大昔の話です。
知的障害特別支援学校小学部3年目の2学期の話です。
これは素晴らしい実践をやっておられる方とのやりとりです。
−−−−−−−−−−−−−−−
10月29日
理解して頂くために 理論(理念)?実践?
「自閉症の人と物や絵でコミュニケーションするというのは、耳の不自
由な方と、文字や絵でコミュニケーションするのと同じことだと思い
ます。障害の特性がわかってくれば違和感ないことですよね」
この例も言ったかな・・うう、よく覚えてない・・・あと
「コミュニケーションに障害があるから、その苦手な部分を使わせよう、
という考え方と、その苦手な部分はできるだけ避けて得意な部分で
コミュニケーションしよう、という考え方と二つあるよね。私は後者」
というようなことも言いました。
「理論を知らないで実践だけで押すと、「この方法がよかったからどの
子にも」ということになりがちな怖さがあります。よい方法は誰にで
もよいわけではなくて、それがなぜよいかという、実態に裏付けられ
た理由がないといけないので、やっぱり理論が必要だと思います」
これね・・・今、私のクラスの全ての子にかなり同じような対応をして
います。でこの子は自閉症かい?というような子にも構造化された指導を
しようとしてるわけですが、少なくとも今までの指導よりは手応えが
あったりするわけですね。
で、もちろん私なりの理論はあるわけですが・・・
それと元発言の方も「理論」という言葉を使われたのだけど、実は
私は「理念」を語ったところもあって、それも指摘されているのだと
思います。
つまり「障害を抱えながら地域で普通に暮らしていく」「決して管理
や支配と服従のためでなく」とかね。
実のところ私だって人の「理念」を聞かされるのはあんまり好きで
ない、というところもありますもんね。
「楽しいかどうか、というのも結局は主観の問題ですよね。それとは別に、
我々自身の喜びは、子どもと通じ合えた、と自分自身がじんわり思うと
きにあるのではないかと思います」
新人Bさんもまさにそういうことがおっしゃりたかったのだと思います。
この頃、子どもと通じ合えたと、じんわり思えることがクラスの中で
結構多いのです。それは構造化された指導の面だけでなく構造化されて
いない部分でもなのです。
「指導がうまくいったと思えた時は、最も自分が子どもに学んだ時である。」
ほんとにそうですね。
「もちろん、特別支援学校での教育実践はチームでするわけですから互
いにわかりあえないといろいろ不都合があるんですが」
いいメンバーに恵まれて、思いっきり実践させて頂けることをありがたい
と思っています。
で、それを校内で出して顰蹙かいまくって、出ていかなければならない
ようになればそうすればいい、と思っていましたが、違和感を覚えつつも
好意的には見て頂けているようでこれまたありがたいことです。
知的障害特別支援学校小学部3年目の2学期の話です。
これは素晴らしい実践をやっておられる方とのやりとりです。
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10月29日
理解して頂くために 理論(理念)?実践?
「自閉症の人と物や絵でコミュニケーションするというのは、耳の不自
由な方と、文字や絵でコミュニケーションするのと同じことだと思い
ます。障害の特性がわかってくれば違和感ないことですよね」
この例も言ったかな・・うう、よく覚えてない・・・あと
「コミュニケーションに障害があるから、その苦手な部分を使わせよう、
という考え方と、その苦手な部分はできるだけ避けて得意な部分で
コミュニケーションしよう、という考え方と二つあるよね。私は後者」
というようなことも言いました。
「理論を知らないで実践だけで押すと、「この方法がよかったからどの
子にも」ということになりがちな怖さがあります。よい方法は誰にで
もよいわけではなくて、それがなぜよいかという、実態に裏付けられ
た理由がないといけないので、やっぱり理論が必要だと思います」
これね・・・今、私のクラスの全ての子にかなり同じような対応をして
います。でこの子は自閉症かい?というような子にも構造化された指導を
しようとしてるわけですが、少なくとも今までの指導よりは手応えが
あったりするわけですね。
で、もちろん私なりの理論はあるわけですが・・・
それと元発言の方も「理論」という言葉を使われたのだけど、実は
私は「理念」を語ったところもあって、それも指摘されているのだと
思います。
つまり「障害を抱えながら地域で普通に暮らしていく」「決して管理
や支配と服従のためでなく」とかね。
実のところ私だって人の「理念」を聞かされるのはあんまり好きで
ない、というところもありますもんね。
「楽しいかどうか、というのも結局は主観の問題ですよね。それとは別に、
我々自身の喜びは、子どもと通じ合えた、と自分自身がじんわり思うと
きにあるのではないかと思います」
新人Bさんもまさにそういうことがおっしゃりたかったのだと思います。
この頃、子どもと通じ合えたと、じんわり思えることがクラスの中で
結構多いのです。それは構造化された指導の面だけでなく構造化されて
いない部分でもなのです。
「指導がうまくいったと思えた時は、最も自分が子どもに学んだ時である。」
ほんとにそうですね。
「もちろん、特別支援学校での教育実践はチームでするわけですから互
いにわかりあえないといろいろ不都合があるんですが」
いいメンバーに恵まれて、思いっきり実践させて頂けることをありがたい
と思っています。
で、それを校内で出して顰蹙かいまくって、出ていかなければならない
ようになればそうすればいい、と思っていましたが、違和感を覚えつつも
好意的には見て頂けているようでこれまたありがたいことです。