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 あくまでも、私個人の意見です。

2010年04月06日

過去の記事135(めちゃ怖かったり不気味だったり)

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校小学部3年目の2学期の話です。
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 12月4日


めちゃ怖かったり不気味だったり


いろいろ考えるとこはあるのですが・・・

 「褒める」にしても「叱る」にしても本人にわかるようにやらないと
駄目だ、というのは確実ですよね。ところで「叱る」あるいは「不気味」が
効果があったとして・・・

 「骨の随にまで響くように強烈に叱る」ことができる人、知ってます。
複数。子どもがピリッとしてなかなかよく言うことを聞きます。で、安全も
確保でき、授業もうまくいき・・・

(○○さんの場合は「そういうやり方じゃない方がいいみたい」と
気づいて下さった、という方でしたが。で、上記の方には私の苦手な方も、
そうでない方もいらっしゃいます)

 さて、その方の言うことは聞くけど、他の方の言うことはきかない、って
事態もよくあります。で「やっぱりああやらないかん」というような話に
なったり「私とやったら大丈夫」というような話になったりするわけで。

 でも、そういう人がそのお子さんが成長する課程でずっとついていく
ことができるのだろうか。卒業して社会に出た時もそういうふうに叱ったり
不気味だったりする人が「必要」である、という体制をとらないといけなく
ならないのだろうか。

 私は最近思いだしてるのは、もしそういう方がいらっしゃらないと
うまくいかない授業や体制はそっちが間違っているのじゃないか、って
ことです。

 もちろん「叱る」あるいは「不気味」がうまく作用して他の方との
関係も良くなる、というのであれば何も言うことは無いわけですけど。

 で、私自身は「情けない私」でもできる「方法」であれば、それを
伝えることができれば他の方でもやって頂けるだろうなあ、ってこと
なんですけどね。

 まあこれが言うはやすく、やるのはむつかし、というやつですけど。
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追記
 「授業もうまくいき・・・」と書いていますが、ほんとにうまくい
っていた授業なのか、子どもが「わかって嬉しい」「やった!」みた
いな授業だったのか、疑問です。

 わからないけど、とりあえず静かに座っておこう、になってなかっ
たか。

 また「怖い」と当時書いていますが「威嚇と暴力」であったりした
わけです。目の前のことを正確に書かないと議論にならないですね。


posted by kingstone at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去の記事(1998年度後半) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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