私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年04月06日

過去の記事136(めちゃ怖かったり不気味だったりへの代案)

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校小学部3年目の2学期の話です。
−−−−−−−−−−−−−−−
 12月5日


めちゃ怖かったり不気味だったりへの代案


 > ここはジレンマですね。ただ、その方がパニックを起こしたり、自
 >分で何をどうして良いか分からないとき、早くその状態から「我に返
 >る」というか「落ち着く」というかに移行してもらうときには「それ
 >を超えるようなインパクト」の存在が手っ取り早いのは事実です。こ
 >ういう言い回しだと誤解を与えるかもしれませんが。

 いえいえ、私にはよくわかります。
 で、逆に「よくわかれば」インパクトがなくてもいいわけですよね。

 またパニックにならないように環境を整えていれば・・・

 私の周囲では「教師の言うことをきかない時に」「教師の意図どおりに
動かない時に」私など情けない教師ではできない「叱り方」をする方も
おられるので・・・○○さんの言われる「叱る」「不気味」とは根本的
に違うのかもしれせまん。

 >>> 私は最近思いだしてるのは、もしそういう方がいらっしゃらないと
 >>>うまくいかない授業や体制はそっちが間違っているのじゃないか、って
 >>>ことです。
 >
 > 世の中というのは、千差万別のキャラクターの方がいるわけです。
 >さっきのジレンマ話とつながりますが、もし「間違い」だとすると
 >「こういう方がいい」という代案がなされなければなりません。表
 >題のとおり、私だってそう思いますが、その代案は浮かばないわけ
 >です。

 私も勤務校の中でぼちぼちと代案を出していこうとしています。
でも、代案を出していくのは結構恐いことですけど(笑)

 もちろん「恐い」「優しい」という言葉、あるいは「叱る」という言葉
実のところそれだけでは何の意味もありません(笑)△△さんの言われる
通りです。そして実は、文字にされていない部分の問題がすごく大きい、
ということは思っています。(あはは、この文の中でも消したところが
・・・)

 私も叱ることを否定するつもりはありませんし、「上手に叱る」ことが
できるようになることを熱望しています。

 私も教師のキャラ(個性)に応じた教育が一番いいと思っています。
 そして子どものキャラにも応じた教育が。
 しかし「方法」についてはできる限り共有していきたいと思っています。
で、これは別に1つに限るわけでなく、協力してやろうとすれば人数分の
アイデアが出てくるものなのだなあ、とこれまた実感しています。
−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 「威嚇と暴力」を使っている人でもそれを「共有」しようとする人は、
私の周囲ではいませんでしたね。空気みたいなものというか、すでに意
識にものぼらないものになっていたのかもしれません。

 TEACCH的な取り組みについては私は共有しようとしていました。

  
posted by kingstone at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去の記事(1998年度後半) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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