私の関わりのある法人
ksbutton.png omemebuttan.png sowerbuttan.png
※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年03月31日

教師はそんなとこで達成感持ったらあかん

 書いとこ。

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校でも通常校(特別支援学級)でも。

 運動会(体育祭)・文化祭などで

 「わかってできる」工夫はされていませんでした。

 ある年の知的障害特別支援学校の体育祭。

 ある競技に出るためにみんなは集合地点に。
 児童2人に教師1人、あるいはもっと多くの教師がついて大体は手を
引っ張って連れて行きます。
 
 ひとりの子は頭をがんがん地面に打ち付けていました。
 担任は堅い表情で両手を持ってじっとしていました。
 とにかくやらせきったと思います。

 他にもつらそうな子は複数いました。

 体育祭が終わったら教師はみんな笑顔で
「お疲れさん」
「いい体育祭だったねえ」
と言い合います。

 反省会(飲み会の方じゃなく職員会)というのも開かれますが、そこ
では
「大道具の出し入れは良かったです」
「放送機材は今年はMDがあって良かったです」
「礼状発送中です」
などの報告が続き、決して個別の子どもの問題が話し合われることはあ
りませんでした。

 教師の大多数は
「たいへんやったけど、良くやった」
と達成感を持っていた可能性大です。
想像ですけど。

 そういう時、私が書いた意見書はこちらです。
 ほぼ原文通りです。(たぶん「毎日の授業・・・」から「やっぱりやめた方がいいよな」くらいまで)

 ちなみに、意見書の冊子が出た後で校長室に呼ばれ
「こんなこと書いたらあかん」
と言われました。
ーーーーー
2000年5月29日  記
 体育祭が終わりました・・・
 何人かの児童・生徒には確実にすごくつらい目をさせたと思います。
 楽しめた子もいるのは事実。それが多数かもしれない。
 しかし少数かもしれないけれど苦しんでいた子はいる。
 実は体育祭の反省記録に「体育祭はやめよう」という意見を書こうかと思っていました。しかしだんだん「ちょっと違うかなあ」とも思い出しました。
 毎日の授業や生活を本人が「いつ」「どこで」「どれだけ」「どういうふうにやって」「終わったら次に何をして」がわかるようにすること。
 そしてやったことは褒められる。
 そういう体験をどんどん積む。
 そのためには、そのお子さんが「どんなことができて」「どんな手だてをとれば理解しやすく」「どんなことは苦手」なのかがわからなければならない。
 そしてそこがわかった上で体育祭を考えていけば・・・
 ほんのちょっとした考え方の違いなんだけど、それがものすごく大きな違いになっていくような気がします。
 日々の生活や授業がそういうふうに考えて組み立てられていくなら体育祭もやっていいだろう。でもそうでないならやっぱりやめた方がいいよなあ。
 あっ、これって「体育祭」を「学校」に代えてもいいかもしれません。まあ「学校」はやめたほうが、とは言いませんが。
ーーーーー


 自分がどんなことを主張したかは、書いても守秘義務には反しない
でしょ?

 達成感ってやつは「子どもと通じあえた」と思える時にじんわり感じる
もんです。変なことで達成感持ったらあかん。

 それと、学校ってとこが体育祭やら文化祭、別にやってもいいとは思い
ますが、「参加したくない」と表現する児童・生徒がいればそれは認めて
あげないと。

 嫌なものは嫌なのですから。
−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 「参加したくない」を認めてあげると次に「参加する」と表現してくる
こともよくあります。逆説的ですね。またそんな例も書きたいと思います。

 でもこれも教師や保護者が「参加せんでも良い」と覚悟を決めたら、たま
たま「参加する」と本人さんが表現しただけで、最初から「参加する」を
ねらってやろうとしたら失敗するでしょう。

 「参加しない」がずっと続いてもいいのです。




この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック