大昔の話です。
知的障害特別支援学校小学部3年目の3学期の話です。
−−−−−−−−−−−−−−−
3月7日
応用行動分析学入門(ぞくぞくするぜい)1

応用行動分析学入門―障害児者のコミュニケーション行動の実現を目指す - 山本 淳一, 加藤 哲文
学苑社をやっと読み始めました。(ずいぶん前に購入していたのに(アセ))
今、望月昭さんの「総論」のところを読み終わりました。
この望月さんって先日、学研の雑誌「実践障害児教育」の中で
私が読んでて「ぞくぞくする」と書いた「コミニュケーション指導・再考」
という記事の共同執筆者の方です。
「総論」もすごいです。
今までのコミニュケーションというか言語の指導って、オウム返しで
何かを言わせたり、カードを示して「これなあに」「リンゴ」なんてのが
多かったけど、言語行動の社会的機能を重視するように変わってきた、
という話があります。
で、具体的にはノーマライゼーションの流れの中で、「自己決定」や
「本人の参加」のために「要求言語行動(マンド)」を教えていくことの
重要性があるのだけど。で引用します。
「要求言語行動に文字通り対応しようとするなら(本当に教えようとする
なら)、周囲の人間は、本人が選択(要求)できる、現実の者や事(強化
刺激)を用意しなければならないのである。
このように、表現モードを本人の選択を中心に選んだり、あるいは要求
言語行動の指導の場面で典型的に示されるように、そのコミニュケーション
の本来の機能を満たそうとすれば、指導者は単に障害児者本人とだけ向き
合って指導をしているだけではすまない。必要な環境設定を自らが行ったり、
あるいは生活環境の変更について、本人に代わって(あるいは本人と共に)
要求する必要が出てくる。そして、そうした操作を前提とした場合には、
この指導の場でのコミニュケーションの内容も、変化していく必要がある。」
私たちの学年が今年やってきた「おやつでコミニュケーション」の授業や、
「てつだってください」や「むすんでください」。はたまた「ゴーアウェイ」
や「CD聞きたい」などの指導(?)などの意味がすっきりするなあ、と思い
ます。
また、例えば「ある授業への参加」「ある行事への参加」なども、
そしてそれら「授業」「行事」の企画段階の考え方も変えていく
必要があるのかなあ・・・と。
私のお伝えした部分では不確実、不都合なところも多々あると思うので、
また興味を持たれた方は「応用行動分析入門」にじかに当たって下さい。
なおコミニュケーション指導について
「これに対して、行動分析学的立場の下では、口話のような音声モードで
あれ、手話や書字のような非音声モードであれ、必要な社会的な機能を
満たす上で、障害児者にとって最も負担なく、あるいは本人自身によって
選択された表現モードが、優先的に用いられなければならないことになる。
(Reid & Hurlbut,1977)」
という下りもありました。うん、よく理解できます。決して音声モードを
否定してるわけじゃないんですよね。
知的障害特別支援学校小学部3年目の3学期の話です。
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3月7日
応用行動分析学入門(ぞくぞくするぜい)1

応用行動分析学入門―障害児者のコミュニケーション行動の実現を目指す - 山本 淳一, 加藤 哲文
学苑社をやっと読み始めました。(ずいぶん前に購入していたのに(アセ))
今、望月昭さんの「総論」のところを読み終わりました。
この望月さんって先日、学研の雑誌「実践障害児教育」の中で
私が読んでて「ぞくぞくする」と書いた「コミニュケーション指導・再考」
という記事の共同執筆者の方です。
「総論」もすごいです。
今までのコミニュケーションというか言語の指導って、オウム返しで
何かを言わせたり、カードを示して「これなあに」「リンゴ」なんてのが
多かったけど、言語行動の社会的機能を重視するように変わってきた、
という話があります。
で、具体的にはノーマライゼーションの流れの中で、「自己決定」や
「本人の参加」のために「要求言語行動(マンド)」を教えていくことの
重要性があるのだけど。で引用します。
「要求言語行動に文字通り対応しようとするなら(本当に教えようとする
なら)、周囲の人間は、本人が選択(要求)できる、現実の者や事(強化
刺激)を用意しなければならないのである。
このように、表現モードを本人の選択を中心に選んだり、あるいは要求
言語行動の指導の場面で典型的に示されるように、そのコミニュケーション
の本来の機能を満たそうとすれば、指導者は単に障害児者本人とだけ向き
合って指導をしているだけではすまない。必要な環境設定を自らが行ったり、
あるいは生活環境の変更について、本人に代わって(あるいは本人と共に)
要求する必要が出てくる。そして、そうした操作を前提とした場合には、
この指導の場でのコミニュケーションの内容も、変化していく必要がある。」
私たちの学年が今年やってきた「おやつでコミニュケーション」の授業や、
「てつだってください」や「むすんでください」。はたまた「ゴーアウェイ」
や「CD聞きたい」などの指導(?)などの意味がすっきりするなあ、と思い
ます。
また、例えば「ある授業への参加」「ある行事への参加」なども、
そしてそれら「授業」「行事」の企画段階の考え方も変えていく
必要があるのかなあ・・・と。
私のお伝えした部分では不確実、不都合なところも多々あると思うので、
また興味を持たれた方は「応用行動分析入門」にじかに当たって下さい。
なおコミニュケーション指導について
「これに対して、行動分析学的立場の下では、口話のような音声モードで
あれ、手話や書字のような非音声モードであれ、必要な社会的な機能を
満たす上で、障害児者にとって最も負担なく、あるいは本人自身によって
選択された表現モードが、優先的に用いられなければならないことになる。
(Reid & Hurlbut,1977)」
という下りもありました。うん、よく理解できます。決して音声モードを
否定してるわけじゃないんですよね。