中の記事に、教師が「報告書が増え、子どもに障害名がつき、個別対応
をせまられ」疲れて、子どもと話す時間もなくなり・・・みたいなことが
書いてありました。
今はそうなのか。
報告書・書類の中にはいらないものもずいぶんありそう。
何の関係もないと思われるかもしれませんが、以下の文を引きたいです。
中井久夫さんが震災直後を語られたものです。
「1995年1月・神戸」中井久夫編(みすず書房)
(引用開始)
初期の修羅場を切り抜けおおせる大仕事は、当直医などたまたま病院にい
あわせた者、徒歩で到着できた者の荷にかかってきた。有効なことをなしえ
たものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において
行ったものであった。初期ばかりではない。このキャンペーンにおいて時々
刻々、最優先事項は変わった。1つの問題を解決すれば、次の問題が見えて
きた。「状況がすべてである」というドゴールの言葉どおりであった。彼ら
は旧陸軍の言葉でいう「独断専行」を行った。おそらく、「何ができるかを
考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。このことによってその先が
見えてくる。たとえ錯誤であっても取り返しのつく錯誤ならばよい。後から
咎められる恐れを抱かせるのは、士気の萎縮を招く効果しかない。現実と相
渉ることはすべて錯誤の連続である。治療がまさにそうではないか。指示を
待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現
場の足をしばしば引っ張った。「何が必要か」と電話あるいはファックスで
尋ねてくる偉い方々には答えようがなかった。今必要とされているものは、
その人が到達するまでに解決されているかもしれない。そもそも問題が見え
てくれば、半分解決されたようなものである。
(引用終了)
特別支援教育にしろ、教育にしろ、こんなもんだと思います。
不必要な書類というのは
「統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った」
「「何が必要か」と電話あるいはファックスで尋ねてくる偉い方々には答え
ようがなかった。」
というのと同じようなもんだと思います。
もちろん独断専行で日中戦争に引っ張っていった、っていうんじゃ困る
わけですが。
関連発言
「IEP 個別の指導計画」
「年間指導計画 号泣」