※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2024年02月04日

対人援助は◯から✕にするんだよ(冨安先生の言葉)



 先日、大久保賢一先生( @kenichi_ohkubo )が Twitter (X)に連投してはりました。

自分が大学院生だったとき、集中講義の講師としてこられていた望月昭先生が「対人援助においては、相手を×から〇にするのではなく、〇から×にするんだよ」と仰っていた話を最近よく思い出す。初めて聞いた時は「このおっさん何言うてるんやろう」と思ったけどw、今の自分には金言である。

「×から〇」というのは、相手のダメなところをあげつらって、そのダメなところを良くしたり、少しでもマシにしようという目標を設定するスタイル。言い方がちょっときついですけど、学校教育においては、ほとんどがこのスタイルで目標設定していると思います。

望月先生が仰っていた「〇から」というのは、今そこにいる目の前の人を肯定するところから始める、その人の良いところに着目する、その人の少しでもマシなところに着目するという意味。行動分析学でいうところのシェイピングですね。

そして肯定的な眼差しを受けたその人が良いところを伸ばしたり、良いところが増えたりしたその後で過去を振り返り「今振り返ると、あの時が×に見えてくるね」というのが「〇から×」。

これなんですよ、皆さん!この視点がないと、目の前の人を永遠に否定し続けることになってしまうんです。

「褒め上手な人」とは、今目の前にいる人の「〇」を見つけることができる人やと思います。褒める行動は行動レパートリーに注目されがちですが(どんな技やフレーズがあるかなど)、褒める行動の刺激性制御がとても重要。

で、その後、望月昭先生の

『行動分析学研究』22 巻 (2008)2 号 p. 114-115

を紹介されてました。

これを読むと、愛知コロニー時代(1983)に冨安先生から望月昭先生に伝えられたことがわかります。

「お前さんは、障害のある人の今を✕(ばつ) と考えて、それを◯にしようとしているだろう。それではだめだ。今を◯と考えてスタートして、後になって、『ああ、あの頃は、✕だったな』と思い返すようにしなければダメだ」

この「✕から〇ではなく、◯から✕」という表現は、当時は、障害者に対する受容的態度といった程度の理解しかできなかったのですが、最近は、これこそが応用行動分析の基本的態度だと理解できるようになりました。行動修正の手段として「ほめる」ではなく、今も将来も環境設定によって「認める」状況を創造していくことこそが応用行動分析の基本であり、そしてまたノーマリゼーション/インクルージョンの、単に理念だけにとどまらない具体的方法論につながる基本的姿勢であることを。

 この望月先生の考察の後半が Hit TKYM #3 K in J さん ( @hit1678 )の

「○から✕」は「正の強化を手段から目的へ」とセット

っていうことなんだろうな。

 これって私は TEACCH が「今何ができているか」を観察して、組み合わせて「□□ができる」を実現していくことと同じ意味があるのかな、と思います。

 なお、冨安先生が慶應に移られてからのお仕事もたくさん紹介しておられますが、その中に『川を渡る』の翻訳も入っていてびっくりしました。冨安先生のお名前は頭になかったのですが、私がすごく影響を受けた本です。1996年に日本で出版され(原著は1992年)私は1999年か2000年に読んでます。

 知らないうちに、めちゃくちゃ影響を受けてたんや・・・


(一時はマーケットプレイスで2桁円で出てましたが、今日は1598円ですね)

 私の書いた『川を渡る』に関する記事。

お願いすること(上の記事とはまた別のことを書いています)


posted by kingstone at 19:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『移民の運命』エマニュエル・トッド著(1994)



 高い本だし、図書館で借りて来ました。

 よく読まれたのかな?すごくボロボロになってました。


 日本での出版は1999年11月

 もう30年とか25年とか前の話なので、今とはかなり変わっているかもしれない。

「日本の読者へ」より
(1999年に書かれた)

(経済状態などの悪化により、移民が主の)社会全体から断絶した地帯が都会の周辺部に出現する

各国の多い移民
イングランド → パキスタン人(クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーもそう)
ドイツ → トルコ人
フランス → アルジェリア人、モロッコ人、チュニジア人

地元人と移民の婚姻率
イングランド → 1%以下
ドイツ    → 2%以下
フランス   → かなり混交している

 イングランドやドイツは「マイノリティ集団が文化的に安定化して(自分たちの文化を守って)増大している」と言えるが、それがより重大な結果を生むかもしれない。
 フランスは混交しているので不安定とは言える。

 フランスでは 1998年のサッカーワールドカップで、ジダンが中心となり、優勝した。


"1998年のワールドカップに出場したチームからは、見た目で分かる変化を遂げている。それまでのフランス代表は白人主体のチーム構成であったが、アフリカや、カリブ海などのフランスの国外、若しくは旧植民地からの移民、若しくはその子孫の選手が増えたのである。"

"試合後シャンゼリゼ通りはトリコロールで埋め尽くされ、凱旋門には国民の英雄となったジダンの顔が映し出されるなど熱狂の渦と化した。"

 2018年にも優勝している。この時だったか、移民にルーツを持つ人について

「今日と明日だけはフランス人と認めてくれる。だから明日就職面接に行け」というようなシニカルな意見も、私は Twiter 上で見た。

移民は、どの国においても必要だが、同時に問題をはらんでいる

 図書館で借りてきたので、2週間で読まないといけない・・・




posted by kingstone at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニティ作りなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月01日

米国の教育は参考になるのか?(『日本の死角 現代ビジネス編』講談社現代新書 その2)




「日本人が大好きな「ハーバード式・シリコンバレー式教育」の歪みと闇」
畠山勝太( @ShotaHatakeyama )

米国の教育システム

地域住民の要望に応え、地域共同体を守っていくことがその使命と考えられている。
しかし、教育政策においては分権化と集権化の間に自由と平等のトレードオフが存在する
マイノリティや格差の教育問題を是正できるのは集権化された教育システム
分権化されているために、州間の格差も非常に大きくなる。

図1 州の所得の中央値とテストスコア
X軸に州内の世帯所得の中央値を、Y軸に8年生を対象とした学力調査の数学の成績(全米学力調査:NAEP)を取ったもの。

世帯所得と数学の成績.jpg

(アメリカ最貧のミシシッピ州(46000ドル)よりも日本の中央値(34000ドル)のほうが低い。しかし数学の得点は米国で裕福なマサチューセッツ州(87000ドル)よりも日本のほうが高い。)

 また同じ州内でも格差がある。ミシガン州では、富裕層が多く住む学区の教員の平均給与は、貧困層が多く住む学区の教員のそれの3倍近い値。

 このあたりのこと「アメリカの教室に入ってみた 赤木和重著」にも書かれていたな。

 また教育については大学の人が論じることが多いだろうけど、大学のある町はアメリカの中でも特殊であり、大学の周辺は富裕でも、周辺の地域は貧困であったりする。大学周辺は民主党的でバイデン支持だったりするが、周辺は共和党的でトランプ支持だったりする。だから大学周辺の人間からの意見でアメリカの教育を語ると間違うことも多いと。で、この本からわかることは、そういった大学人の見せてくれる先進的な教育は、めちゃくちゃお金がかかっていて、日本でマネしようたってできない場合が多いかも。

 確かに私が思うの(著者の言ってる部分も含め)
 日本の教育は

・貧しいけれど平等
(広域で給料も支払われる。都道府県単位で1/2だか出してくれる。また私の見ている限り、困難校には優秀な教員が配置される)
・集権的
(学習指導要領など)
・すごく効率的
(学力テストでも世界で見てかなり上位)

であるのだけど、教師の「働き方」にしろ、不登校の増加にしろ、いろいろ無理がきているのかもしれない。そしてもちろん米国をはじめ、諸外国のいい部分は参考にしたら良いのだけど、ある意味日本は最先端というか、独自の発展というか、見本が他には見当たらないところにきていて、自分たちで考えなきゃいけないところに来ているのだろうな、と思う。









posted by kingstone at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする