肢体不自由養護学校から知的障害養護学校に異動しました。
肢体不自由養護学校で、パソコンなどの機器の導入をしていましたので、
そちら方面を期待されたのだと思います。
行ってすぐに違和感を覚えました。
私は肢体不自由養護学校では、動きの少ないあるいはほとんど無いような
お子さんの、動きを増幅し、コミュニケーションを支援する活動をしていま
した。中から引き出そうとしていたわけですね。
1994年の肢体不自由特別支援学校での取り組み
こんなことです。
ところが、知的障害養護学校に行くと、とにかく枠にはめて動き出さない
ようにしないと日々が過ごせない?!正直そんな印象を持ちました。
学校全体の雰囲気も何か抑圧的だし、私もその流れにいなくてはおられない。
でも入ったクラスの主任の先生は、集会の時子どもたちが並べなくても、
「いいのよ。叱らないで」と言うような方で、そのおかげで私は1年目を
生き延びることができたような気がします。とても素敵な方でした。
後から考えてみると、その先生もすごく上手に視覚情報を使う方でした。
自閉症のお子さんを洗濯物を干す活動に誘う時「洗濯物を干しに行こう」
って声をかけながらハンガーを見せるとか。
ただ「視覚情報が大事」とかいうことは、教えてもらうことはなくて、
その先生と子どもたちとの動きを「すげえ・・名人技(どういう技なの
かは実は私はわかっていない)」と感心するだけでした。
そしてその先生のように子どもたちとつきあえる方はたぶん他には
いなかったと思います。
私は自閉症のお子さんとどう付き合ったらいいのか、わからないまま
でした。
そのお子さんがハンカチを畳むのが好きだ、というのがわかってハンカチ
を大量にもちこんだりしましたが。でもそのお子さんにとって、学校生活は
決してここちいいものでは無かったと思います。
そのお子さんにとっては、当時導入されたMACにタッチパネルをつけた
ものでジャカジャカジャンケンをするのが唯一楽しい時間だったかもしれ
ません。