※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2024年12月22日

映画『小学校〜それは小さな社会〜』山崎エマ監督




 今日、シネ・リーブル神戸で観てきました。

 私は知らずに行ったのですが、山崎エマ監督の舞台挨拶もありました。

 私は元小学校にも居たとはいえ、もう20年も前の話。

 今の小学校ってどんなだろう、と思って行きました。

 なお、英語の題名は

「THE MAKING OF A JAPANESE」(こうして日本人は作られる(でいいかな?))


 まあ、いろんな「特別」があるかもしれません。

 世田谷区の区立塚戸小学校。(なんと言っても東京23区内。学校の近所にマンションが林立してましたが・・・お高いんでしょ、という感じ。校区には古くからの住宅地もあるけれど)

 2021年の春から2022年の春(つまり新型コロナ真っ最中。「日本では、2021年2月から医療従事者への接種が始まり、4月から65歳以上の高齢者、そして年内に「日本国民のほぼ8割に当たる1億119万人あまりが国内で少なくとも1回の接種を受けた」ってことですし、映画内にも描写が出てきます)


 そのうえで、ですが、監督さんがまるごと小学校生活を描こうとしてはるのはよく伝わってきました。

 なお、フィンランドではヒットして20館で上映、そして学ぼうとしてはるとか。


 で、だいたいは私の予想通りというか、地域性もあるかもしれませんが、すごく授業とか先生が子どもに対する態度というか、そういうものが20年前より精緻化されているというのか、「良いものを追求してきた結果」すごく私にとっては息詰まる感じになっているというか・・・

 少なくとも、私、若くても今、小学校教師やるの無理だわ。

 私自身は1年担任の先生が「毎日平均台の上を歩いているよう」とおっしゃった言葉に胸を衝かれました。

 なんか、めっちゃわかります。

 私が教師やってたころは片道2車線の車道くらいの幅があったのが、今は平均台くらいになってるのじゃないか。

 熱血の先生が多くいらしてひいた部分もあるし・・・

 でも、保護者からの圧、教育委員会からの圧、とかいろいろあって「良いものを追求してきた結果」なんだろうな。


 この学校はどうかわかりませんが、学校に行きたくなくなる子の気持ちがよくわかるような気がして。


 なお、監督は「日本の先生に自信を持ってもらいたい」という思いがあったそうです。

 質疑応答の中でも「(嬉しそうに)フィンランドで評価されてるなんてびっくり」と言われていた現役の先生がおられました。

 う〜〜む・・・(今、フィンランド自身は今までの教育方針を反省してて、だから学ぼうという姿勢なのだと思います)



 なお、こちらには NewYork Times の貼った23分の動画があります。

 貼れるかな?(おお、貼れた!)これを見ると、私の感じたことが少しわかるかもしれません。

 しかし、興味のあるかたは映画全編を観に行かれることを勧めます。








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2024年12月19日

『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』ブレイディ みかこ著




 あとがきによると「ノンフィクションではないし。自伝でもない」とのことですが、「本当にあったことも若干まざっていることは否定できない」とのこと。「私小説」だと。

 短編集で読みやすいです。

 ホスト・ファミリーにいいように使われたり、ええしの家に住み込みのナニー(子守役)だけでいいから来ないか、と行ってみたら、その前に行った時のお上品な部屋とはうってかわって、地下の窓もない部屋で、かつ白人の父親がなんかスキあらばネンゴロになりに来ようとしてみたり(しかし日本でもアジアから出稼ぎに来てる人に同じようなことやってる人がいるだろうな)。


「スタッフ・ルーム」

 あと、「子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から -」の時かその前後の体験かと思われる話。

 労働者階級の保育士希望の娘さん(apprentice:見習い(?)、非正規というか、正規職員の半分の給料)が、中産階級の上司からすごく上から目線であれこれ言われるのとか、めちゃ胸が衝かれました。






「ソウルによくない仕事」


 ランチを作る仕事も面白くなく、ランチもうまくできず、まわり(仕事先の、英国から帰りにくくなってしまっている日本人達)から無視されたり悪口を言われたりして、どんどん自尊感情も低くなってきている主人公に対して。下宿先の移民の大家さんが言った言葉。

「自分のソウルによくない仕事はやめるべき」

 で、主人公は決断して辞めると社長に宣言して、もう周囲を気にせず「自分が食べたいと思うもの、自分が美味しいと思うもの」を作り出したら、どんどん楽しくなってきて、美味しいものが作れるようになって、周囲の態度も変わってきた・・・これ、思い当たるところがあります。

 私が肢体不自由養護学校に勤務していた頃、「動作の学習」というコマで動作法が教師全員で取り組まれていました。

 まあいろいろ考え方は変わってきていきつつあったとはいえ、やはり「訓練」の色は濃かったです。

 で、3年間、熱心に「訓練会(動作法も動作法以外も)」に通った後、「私は訓練捨てた」と宣言・広言して AAC と取り組むようになりました。

 その頃から SV さんなどから「最近のkingstoneさんの動作法に取り組む姿勢が素晴らしい。みなさんも真似してください」と言われたり、なんか周囲からの評価が上がってきたのですね。

 あれは何だったんだろう。


 久しぶりに小説が読めました。






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2024年12月15日

「ABA って2つあるの?」そういや昔「TEACCH って2つあるの?」って聞かれた



 昨日、おめめどうの「神戸セミナー」で私に対して 「ABA って2つあるの?」という素朴な疑問が出されました。

 2つあるってか・・・

 まあ、私はあんまり ABA(応用行動分析学)については詳しくないわけですが・・・

 「行動分析学」と言うなら「生物はこうするとこう行動する(動く)よ」みたいなことを研究する学問になるでしょう。

 単にそれだけのこと。

 でも「応用行動分析(学)」となると、やはり「応用」が入ってくるから「誰かが」「生物に働きかける」その手法(?)技術(?)とかが入ってくるよね。

 その時に「自分は変わらず相手だけをコントロールしようとする」のか「相手のQOLを考え、相手中心で考えるのか」の間にグラデーションがあるんだろうな。

 で、こういうの、文字にしたり、定義したりすると、どっか抜け落ちていく部分があるんだろうな。

 そういう意味では ABA の研究者って、記録を重視し、論文にして残していく、という努力をしてはってそこがすごいよね。


 で、私も昔「TEACCH ってkingstoneさんのやってるのと、別のと2つあるの?」と聞かれたことがあります。

 その人(でもおひとりじゃなく複数おられたな)は、私が視覚的支援の実践を始めた(1998年頃の話)ら、めっちゃ怒って「あの人はパソコンなんかやってる(パソコンを触るのは常識的な人では無い。劣った人、変な人、みたいな価値観は当時結構たくさんの人が持ってた)から、TEACCHなんてものにカブれるのだ」みたいな悪口を陰で言ってはったそう。この方(達)は、いろいろ勉強会などにも参加して TEACCH は悪口はよく聞いておられたのでしょう。

 で、私が校内研修などで動画つきで発表したり、なんとなくのクラスの雰囲気(壁1枚隔てていたら、中では何をやってるかはわからない)で、なんか聞いてた話と違う、と思われたのかもしれません。それで

「TEACCH ってkingstoneさんのやってるのと、別のと2つあるの?」

という質問になったのだと思います。


 そういやこの方、当時上越教育大におられた(後に筑波大)藤原義博さんの講演を聞いて感動して帰ってこられました(1999年か2000年)。

 でやっぱり

行動療法とは違うんだ」

とこの先生は注釈つけてはりましたが(たぶんその先生の思い込み。まあ「療法じゃない(暮らしだ、生活だ)」という意味では正しいでしょうけど)

レジメを見せてもらったら

・年齢相応のかかわり
・養護学校の人手がありすぎる問題
・伝達手段の確立と見直し・子どもが理解できる伝え方の確立
 動作・補助的手段(写真・絵・マーク・文字)の使用・環境の構造化

とか書いてあって、最後の部分はスケジュール、ワークシステムとかとも書いてはりました。



 まあ、どんな看板かかげていようと、「ほんまのところは、どうやってんねん」というの、いろいろグラデーションがあるんでしょうね。

 で、実際 「TEACCH やってます(ってこの言い方が本来矛盾してるんだけど)」と言いながら、自分の思うとおり相手を動かしたいだけの、ひどい実践やってる所も実際にあったんだろうな、と思います。

 といっても、私も、25年前の日本で学んだ TEACCH だし、今の TEACCH については全然詳しくない人ですが。


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2024年12月14日

『宗教の日本史』本郷和人著




 わりとするする読めました。

 私だと「いわゆる日本教」と言っちゃう「なんでもあり」な多神教の様子をいろいろと語ってくださってるというか。

 もともとが(明治の国策の国家神道ではなく)自然の何やかやに神性を感じる神道があり、他の宗教が入って来た時も比較的摩擦なく受け入れた、と。

 私なぞ、仏教が伝来した時に、蘇我氏と物部氏が戦い、高麗僧恵便が還俗して加古川に隠れ住んでいたり、善信尼が裸にされて鞭打たれたりして、たいへんだったろうな、と思うけど、確かにキリスト教がローマに弾圧されてたとか、現在でも他の宗教の仏像を破壊したりする人々がいることを考えれば、まだましだったんだろうな。


 あと面白かったのは

「豊臣秀吉は伴天連追放令で、心の中での信仰は問わないから、表向きの信仰は捨てよ、と命じた」

「最澄はいわば官費留学生でお金も余裕も無かったけれど、空海は私費留学生でお金もたくさんあった」

「明治政府は神仏分離令を出しただけで、廃仏毀釈は地域の人々が勝手にやった」

とかいうところ。

 最後のなんか、歴史を学んでいる人には常識かもしれませんが、私はわかってなかった。

 なるほどなあ、です。

 まあ、それだけ恨みをかっていた場合もある、ってことでしょうが。

 落語の『三年酒』 にもそんな描写が出てきます。


posted by kingstone at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

野木亜紀子脚本ドラマ(「逃げ恥 新春スペシャル」はコロナ禍を記録した記念碑的作品だと思う)




 ちょっと前にすごく人間不信になり、激しく落ち込み、SNS から離れてました。

 その間、アマプラで野木亜紀子さんの脚本のドラマを見続けてました。

2016年10月 より

2018年1月 より

2018年10月 より

2020年7月 より

2021年1月2日放映

 どれもこれもコメディ的であったり、設定が突飛であったりしながらも、なんかすごく大事なことをセリフでやりとりしてはる。

 10秒飛ばしで見るなんでできない感じ。

 で『逃げ恥 新春スペシャル』は、2021年の1月2日放映。

 今 Wikipedia の『COVID-19ワクチン』の項目を見てみたら

2021年3月時点で、308のワクチン候補が様々な段階で開発されており、73件が臨床研究中

 つまり、ワクチンもまだ出てきていない段階。

 日本では、2021年2月から医療従事者への接種が始まり、4月から65歳以上の高齢者、そして年内に「日本国民のほぼ8割に当たる1億119万人あまりが国内で少なくとも1回の接種を受けた」ってことですから、ほんとそれ以前の話。


 これは菅義偉首相、河野太郎大臣以下政府のみなさんのおかげだと思います。

 『逃げ恥 新春スペシャル』は、当時の「恐怖感」「どうなるのかわからない感」がすごく出てて、これは記念碑的作品じゃないだろうか。

 なんか最近は、弱毒化やワクチンがある程度普及したことにもより、喉元すぎれば感が世に出てきてますけど。


 で、最近ヒットした映画『ラストマイル』も野木さんの脚本なんですね。


 『アンナチュラル』や『MIU404』の人たちも出てくるし。

 また現在やってる『海に眠るダイヤモンド』 はリアルタイムでは未見ですが、またアマプラに来たら見てみたいと思います。


posted by kingstone at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする