※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2025年03月29日

視覚的支援での 教材作成における課題と活用可能性




 ダウンロードする場合は、Google scholer で題名で検索できますが、クリックするとダウンロードされるので、そちらの URL はわからないですね。

 「はじめに」に

 知的障害や発達障害のある子どもに対するエビデンスに基づいた理論や技法として、汐田(2016) は, TEACCH (Treatment and Education of Autistic and related Communication handicapped Children),ABA(Applied Behavior Analysis;応用行動分析学),PECS (Picture Exchange Communication System; 絵カード交換式コミュニケーション),SST (Social Skills Training; 社会的スキル訓練),CBT(Cognitive Behavior Therapy; 知行動療法)などを挙げている。また、松下(2015)も同様に、自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder ;ASD) に対するエビデンスに基づいた効果的な支援方法の例として、視覚刺激を用いた支援、構造化,ICT (Information and Communication Technology; 情報通言技術)を活用した支援、ABAを紹介している。そのなかでも、視覚刺激を用いた支援は学校や支援施設などの実践現場で広く普及しており、「ASDの支援といえば視覚刺」ともいえるほど認知されているだろう。

 と書かれてます。
 
 そやなあ、と思いつつ、最後の1行「そのなかでも、視覚刺激を用いた支援は学校や支援施設などの実践現場で広く普及しており、「ASDの支援といえば視覚刺」ともいえるほど認知されているだろう。」については首を傾げます。

 つい先日、知的障害特別支援学校(正規採用・特別支援学校教諭の免許あり)2年目終了の若者と話しました。
 以下の言葉を知ってるかどうか尋ねてみました。

TEACCH
ABA
PECS

 いずれもまったく知らないとのことでした。

「視覚的支援」については「何となく」との答えでしたけど、「こういうこと」という自信ありげな回答は無し。

 私は

「君の責任では無いけどな。
 ベテラン、研修部長、支援部長、管理職、教育委員会、文部科学省の責任ではある。
 でも自分で勉強しいや」

といくつかの URL とともにお伝えしました。

若者「確かにうちの学校、自分も含めて専門性のある先生、いないですね」
K「一般の人は特別支援学校に行ったら、専門的な教育受けられると思てんねんで」

という会話もありました。

 もちろん、言葉を知ってることが良い実践につながるとは限らないのですが。

 いつも思うのですが、自動車運転免許だと取り立ててでも、こわごわでもとりあえず公道を走ることができるじゃないですか。特別支援学校教諭免許って「公道を走る(実践に投入できる)」ものとなっていないんじゃないかな・・・

 あるいは免許取得時に学んだことを、現場が潰していくシステムがあるとか?

 しかし・・・TEACCH, ABA, PECS, 視覚的支援って言葉、「専門用語」とすら言えないほんの入口の入口だと思うのだけど。

 筆者は視覚的支援を

1.理解を促すための支援
2.表出を促すための支援
3.活動遂行を促すための支援

と分類されている。

 で、私は「促す」という言葉にひっかかるのですが、しかし「活動遂行を促す支援」の中でこう書かれています。

そのほかの視覚刺激を用いた支援として、活動遂行を促すための支援が挙げられる。特別支援学校の目的として、「障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けること」が学校教育法第72条に規定されている。すなわち、障害のある子どもの自立を促進することは重要な目標のひとつである。自立を促進するための方略のひとつとして、近年ではABAの枠組みを用いた自己管理(セルフマネージメント)の研究が行われており、自己管理は自己決定を保障するための重要なスキルであると考えられる(澄井・長澤,2003)。自己管理のための具体的な手続きには様々なものがあるが、竹内・園山(2007)は対象者がそれらの全てを自分で行う必要はなく、自己管理スキルを発揮できるように支援する「支援つき自己管理」が必要であると指摘している。


 この中の「自己決定を保障」(外部から促すだけでなく、理解できる情報を得て、自ら判断(選択)できる)を、支援者、教師、保護者には最初から強くお伝えしておかないと、単に外部からコントロールしようとするものになってしまい、そのために「効果」も小さく、あるいは無しになってしまう、ということは強調しても強調しすぎることは無いと思います。

 で、筆者もそのあたりはわかってはって

松下・園山(2013)では、ASDの子どもが複数の学習活動を予定されたスケジュール通りに遂行するだけでなく、子どもが自分で活動の順番を決定することや、文字のみのスケジュールに移行するための指導を実施し、生活全体の向上に寄与する可能性を検討している。

と書かれています。

 あともちろん「促す」だけでなく「自発」の重要性も「表出を促す」の中に入ってくるんだろうな。「促す→出てきやすい環境を整える」そして自発する、ということだから。

 あとこれは教師や放課後等デイサービス・児童発達支援のスタッフ向けの言葉ですが

子どもによって好きな感覚は異なるが、教材で遊んでしまい支援に活用できないことは少なくない。具体的には、絵カードを眼前でヒラヒラさせたり、歯で噛んだり、机上に立ててコマのようにクルクル回したりすることがある。視覚刺激を用いた教材はあくまで子どもの適切な行動を引き出すための支援ツールであり、それ自体で楽しむための玩具ではない。子どもが教材で遊んでしまうということは、それがその子どもの支援のために有効なものでないことを示している。そのような行動は、子どもにとってより理解しやすいものにするように教材を工夫することが必要であることを支援者に教えてくれる。

 この「支援者に教えてくれる」とか

支援者がとても熱心に教材を作り、活動を表す絵カードの端に子どもの好きなキャラクターのマークをつけたり、花や星などで飾りつけをしたりすることがある。通常だとこのような装飾は教材に対する興味を高めるという点で有効であると考えられるが、ASDの子どもにとってはそうでないことがある。すなわち、シングルフォーカスという特性によってキャラクターや星印にしか注目できず,本来見てほしい活動内容に注目できないのである。これでは本末転倒である。先述の通り、教材に興味がないということはそれが必要ないということを意味する。あえて支援者側が興味を引きつけるように工夫する必要はなく、たとえ無機質でシンプルなものであっても、支援ツールとして機能する教材を作成することが必要である。

 このツールとしては「無機質でシンプルなものであっても、支援ツールとして機能する」という視点はとても大切なものだと思いました。





汐田まどか>(2016)治療と療育の原則。平岩幹男(編)データで読み解く発達障害.中山書店,178-182.




松下浩之(2015) 自閉症。柘植雅義(監修)


澄井友香・長澤正(2003) 自閉症の児童の清掃スキル獲得に対するセルフマネージメントの効果.特殊教育学研究,41(4),425-432.



竹内康二・園山繁掛(2007)発達障害児者における自己管理スキル支援システムの構築に関する理論的検討。行動分析学研究,20(2),88-100.






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2025年03月28日

アフリカ系アメリカ人ASD児に対する視覚的スケジュール



Effects of Parent Implemented Visual Schedule Routines for African American Children with ASD in Low-Income Home Settings
低所得者向け家庭環境におけるアフリカ系アメリカ人ASD児に対する親の視覚的スケジュールルーチンの実施効果
Samantha E. Goldman, Carrie A. Glover, Blair P. Lloyd, Erin E. Barton, Maria P. Mello
Taylor & Francis Online
オンライン公開: 2017年3月10日

 題名がすごいな・・・抄録部分に

学齢期のASD児のためのペアレントトレーニングに関する文献では、低所得でマイノリティの家庭はあまり紹介されていない。視覚的スケジュールのような視覚的支援の使用は、学校でのASD児に対するエビデンスに基づいた実践と考えられているが、この戦略がマイノリティで低所得の家庭で親が家庭で実施する場合に有効であるかどうかはわかっていない。

と書かれています。

 う〜〜ん、「有効であるかどうかはわかっていない」ということだけど、単にそんなペアレント・トレーニングを受ける余裕が無い、というだけなのでは、と思ってしまう。

 しかし、論文として出てきている子どもたちの家庭は中産階級の白人が多い、と論文の中でも書かれている。

 参考文献で出ている

Developing a framework for reducing the cultural clash between African American parents and the special education system.
アフリカ系アメリカ人の親と特別支援教育制度との間の文化的衝突を軽減するための枠組みを開発する。
Boyd, B. A., & Correa, V. I. (2005).
Multicultural Perspectives, 7, 3-11.

は是非読んでみたい。

 今まで、聞いた中では中東とかでは視覚的支援があまり有効ではない、とかいうのは「偶像」を描いてはいけないからかなあ、と思ったことはあるけれど。

 でも、日本でも移民が増えてきてるから、マイノリティーの人々の子どもへの実践研究は重要か。

 で、読んでて、すごく客観性への努力、エビデンスとして積み上げるための努力がうかがえて、ここまでやるのか、と思ったけれど、この労力は実践として現場で積み上げていかれてるのかなあ、とは思った。

 あと、

地域の障害者ネットワークや公立学校を通じて8ヶ月間にわたって募集を行い、ASDの学齢児童2名とその母親を本研究に参加させた。

 8か月で2名!

 よほど支援プログラムに参加するアフリカ系アメリカ人が少ないということかな?
 で

子どもの参加者は以下の参加基準を満たしていた:
(a)学校の記録によるASDの教育的適格性
(b)5歳から12歳
(c)連邦所得資格ガイドライン(米国農務省[USDA]、2014年)に基づく無料/割引昼食の適格性
(d)米国国勢調査局によって定義された少数民族または人種グループのメンバー
(e)マッチングまたはラベリング課題を通じて絵と物の対応関係が実証された
(f)特定の日課の間に問題行動を起こすか、活動間の移行時に支援が必要であった(最初のスクリーニング面接での親の報告に基づく)
現在、家庭でルーチンの間に視覚的スケジュールを使用している参加者は研究から除外された。

 これらの基準を満たす人を探せるのもすごいけど、現在のトランプ政権での DEI(Diversity(ダイバーシティ)、Equity(エクイティ)、Inclusion(インクルージョン)の頭文字をとった略称で、多様性、公平性、包括性を意味する)を徹底的に排除していこうという政策を見てると、上記のいくつかは「無くなる」「わからなくなる」のではないか、というのが論文の読み方としては見当違いだけど、心配。

 結果としては、それぞれに良い結果は出ているのだけど、何て言うんだろう、「本人の QOL は今後も保たれるのか?良くなるのか?」というあたりには非常に疑問が・・・

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2025年03月27日

視覚的支援の範囲を明確にするためのレビュー(2019)



 先日記事にした

に先立つ、同じ筆者が視覚的支援の範囲を明確にするためのレビュー記事です。

 訳は多くは readble により、一部は DeepL によります。

 なお、VS(Visual Supports)を 視覚的支援と訳しました。


Visual supports at home and in the community for individuals with autism spectrum disorders: A scoping review
自閉症スペクトラム障害を持つ人々に対する家庭および地域社会での視覚支援:スコープレビュー
Sage Journals
2019年8月26日にオンラインで初公開
Marion Rutherford', Julie Baxter, Zoe Grayson, Lorna Johnston and Anne O'Hare

 本研究の目的上、「視覚的支援」(視覚的支援)という包括的な用語は、様々な目的で使用される共通のリソース群を指し、それらは言葉よりも永続的であり、言葉がなくなった後もずっと参照のために残されている。このスコーピングレビューの冒頭で、この傘に含まれる視覚的支援の包括的なリストを入手することは不可能であったため、独自の詳細な定義を提供している。レビューの結果、用語と概念の境界をさらに明確にしたい。


 これ、「言葉」ってのがちょっと変と思ったら、原文は

For the purpose of this study, the umbrella term 'visual supports' (視覚的支援) refers to a common group of resources, used for various purposes, which are more permanent than words, remaining for reference long after words are gone.

 で、words と複数形になると、研究社新英和辞典第7版によると
 「[しばしば複数形で] (口で言う)言葉; 話, 談話」

 ですから、私がいつも使用している「音声言語」という言葉のほうが妥当でしょうね。
 「音声言語」じゃ硬すぎて「話し言葉」のほうがいいかな・・・

 これ、先行研究で「包括的なリスト」が無い、という点、まさに私が悩みまくっている点でした。
 そうかあ。2019年に英国ではこんなレビュー(システマティック・レビューではなく、スコープ・レビューってことですが)があったんだ。(英語文献にはなかなかたどり着けないし、見つけてもなかなか全文を手に入れられない)

 個人がこれらのコミュニケーション手段を利用するには、個人的な動機付けが必要かもしれませんが、意味や使用方法を教わることは、個人の発達段階に合った視覚支援(視覚的支援)自体がスキル習得を意味するわけではなく、むしろ、無数のスキル習得を支援するために設計されたツールなのです。

 う〜〜ん、そうなのだけど、それ以外に、「自分で判断するための手がかりを得る」というのが、何か視野から抜けているような気はする。
 そして、確かに「こんなスキルを身につけた」「こんな行動障害が無くなっていった」という論文に、どんな視覚的支援を使ったか、みたいな論文は多いのだけど、下記の

 私たちのアプローチには、視覚的支援が自閉症児の中核的な実践として一般的に推奨されているという前提が埋め込まれていた。我々の目標は、視覚的支援を使用すべきかどうかを決定することではなく、むしろ、どのような障壁や促進要因が成功の実施に影響を与えるかを解明し、理解を深めることであった。
「どのような障壁や促進要因が成功の実施に影響を与えるか(特に保護者に対して)」という論文がほとんど無いのよね。

 でもって「視覚的支援が自閉症児の中核的な実践として一般的に推奨されているという前提が埋め込まれていた」
 つまり、「視覚的支援は当たり前」ということね。
 で、この論文は

目的
1. 自閉症児の家庭での視覚支援に関する文献を特定し、指定の基準に適合するものを選別し、使用されている用語を検討する。
2. 家庭や地域社会で視覚支援を使用した親や専門家の経験を評価する。
3. 調査結果を実践への提言に役立てる。

というために書かれたと。

そして、論文レビューだけでなく、支援者・保護者にアンケートをし、アンケートに答えてくれた人に、フォーカスグループ(インタビューをするためのグループ。ここではプロフェッショナル(って支援者か)2名、保護者2名(とあと、この論文を書いた人たちの1人とかかな?)を作り、これには7人の保護者と15名のプロフェッショナルが参加してくれた。(それぞれ4人+αのグループでグループインタビューをしていったわけ)

で論文レビューでの目的は(数字と改行はkingstone)

1.「視覚的支援」と考えられるものの範囲を明確にすること
2.自閉症者の家族による「家庭」環境での視覚的支援の使用に関する関連研究の包括的な概観を提供すること
3.将来の臨床研究に情報を与える可能性のある文献のギャップを特定すること

 ギャップってのは、「いやそれは現場ではできひんで」みたいなことかなあ。

 また

研究以前は、質の高いエビデンスが乏しく、評価をサポートする家庭での視覚的支援の概念的枠組みが発表されておらず、視覚的支援はあるが、より広く再現されている。

 ってことなのですが、最後のほうで「やっぱり強いエビデンスはないよね」というふうになってます。でも大事だと。もうめちゃめちゃ共感してしまいます。


いろいろ読んで、視覚的支援の使用例は以下の4つのサブグループに分けられたと。(改行はkingstone)

(1) 環境の理解
(2) コミュニケーション支援
(3) 規則や社会的な期待の理解
(4) 環境間の一貫性の維持

 私の先に書いた「自分で判断するための手がかりを得る」は「環境の理解」に入るのかな。もちろん

・今、何をやればいいのだろう
・次に何があるのだろう
・月日の明日以降の予定は
・ここは何をする場所かな
・この作業はどうやったらいいのかな
・私の買いたいものはどこで買えるかな
・今、十分なお金があるかな
・十分なお金がなかったら、どうしたら貯まるだろう(稼ぎや年金や生活保護)

 これら実は全て「環境の理解」ではある。

 また保護者へのアンケート結果のうち、どんなことに使わているかを集計すると、多いのは

ヴィジュアル・タイムテーブル(スケジュールですね)
日常生活のシーケンス・チャート(こっちもスケジュールですね)
ソーシャル・ストーリー
ヴィジュアル・ホームスクール・ダイアリー(絵日記?過去用?未来用?)
タイマー

 これは現状を表しているのだけど、やはり運用次第ではあるけれど

「自分で判断するための手がかりを得る」そして「意思表明」する部分が少ないような気がするなあ。で、論文中にもこう書いてある。

臨床的な意思決定を支援するソールは容易に入手できない。発達段階に基づく視覚的支援の評価・計画ツールの開発を推奨する。

 しかし、ちょっと違和感がある。こう評価・計画ツールとかもういっぱい開発されてきてて、それを覚えられないでアップアップしている人、専門家にも多いのじゃないかな。

 おめめどうが常に強調し、応用行動分析でも昔は少数の、今はだいぶ多くの人たちが選択活動の大事さを言うようになってる。

 評価・計画ツールがあればあったで良いかもしれないが、まず2択から始める選択活動、これを続ければ「意思決定」は速くなり、意思表出もしやすくなると思うがなあ。


フォーカスグループでの議論で出てきた(地域社会(特に学校)と、保護者が視覚的支援を身につけるために必要なものという)テーマは

1.視覚的支援へのアクセス
 診断に依存するのではなく、必要(たぶん困りごと)に対応するタイムリーなサポート。

2.関与重視(Participation-focussed)
 訳文には「参加重視」と出てくるのだけど、これは「今、ここ」の保護者への「困りごと」に関与していくことが大事、という意味だと思われる。

3.個別化された計画
 2.を実現しようとすれば、当然個別化になるよね。で、人それぞれちがっているから個別化されなきゃいけない。

4.方法を教える
 具体的に伝える、ってことだよね。

5.家庭や地域社会で一貫性がある
 もちろんこの地域社会という部分の「学校」の役割は大きい。で、別のところで。家族が一貫性の責任を負う(というか負わざるをえない)という話も出てきている。本来は違うはず。しかし現状としては日本でも一貫性を保つためには親御さんがめちゃくちゃ努力を強いられる現状がある。

6.情報と訓練
 訓練というのは地域では支援者(特に学校教師)、家庭では保護者に対してであるよな。

で、実践への示唆として、保護者が視覚的支援というものにたどりつくためのアクセシビリティとして

親は、他の親(Machalicek et al.,2014)、または十分な視覚的支援リソースを持つ、十分に訓練された知識豊富なマルチプロフェッショナルチームから、訓練、情報、リソース、実践的・精神的サポートにタイムリーにアクセスする必要がある。

 いや、まあ、そのとおりなんだけど・・・
 で、解決策として(改行はkingstone)

(1)一般的に使用されている視覚的支援をあらかじめ作成したバンクを開発すること(Donato, Shane, & Bronwyn, 2014; Vaz, 2013)
(2)参加者は、家庭視覚的支援の重要性について専門家の間で知識を構築し、家族へのアクセスを支援することを提案した。
(3)さらに、「図書館におけるボードメーカー」モデル (Tutin,2013)の使用が確認され、家族が施設に公平にアクセスすることで、視覚的支援や専門家/ピアのサポートが可能になった。

ってことです。(「図書館におけるボードメーカー」については、


を参照してください)

 またこのレビューでこれを推奨したら良いのではないか、という原則というか態度・やり方というのかが、以下のようになっていて、これは上記論文に生かされています。

1. 対等なパートナーとしての家族。
2. 家族が独自に視覚的支援リソースを作成するためのサポート。
3. 学際的で、ダイナミックで、参加に重点を置き、発達と機能に関連したアセスメントとプラン ニングのプロセス。
4. 専門家と保護者が、視覚的支援 にアクセスするための「時間的なゆとり」を支援する。
5. 家族にとって使いやすい情報と情報提供を提供する。
6. より集中的なスタートアップオプション、ドロップインセッション、ピアサポート、ホーム サポート、親のトレーニング、コーチング、モデリングなど、専門家によるサポートを柔軟に利用 できるようにする。
7. 専門家によるトレーニングと意識向上
8. シンボルセット」や一般的に使用される資料のテンプレートにより、セッティング間の一貫性をサポートする。

 しかし、この論文著者、マリオン・ラザフォードさん、こういう基礎的な研究から始めて、しつこくしつこく(褒めてる)保護者支援を考え続け、実践していってはる。

 すごいなあ。




 しかし

家庭用視覚的支援の製作と実施には時間的な制約があることが障壁として挙げられている (Donato et al., 2014; Hayes et al., 2010; Meadan et al., 2011)。家族は特に「時間的貧困( time poor)」である可能性がある。したがって、サービス提供の計画において、重要な要素は、親や専門家からの時間要件であり、成功した結果と釣り合う。

とか言うのを読むと私なら

「保護者、忙しいねん。時間無いねん。そやからぱぱっとできるようにせなうまいこといかへんで」

くらいに言いたい私は論文を読むのも書くのも向いてないな、と思います。


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2025年03月24日

スコットランドの大学での視覚的支援に関する家庭訪問支援の試行



「Piloting a Home Visual Support Intervention with Families of Autistic Children and Children with Related Needs Aged 0-12」
「自閉症児および0〜12歳の関連ニーズを持つ子どもの家族に対する家庭視覚
支援介入の試行」
(2023)
Marion Rutherford , Julie Baxter , Lorna Johnston , Vaibhav Tyagi , Donald Maciver
International Journal of Environmental Research and Public Health


 この論文、手に入れたのですが、直接の URL にはたどり着けてません。
 こちらの出してる Jounal にあるわけですね。

International Journal of Environmental Research and Public Health
国際環境研究公衆衛生ジャーナル

 興味を持たれた方は何とか手に入れて直接読んでください。

 少しだけ引用してみます。なお訳は DeepL です。

 論文の要約から

 視覚的支援は、自閉症者や神経発達に違いのある他の人々にとって重要な介入である。
 しかし、視覚的支援へのアクセスは限られており、家庭で視覚的支援を使用するための情報や自が不足していることがしばしば報告されている。このパイロット研究では、家庭を基盤とした視覚支援介入の実施可能性と有効性を評価することを目的とした。


 Introductionから

 本研究が実施された地域(イギリス、スコットランド中部)では、視覚的支援のトレーニングはすべての保育園や小学校で実施されており、視覚的支援はこれらの環境で一般的に使用されている。親の介入、親のトレーニング、自閉症に関する情報も利用可能であるが、家庭での視覚的支援の提供にはギャップがあると家族は報告している。また、親は親の会で視覚的支援について学んだが、その知識を日常生活に移すことは困難であると報告している。

 すげえ!
 「視覚的支援のトレーニングはすべての保育園や小学校で実施されており、視覚的支援はこれらの環境で一般的に使用されている」
だと。
 しかし、肝心の家庭では難しいと。

 日本ではまだ保育園や小学校でも使用されていなかったり、反対されたりすることはよくあるし・・・それだと日本ではまだまだ・・・ということはよくわかります。

 支援は、地域の法律に従い、診断ではなく必要性に基づいて行われる。スコットランドでは一般的に、あらかじめ指定された治療時間数や行動主義的な支援は提供されていない。ニーズや発達段階に応じて、また自然に発生する環境への適応を考慮しながら、普遍的な支援、対象を絞った支援、専門的な支援など、さまざまな支援が提供されている。これには、保健と教育の専門家間の協力的なアプローチ、親を介した介入、親の情報セッション、教育現場のスタッフによるトレーニング、モデリング、コーチングなどが含まれる。
 それでも家庭ではむつかしいわけですね。

 そこで、3〜5回の家庭訪問をして、一緒に課題を考え、視覚的支援物を作ってあげてやってみるといいのではないか、と考えて試行してみた、というわけです。


 適用された原則の部分

1.家族は対等なパートナーである。
2.家族が視覚支援の資料を独自に作成できるよう支援を行う。
3.評価および計画プロセスは、保健および教育スタッフを含む多分野にわたるものであり、親を中心とし、発達および機能に関連するものである。
4.専門家および親が視覚支援に長期的にアクセスできる「時間的余裕のある」支援である。
5.家族にやさしい情報および案内表示が提供される。
6.専門家による支援へのアクセスに柔軟性を持たせ、集中的な立ち上げオプション、立ち寄りセッション、ピアサポート、家庭支援、親のトレーニング、コーチング、モデリングなどを含める。
7.視覚支援に関する専門家のトレーニングと意識向上が含まれる。
8.よく使われるリソースのシンボルセットやテンプレートが、すべての環境で一貫して使用されている。

 子どもの発達段階に応じたリソース

選択ボード
個人用フォトブック
テクノロジーベース(例:コンピュータまたはタッチデバイス
現在/次のボードとシンボル
絵による意思伝達システム
一連の動作のシーケンスチャート(例:トイレに行く
カウントダウンカード(例:あと3回寝たら...
ヘルプカード
参照対象(例えば、食事を表すスプーン) これが「今」私たちがしていること 参照対象
今/次のボードと対象
対象 一日の一部または全部の時間割 歌の象徴(参照対象)
「待って」カード
歌のシンボルブック
視覚シンボルの買い物リスト
1日の一部または全部の視覚シンボル・タイムテーブル1週間または1か月の視覚タイムテーブルまたはカレンダー
「OK/NG」カード
感情(例:感情コントロールの視覚化
ソーシャルストーリー


 どの段階でも利用できる、保護者向けリソース/環境

家庭・学校のビジュアル日記 コミュニケーションパスポート
物の位置や収納場所を示す環境ビジュアルラベル(例:上着の写真)
次の活動への準備や待つことを学ぶための砂時計

 でやってみた結果、29家族(ASD確定診断あり、と診断はまだないがアセスメントを受けている子の保護者)が参加し、親の QOL が有意に改善した、と。

 保護者の感想

 家庭訪問の仕組みは保護者に高く評価された
 保護者は、この介入、特に家庭訪問の有益性、そしてそれが以前の情報を受け取る方法よりも有益であったことについて、強い感情を持っていた。保護者は、子どもをサポートするために日常生活に工夫を加えることに強い意欲を持っていた。保護者は、生活の中で多くのストレスや困難を経験しているが、それにもかかわらず、子どもを支援するために変化を加えることに意欲的であったと報告した。家族は、介入の一環として受けた家庭訪問を高く評価した。
「学校から家庭で使用するためのビジュアル資料を提供されたことはありませんでした。スタッフが)家庭訪問に来てくれて初めて、本当に理解できました」。
「私が気に入ったのは、彼らが戻ってきて、私たちの現在の状況に合わせて、それをフォローアップすることができたことです。」
「保護者会もやりました......誰かが自分の家に来るという体験は、まったく違うものでした」。
「他のビジュアル・サポートの経験とは違っていた。」
 保護者からの報告によると、家庭訪問によりスタッフは家族の状況やニーズをより深く理解し、個々のニーズに合わせた支援を提供することができたとのことです。スタッフは、家族とのやりとりにおいて、前向きで協力的、かつ共感的な姿勢を示していたと見られています。スタッフは適切な質問をし、保護者のニーズに耳を傾け、フィードバックと励ましを提供しました。その結果、保護者は自信を深め、子どもを支援する能力に確信を持つことができました。

 なお、これは大学内の図書館ですが、「図書館のボードメーカー 'Boardmaker in Libraries' 」プログラム(下図参照)にも、家族が「ドロップイン( 'drop-ins' ふらりと立ち寄る、という意味ですが、ワークショップのことかな?)に参加したり、自分で資料(視覚的支援物と思われる)を作ったりできるそうです。
(図はクリックすると大きくなり、もう一度クリックするとさらに大きくなります)
4.41-Boardmaker-in-libraries.jpg


 これ、ボードメーカーという名前は今残っているのかどうかはわからないのですが、(ボードメーカーは Picture Communication Symbol という、日本で言えば Drops みたいなもので、絵カードを作れるソフト) 今は、tobii dynavoxR 社が販売している様々なハード・ソフトに進化しています。


 日本での販売はこちらの tobii というサイトになるのかな。

 で、ここで思うのは、これ、1営利企業の商品なわけですね。堂々と名前が出てる。
 日本でも、おめめどうはじめ、いろいろな支援グッズ・支援ツールを販売しているところを、堂々と論文で紹介や、公的機関での使用などできるようにしたらいいのに・・・

 なお、もちろんこの試みは試行であって、だからこそ論文にまとめられた、ということだと思います。スコットランド中部でも家庭ではうまくいっていない・・・(まあ、保育所や小学校では一般的に使われている、ってのにはびっくりしましたが、それも実際に見てみないとわからない、と思う私ではあります)


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2025年03月23日

『仏教を『経営』する』蔵元龍介著




 この画像を貼り付けようとして、これは kindle 版ですが、紙のほうでは金額が2倍に達しようかというのがずらずら出てきました。

 2025年2月25日に出たばかりの本なのですが・・・

 それで売れると転売ヤーさんが思ってる?

 
 つかみがすごくいいな。

 著者がミャンマーの上座部仏教の寺タータナ寺院で出家者として托鉢に出た時。いつも布施をしてくれる老婆がぬかるんでいる道に跪いてただ礼拝しているだけだった(つまり食べるものも無かった)。そのことを師僧に相談すると

「出家者としてやるべきことは、あのおばあさんの肩を抱いてあげることではない。自分の背中を通して、世俗的な幸せとは違う、超俗的な幸せを示してあげなければいけない」

 僧が律を守り、出家修行をすることこそが、在家の人々の幸せにつながる、という考え方。

 そして、その対極(?)にあるのが、同じくミャンマーのダバワ瞑想センター。ここには病に倒れた人、薬物依存者、ホームレスその他その他の人がボランティアとともに過ごす。ボランティアは「善行」という原理にそって行動する。また瞑想もおおいに勧められる。

 真言律宗の僧侶でかつ武道家であった松波龍源師が、蔵元龍介さんとも話し合い、檀家を持たない実験的な寺として始めたのが寳幢寺(ほうどうじ)

 いずれの寺も檀家は持たず布施で運営されている。そのあたりが題名にある『経営』ということに関わってくる。

 まずミャンマーの上座部仏教では律をしっかり守れば出家者は「お金に触れてもいけない」それを解決する手段として「浄人」という在家者が金銭を管理するシステムがある。

 そしてこの「律をしっかり守る」というのは人間が生きていれば本来矛盾するというか、葛藤するものであり、古代インドでも仏滅100年頃に十事論争が起き、撤廃緩和を求める修正派と、律不可侵の原則を主張する保守派の論争の中で

修正派→大衆部→大乗仏教
保守派→上座部

に分裂した(根本分裂)ということらしい。

 ところでもともとのミャンマー仏教ではかつては葬儀は行わない。遺体も埋めたり焼いたりはあるけれど、何かそれっきりだったみたい。これは輪廻転生するから古い体には意味は無い、ということだろうか?

 しかし、だんだん葬儀もされるようになり、1990年頃からの葬儀費用の高騰を受けて葬儀支援協会ができた、と。

 日本では資料としてわかっているのは、貴族以外では、平安時代に空也が野原に打ち捨てられていた死骸を集めては1か所に集め、油を注いで焼き、阿彌陀佛の名を唱えて回向していたということだけど。

 で、鎌倉時代の曹洞宗あたりから葬儀の形がしっかりできてきた、というのを読んだことがあります。私などは「葬式仏教」と揶揄されることはあるけれど、葬儀や回向ってのは大事だと思うのだけどね。

 またミャンマーでは社会福祉も低調だったのが、福祉ブームが起こってきた、と。その中で出てきたのがダバワ瞑想センターのような福祉に力を入れる仏教組織なのかな。(そして仏教ナショナリズムも高揚し、ロヒンギャ問題がクローズアップされる)

 寺院経営については、ミャンマーの2寺とも在家組織が運営・管理していて、やる気になれば住職も罷免できる。これは日本でも「檀家組織」があるけれど、実質は寺の中で全てやっているな。

 なお寳幢寺では「日本仏教徒協会」というのを作って、そこが運営していく形をとっているが、まだ道半ばであるらしい。

 発足当時に「布施」だけでやっていこうとしたら、大赤字でえらいこっちゃ状態。説法の会をしても10人、1万円集まれば良いところで、中には「檸檬」が1個入っていたこともあったとか。

  しかし似たような名前の団体がいっぱいある。

全日本仏教会は既成仏教宗派の大同団結した老舗みたい。

日本仏教協会は千原せいじが得度したところだけど、なんかよくわからない・・・

 で、ミャンマーの福祉と言えば、岸田奈美さんの
記事は2019年に書かれているが、写真のキャプションには 2016年11月とある。

にも、この話は「ミャンマーで、オカンがぬすまれた」という題で載ってます。
 この頃って民政の年代だな。
によると
1948年〜1962年議会制民主主義期
(1958年〜1962年軍事クーデター)
1962年〜1988年社会主義的軍事政権
(1988年軍事クーデター)
1988年〜2011年直接軍事政権
2011年〜2021年民政移管
(2016年スーチー政権発足)
(2021年軍事クーデター)
2021年〜現在直接軍事政権
となっている。
 岸田さんが行かれたのは、民政の時代だな。

 基本的にミャンマーの僧(仏教)は律に関心があり、政治にはあまり関心がなかったのだけど


「僧侶がデモをしたので、僧衣の色から「サフラン革命」とも呼ばれる」

 この時、日本人ジャーナリストも射殺されている。

 なんだかんだありながら、岸田さんが行かれた時代は「自由」ではあったのだろうな。


 私も、「行きつけの寺」があれば良いな、とは思っているのですが・・・





posted by kingstone at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする