ーーーーー めっちゃネタバレもあり ーーーーー
笠原良策先生の実話を元にした、吉村昭の小説の映画化。
笠原先生は福井藩の町医者で、牛痘苗の輸入を1846年と1848年に上申し、認められ(ここにもいろいろあったみたい)師匠の京都の蘭方医、京都の日野鼎哉の元に1849年に種苗が届き、そこで種痘が始められた、とのこと。
で、私なぞ種痘と言えば緒方洪庵先生と思っていたから、あれれと思ったのだけど、緒方洪庵先生の Wiki を見てびっくり。
「嘉永2年11月1日(1849年12月15日)に京都に赴き、滞在7日にして出島の医師オットー・モーニッケが輸入して京都に伝わっていた痘苗を得、古手町(現・大阪市中央区道修町4丁目)に「除痘館」を開き、牛痘種痘法による切痘を始める」
日野先生のもとに種苗が届いたのが、1849年9月19日。
京都で種苗館を開いたのが10月16日。
その話を聞きつけ、大阪から京都に赴き、もらってきたのだろうな。
すごいなあ。それだけ切実だったんだろうな。
(それとも別ルート?しかしいずれせよ1949年に一気に始まったわけだ)
で、笠原先生の方は、11月19日に京都を出発して種苗を持ち帰ろうとして、11月23日に大雪が降ってえらいこっちゃになる、というのがひとつのクライマックスなわけですが。
いや、しかし、11月23日に街道で大雪って早すぎない?
ってことは、100年前は1925年。
その80年ほど前だったから、相当寒かったのかな?
なお、そのシーンの撮影はスキー場だったそうで、街道であの斜度のところはまず無いだろうな・・・
ところで吉岡秀郷さんが、笠原先生が、種苗を引き継いてくれる子がいなくて困っている時に「私の子で」と子どもを連れてくるシーンがありました。私は、コトー先生が生きてて、彩花さんとのお子さんが無事生まれて大きくなって・・・みたいな思いになっちゃいました。