれる・・・しかし、きっと
「暴力」抜き、で同じことができたらよりいいはずなんでしょうね。
実は「暴力」ぬきの部分での表情、やりとり、そこに子どもは反応
しているだけかもしれない。
「非人間的」という点については・・・私がカードを使うのも
一部の方には「非人間的」と思われてますから、ほんまこの部分は
むつかしい・・・・