※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年04月05日

過去の記事113(発想の転換 パニックにならない環境を整える2)

大昔の話です。

 知的障害特別支援学校小学部3年目の2学期の話です。
−−−−−−−−−−−−−−−
 11月20日


発想の転換 パニックにならない環境を整える2


 いきなり例にひいて申し訳ありませんでした。

 > まず、あるパニックに対するある仮説を立てて、対策を先に打っておく。
 > 仮説が当たっていれば、パニックはでない。
 > ところが、多少減りはしても、まだパニックはでる。
 > その時の情報が新しい仮説の元になるので、私はうれしい。 ことと
 >
 > 普段、おとなしそうな子がパニックになる。普段は我慢してたのだろうが、
 >やっぱりしんどかったのだということがわかる。その子の苦しみがわからなかった
 >自分が情けないけど、その時わかったことはいいことだ。それで、次の対策が打てる
 >。
 >それで私はうれしい。

 仮説を立てて、対策を講じるわけですよね。
 で「相手が理解できてうれしい」というのを大事にしたいですよね。
 「俺の言うこときかなあかんのや」じゃなくて。

 > そうやっている内に、その子のパニックの要因がほとんど把握できてしまいます。
 >そうなると、(これはいけないのかもしれないけど)その子の微妙な変化に気をつけ
 >ながら、その子が苦手と思われることで、できればできて欲しいことに慎重に慎重に
 >挑戦することもします。だいたいうまくクリアできてしまいます。追い込むべきと
 >ころ、追い込んじゃいけないところが様子でなんとなくわかるようになっているから
 >です。けれども最初の方はわかったつもりで、わかってなくて失敗する時もあります
 >。

 よくわかります。私、今A君に「のこします」が言えるようになる指導をして
ますけれど、実は「ちょっとこれ食べてみたら」というようなプレッシャーは
与えているんですよね。私が「「のこします」と言える指導をしてます」と
言うとなんでもかんでもA君の言いなりにのこさせるのかと思いはる方が多い
とは思いますけど、そうでも無い・・・

 でも「食べるのが当然だ」という姿勢で口に突っ込むのはしないぞ、と思って
ます。

 > いちばん、うれしいのは、こっちがいろいろ工夫をこらして、歩み寄る姿勢でいる
 >とむこうの方も気をつかってか、2歩も3歩も譲ってくれることがあることです。

 この喜びを多くの方に実感として味わって頂きたいですね。
−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 もうどこかに書いたかもしれませんが、私がA君に「ちょっとこれ食べてみたら」
と言えるようになったのは「給食は残してもいい」というクラスの体制になってか
らのことです。
posted by kingstone at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去の記事(1998年度後半) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック