筆者は、現在訪問看護の管理者をしておられる。
経歴が面白くて、勉強が嫌いで中卒でバイト生活。しかし友達の高校生活が楽しそうでうらやましくて定時制高校へ。在学中に勧められて精神科病院に就職。高校卒業後に准看護師、その後正看護師、そして・・・という流れ。
まえがきで、まずサブタイトルに「"横綱級"困難ケース」という文言を使ったことについての説明があります。立場によって、支援者やご家族にとってはすぐにピンとくるかもしれないけれど、ご本人にとってはすごくバカにされたように感じるのではないか。
しかし、筆者の小瀬古さんは、かつてはどうしていいか悩んだこともあったけれど、現在は「横綱級」と感じるケースはなくなっていると。
これ、自閉スペクトラム症の方で「強度行動障害(状態)」と名づけられている言葉にも通じると思います。結局周囲がそう感じているとしても、実はほとんどの場合、適切な対応をしていけばほとんど問題がなくなってくる(まあ、ただし、ほんの少しの例ではなかなかたいへんな人も残るとは思いますが)。
第1章の目次と内容を少しだけ引用してみたいと思います。
第1章 地域というのは、病院とココが違います
1.バターンで理解できたなら
◯1年半の暗中模索
◯パターンが見えるようになると、疲労が少なくなる
◯パターンが見えるようになると、疲労が少なくなる
2.見えない精神症状を見る方法
◯当事者にとっての三大困り事とは
(数字は私)
1)お金のやりくり
2)毎日の食事
3)人間関係(友人や恋人、職場の人など)
1)お金のやりくり
2)毎日の食事
3)人間関係(友人や恋人、職場の人など)
(最後のは、きっと「家族」も入る場合が多いだろうな。いずれも「精神症状」そのものではない。)
◯生活や行動で精神症状を可視化する
3.セルフケア能力が上がるように支援するということ
◯本人が結果に関与すべきだということ
(ここ、面白い(?おめめどうフェローとして、たいへん面白い、ということです)ので引用します)
支援していく際に「自己選択」「自己決定」までの支援はよく行われているのですが、その先にある「自己責任」までを考えて行われている支援は少ないと感じています。「自己責任」というのは「自己関与」と言い換えてもいいかと思うのですが、要するに、何かを選び実行したら、その結果にも自分がちゃんと関与しているという感覚を持てるようにすることです。 |
(おめめどうで言う「自己責任」と同じで後に書かれていることは「(その選択・行動によって生じた)葛藤を(支援者が)取り上げない」という言い方に通じるかな。
こうも言われています)
自己責任が生じる経験を奪うことは何の解決にもならない |
◯本人が主体となった行動を普段から支援する
4.主体性なくして地域生活は組み立てられない
◯権利と責任を本人に返していくこと
◯本人がいない場で本人のことを決めない
(後ろに書かれた例で相談支援事業所からの要請で支援会議に参加した例もいくつかあるのですが、「本人抜きでやりたい」と要請された時はきっぱり断ってはります)
5.私たちのあるべき姿
◯「精神科訪問看護は"管理"と"傾聴"」という誤解
◯4つのポイントを意識しながら聞き、利用者と共有する
1)本人の「希望」は何か
2)調子が悪くなる「キーワード」「キーパターン」は何か
3)「いい感じの自分」とはどのような自分なのか
4)「元気を失いそうな注意サイン」「引き金」は何か
◯目指すところは「自分の専門家は自分」
私は訪問看護をするわけではないですが、その後に続くケースも含めて、おおいに参考になりました。