ダウンロードする場合は、Google scholer で題名で検索できますが、クリックするとダウンロードされるので、そちらの URL はわからないですね。
「はじめに」に
知的障害や発達障害のある子どもに対するエビデンスに基づいた理論や技法として、汐田(2016) は, TEACCH (Treatment and Education of Autistic and related Communication handicapped Children),ABA(Applied Behavior Analysis;応用行動分析学),PECS (Picture Exchange Communication System; 絵カード交換式コミュニケーション),SST (Social Skills Training; 社会的スキル訓練),CBT(Cognitive Behavior Therapy; 知行動療法)などを挙げている。また、松下(2015)も同様に、自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder ;ASD) に対するエビデンスに基づいた効果的な支援方法の例として、視覚刺激を用いた支援、構造化,ICT (Information and Communication Technology; 情報通言技術)を活用した支援、ABAを紹介している。そのなかでも、視覚刺激を用いた支援は学校や支援施設などの実践現場で広く普及しており、「ASDの支援といえば視覚刺」ともいえるほど認知されているだろう。 |
と書かれてます。
そやなあ、と思いつつ、最後の1行「そのなかでも、視覚刺激を用いた支援は学校や支援施設などの実践現場で広く普及しており、「ASDの支援といえば視覚刺」ともいえるほど認知されているだろう。」については首を傾げます。
そやなあ、と思いつつ、最後の1行「そのなかでも、視覚刺激を用いた支援は学校や支援施設などの実践現場で広く普及しており、「ASDの支援といえば視覚刺」ともいえるほど認知されているだろう。」については首を傾げます。
つい先日、知的障害特別支援学校(正規採用・特別支援学校教諭の免許あり)2年目終了の若者と話しました。
以下の言葉を知ってるかどうか尋ねてみました。
TEACCH
ABA
PECS
ABA
PECS
いずれもまったく知らないとのことでした。
「視覚的支援」については「何となく」との答えでしたけど、「こういうこと」という自信ありげな回答は無し。
私は
「君の責任では無いけどな。
ベテラン、研修部長、支援部長、管理職、教育委員会、文部科学省の責任ではある。
でも自分で勉強しいや」
ベテラン、研修部長、支援部長、管理職、教育委員会、文部科学省の責任ではある。
でも自分で勉強しいや」
といくつかの URL とともにお伝えしました。
若者「確かにうちの学校、自分も含めて専門性のある先生、いないですね」
K「一般の人は特別支援学校に行ったら、専門的な教育受けられると思てんねんで」
K「一般の人は特別支援学校に行ったら、専門的な教育受けられると思てんねんで」
という会話もありました。
もちろん、言葉を知ってることが良い実践につながるとは限らないのですが。
いつも思うのですが、自動車運転免許だと取り立ててでも、こわごわでもとりあえず公道を走ることができるじゃないですか。特別支援学校教諭免許って「公道を走る(実践に投入できる)」ものとなっていないんじゃないかな・・・
あるいは免許取得時に学んだことを、現場が潰していくシステムがあるとか?
しかし・・・TEACCH, ABA, PECS, 視覚的支援って言葉、「専門用語」とすら言えないほんの入口の入口だと思うのだけど。
筆者は視覚的支援を
1.理解を促すための支援
2.表出を促すための支援
3.活動遂行を促すための支援
2.表出を促すための支援
3.活動遂行を促すための支援
と分類されている。
で、私は「促す」という言葉にひっかかるのですが、しかし「活動遂行を促す支援」の中でこう書かれています。
そのほかの視覚刺激を用いた支援として、活動遂行を促すための支援が挙げられる。特別支援学校の目的として、「障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けること」が学校教育法第72条に規定されている。すなわち、障害のある子どもの自立を促進することは重要な目標のひとつである。自立を促進するための方略のひとつとして、近年ではABAの枠組みを用いた自己管理(セルフマネージメント)の研究が行われており、自己管理は自己決定を保障するための重要なスキルであると考えられる(澄井・長澤,2003)。自己管理のための具体的な手続きには様々なものがあるが、竹内・園山(2007)は対象者がそれらの全てを自分で行う必要はなく、自己管理スキルを発揮できるように支援する「支援つき自己管理」が必要であると指摘している。 |
この中の「自己決定を保障」(外部から促すだけでなく、理解できる情報を得て、自ら判断(選択)できる)を、支援者、教師、保護者には最初から強くお伝えしておかないと、単に外部からコントロールしようとするものになってしまい、そのために「効果」も小さく、あるいは無しになってしまう、ということは強調しても強調しすぎることは無いと思います。
で、筆者もそのあたりはわかってはって
松下・園山(2013)では、ASDの子どもが複数の学習活動を予定されたスケジュール通りに遂行するだけでなく、子どもが自分で活動の順番を決定することや、文字のみのスケジュールに移行するための指導を実施し、生活全体の向上に寄与する可能性を検討している。 |
と書かれています。
あともちろん「促す」だけでなく「自発」の重要性も「表出を促す」の中に入ってくるんだろうな。「促す→出てきやすい環境を整える」そして自発する、ということだから。
あとこれは教師や放課後等デイサービス・児童発達支援のスタッフ向けの言葉ですが
子どもによって好きな感覚は異なるが、教材で遊んでしまい支援に活用できないことは少なくない。具体的には、絵カードを眼前でヒラヒラさせたり、歯で噛んだり、机上に立ててコマのようにクルクル回したりすることがある。視覚刺激を用いた教材はあくまで子どもの適切な行動を引き出すための支援ツールであり、それ自体で楽しむための玩具ではない。子どもが教材で遊んでしまうということは、それがその子どもの支援のために有効なものでないことを示している。そのような行動は、子どもにとってより理解しやすいものにするように教材を工夫することが必要であることを支援者に教えてくれる。 |
この「支援者に教えてくれる」とか
支援者がとても熱心に教材を作り、活動を表す絵カードの端に子どもの好きなキャラクターのマークをつけたり、花や星などで飾りつけをしたりすることがある。通常だとこのような装飾は教材に対する興味を高めるという点で有効であると考えられるが、ASDの子どもにとってはそうでないことがある。すなわち、シングルフォーカスという特性によってキャラクターや星印にしか注目できず,本来見てほしい活動内容に注目できないのである。これでは本末転倒である。先述の通り、教材に興味がないということはそれが必要ないということを意味する。あえて支援者側が興味を引きつけるように工夫する必要はなく、たとえ無機質でシンプルなものであっても、支援ツールとして機能する教材を作成することが必要である。 |
このツールとしては「無機質でシンプルなものであっても、支援ツールとして機能する」という視点はとても大切なものだと思いました。
汐田まどか>(2016)治療と療育の原則。平岩幹男(編)データで読み解く発達障害.中山書店,178-182.
松下浩之(2015) 自閉症。柘植雅義(監修)