大昔の話です。
知的障害特別支援学校小学部3年目の2学期の話です。
−−−−−−−−−−−−−−−
12月5日
めちゃ怖かったり不気味だったりへの代案
> ここはジレンマですね。ただ、その方がパニックを起こしたり、自
>分で何をどうして良いか分からないとき、早くその状態から「我に返
>る」というか「落ち着く」というかに移行してもらうときには「それ
>を超えるようなインパクト」の存在が手っ取り早いのは事実です。こ
>ういう言い回しだと誤解を与えるかもしれませんが。
いえいえ、私にはよくわかります。
で、逆に「よくわかれば」インパクトがなくてもいいわけですよね。
またパニックにならないように環境を整えていれば・・・
私の周囲では「教師の言うことをきかない時に」「教師の意図どおりに
動かない時に」私など情けない教師ではできない「叱り方」をする方も
おられるので・・・○○さんの言われる「叱る」「不気味」とは根本的
に違うのかもしれせまん。
>>> 私は最近思いだしてるのは、もしそういう方がいらっしゃらないと
>>>うまくいかない授業や体制はそっちが間違っているのじゃないか、って
>>>ことです。
>
> 世の中というのは、千差万別のキャラクターの方がいるわけです。
>さっきのジレンマ話とつながりますが、もし「間違い」だとすると
>「こういう方がいい」という代案がなされなければなりません。表
>題のとおり、私だってそう思いますが、その代案は浮かばないわけ
>です。
私も勤務校の中でぼちぼちと代案を出していこうとしています。
でも、代案を出していくのは結構恐いことですけど(笑)
もちろん「恐い」「優しい」という言葉、あるいは「叱る」という言葉
実のところそれだけでは何の意味もありません(笑)△△さんの言われる
通りです。そして実は、文字にされていない部分の問題がすごく大きい、
ということは思っています。(あはは、この文の中でも消したところが
・・・)
私も叱ることを否定するつもりはありませんし、「上手に叱る」ことが
できるようになることを熱望しています。
私も教師のキャラ(個性)に応じた教育が一番いいと思っています。
そして子どものキャラにも応じた教育が。
しかし「方法」についてはできる限り共有していきたいと思っています。
で、これは別に1つに限るわけでなく、協力してやろうとすれば人数分の
アイデアが出てくるものなのだなあ、とこれまた実感しています。
−−−−−−−−−−−−−−−
追記
「威嚇と暴力」を使っている人でもそれを「共有」しようとする人は、
私の周囲ではいませんでしたね。空気みたいなものというか、すでに意
識にものぼらないものになっていたのかもしれません。
TEACCH的な取り組みについては私は共有しようとしていました。
知的障害特別支援学校小学部3年目の2学期の話です。
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12月5日
めちゃ怖かったり不気味だったりへの代案
> ここはジレンマですね。ただ、その方がパニックを起こしたり、自
>分で何をどうして良いか分からないとき、早くその状態から「我に返
>る」というか「落ち着く」というかに移行してもらうときには「それ
>を超えるようなインパクト」の存在が手っ取り早いのは事実です。こ
>ういう言い回しだと誤解を与えるかもしれませんが。
いえいえ、私にはよくわかります。
で、逆に「よくわかれば」インパクトがなくてもいいわけですよね。
またパニックにならないように環境を整えていれば・・・
私の周囲では「教師の言うことをきかない時に」「教師の意図どおりに
動かない時に」私など情けない教師ではできない「叱り方」をする方も
おられるので・・・○○さんの言われる「叱る」「不気味」とは根本的
に違うのかもしれせまん。
>>> 私は最近思いだしてるのは、もしそういう方がいらっしゃらないと
>>>うまくいかない授業や体制はそっちが間違っているのじゃないか、って
>>>ことです。
>
> 世の中というのは、千差万別のキャラクターの方がいるわけです。
>さっきのジレンマ話とつながりますが、もし「間違い」だとすると
>「こういう方がいい」という代案がなされなければなりません。表
>題のとおり、私だってそう思いますが、その代案は浮かばないわけ
>です。
私も勤務校の中でぼちぼちと代案を出していこうとしています。
でも、代案を出していくのは結構恐いことですけど(笑)
もちろん「恐い」「優しい」という言葉、あるいは「叱る」という言葉
実のところそれだけでは何の意味もありません(笑)△△さんの言われる
通りです。そして実は、文字にされていない部分の問題がすごく大きい、
ということは思っています。(あはは、この文の中でも消したところが
・・・)
私も叱ることを否定するつもりはありませんし、「上手に叱る」ことが
できるようになることを熱望しています。
私も教師のキャラ(個性)に応じた教育が一番いいと思っています。
そして子どものキャラにも応じた教育が。
しかし「方法」についてはできる限り共有していきたいと思っています。
で、これは別に1つに限るわけでなく、協力してやろうとすれば人数分の
アイデアが出てくるものなのだなあ、とこれまた実感しています。
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追記
「威嚇と暴力」を使っている人でもそれを「共有」しようとする人は、
私の周囲ではいませんでしたね。空気みたいなものというか、すでに意
識にものぼらないものになっていたのかもしれません。
TEACCH的な取り組みについては私は共有しようとしていました。