※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2024年02月23日

卒業式関連の記事のリンク



 卒業式関連の記事のリンク集は、他のブログで作っていたのですが、こちらにもリンクのみ貼り付けておきます。


2000年3月の卒業式について(1999年度)

(私は視覚的支援を外したことに、ものすごく反省します)
卒業式にて
(親御さんの感想)

2000年度

これは卒業式ではありませんが、その後すぐの話です


1998年3月、1997年度の卒業式



支援学級にて


上記の記事をたくさんつなげたもの

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2024年02月21日

自分で選んだ行動に自分で責任を持つ & 肯定され感謝される



 ネットにこんな事件のニュースがありました。(被告名はXで統一します)



 まず、お父様のご冥福をお祈りいたします。

 X氏の暴言・暴力により母と妹は家を出ており、父親と2人暮らし。

 何らかの行き違いから父親を18か所も刺し、失血死させた。

事件後のX被告は、鑑定で「軽度知的障害」「広汎性発達障害」と診断されています。こうした障害が犯行に影響を与えたかどうかが争われました。
弁護側は障害が犯行に関与したとして情状酌量を求めた
 X被告に、こうした障害があることがわかったのは、この事件後の診断が初めてです。
 鑑定した医師は、被告について、障害の影響で、他者の言動を曲解する傾向にあり、コミュニケーションがうまく取れず、仕事も長続きしないなどストレスの原因になったものの「犯行は障害の影響ではなく、本人の性格によるもの」と証言しました。

 最近よく言われる言い方で言えば「大人(になるまで発見されなかった)の発達障害」というわけです。

 私自身はどちらかというと「応報刑論」に組みしたいので、情状酌量はしなくても良いのでは、と思うほうです。

 ただ、時間は巻き戻せないものの、例えば仕事では

 X被告は、地元の中学校と高校、短大を卒業後、自衛官候補生や農協、レンタルスキー店などの仕事に就きましたが、仕事はどれも長続きしませんでした。
 2年前に、父親の紹介で働き始めたガソリンスタンドでも、危険物の取り扱いに必要な資格を持っていなかったことから、同僚に見下されていると思い込み、わずか2か月で辞めています。

 というあたり、学校時代でもいろいろなことがあったのじゃないかな、と思われます。

 例えば今回の事件は「たばこを買いに行こうとした」→「父親からとがめられた」ということがの直接のきっかけになっています。

 またガソリンスタンド勤務時代「「乙種第4類」の取得を希望していた」が父親から(きっと良かれと思ってでしょう)難易度の低い「丙種」から順に取得した方がいいと助言され、「乙種第4類」の試験が受けられなかったことを恨みに思っているとか。

 お父さん、きっといいお父さんだったろうと思うのですが、「本人のしたい行動(自己選択した行動)」を止めておられる。

 これが小さな頃から、本人のやりたい行動(ただし犯罪になったり、自分や他人を大きな危険に巻き込まない、という条件は必要ですが)をやらせてあげ、その失敗も成功も本人に責任をとらしてあげていたら、どうなっていただろう、とは思います。

 実際、「やってみなければわからない」し、やってみて、合格だったり不合格だったりすることで、自分の力を知っていき、だんだん周囲からみても適切な判断に落ち着いていくと思うのですね。

 で、そういう体験を小さな頃から積み重ねてきておられたのかな?

 私の周囲でも、不登校で何の試験とかも受けていないけれど、「ハーバード大へ行く」と豪語しているお子さんとかおられました。それを馬鹿にするのではなく、いろんな模試とか英語のテストとか受ける手続きをどうしたらいいか、一緒に考えてあげたらいいのにな、と思ってました。

 少年野球でも少年サッカーでも、「プロになる!」と言ってる小学生を馬鹿にする人はいないでしょう。で、いろんなのに参加しているうちに自分の力を知っていく・・・

 また大人だったら、「たばこを買いに行く」ことを止められることは無いはず。「無職で、たばこを買うお金はどないしてん」という方向でとがめられた?ってことは子どもの頃はおこづかいがあったとしても、青年期から大人になるあたりで「稼ぐ→使う」が、うまくわかってなかった?

 これも、小さい頃からのあれこれで何とかできそう。

 あと「人の言葉を曲解する」とされているけれど、

・字義通り受け取り裏の意味を理解することができなかった(つまり曲解でなく、直解(なんて言葉はありませんが)していた)

・小さい頃から周囲に合わせづらく(上記も影響)、笑われたり馬鹿にされたりすることが多く、他人の言葉や動作を被害的に受け取りやすくなっていた(これは、「曲解」という言い方をされても仕方ないかな)

なんてことがあったのじゃないかな。

 これは妄想ですが、学校時代から、本人の間違った行動を矯正しようとされるのでなく、できてる部分を肯定され、褒められ、感謝されるみたいなことがほとんどだったら、どうなっていただろう、と思ってしまいます。

 以前起きた元農水省事務次官の方の方の事件も、後年は息子さんが絵の世界で何かできないかと、コミケについて行かれたりしていた、ある意味「良いお父さん」なのだけど、小さい頃からの「否定」の影響が大きすぎたのかな。


 しかし「できてる部分を肯定され、褒められ、感謝されるみたいなことがほとんどだったら」って、別に障害関係無いよなあ・・・

 「自分で選んだ行動をし、その責任をとる」というのにしても。

 あと、やっぱり学校時代に、診断はなくても「何か支援が必要」と感じてくださる方がおられたら・・・それは難しいことなのか。(まあ、私の周囲でもそこが難しくて、周囲がにっちもさっちも行かなくなってから私に話がやってくる、ということがあるわけだけど)

 でもって「犯行は障害の影響ではなく、本人の性格によるもの」・・・性格?性格!






posted by kingstone at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月20日

「反抑圧アプローチの視点から迫る軽度知的障害女性の性産業従事」を読む



武子愛・児島亜紀子『女性学年報』44 巻 (2023)44 巻 p. 61-79

 まず、私は「反抑圧アプローチ」という言葉を知らないので、検索したみた。


にこう書いてあった。

Anti-oppressive(social work)practice. “Anti”は日本語にもなっている「アンチ=反対」の意味で、“oppressive”は抑圧と訳される“oppression”の形容詞だ。日本語で最適な訳語に抽出するのが難しい言葉だが、この著書では、既存の数少ない日本語文献(坂本 2010;二木 2017;児島 2018)に倣い、「反抑圧的ソーシャルワーク」として紹介し、文中での言及では、英語の略を使用して「AOP」とすることにする。


1.いろいろな抑圧の連鎖・交差性を見る
2.支援者が自分の属性から、抑圧の構造の中に関わっているかを見る
3.ソーシャルワーカーはアライ(ally)として当事者に伴走し、協働して解決策を見つけていく

ということになるのかな。

 なお、最近アライという言葉をよく聞くけど今ひとつわかっていなかったので検索すると

"Ally(アライ)には、次のような意味があります。 同盟国、味方、仲間 また、LGBTを理解・支援する人を指す言葉としても使われます。アライ本人は、性的マイノリティではありません。1988年に米国の高校でストレートの生徒によって作られた、「ゲイ・ストレート・アライアンス(GST)」という団体に由来していると言われています」

ということでした。

で、「抑圧的アプローチの視点から・・・」に戻って

アイリス・マリオン・ヤング(I.M.Young)の用いる概念によると

抑圧

1.搾取
「エネルギーや力が、通例男性の利益のために、またしばしば何の予告も自覚もないままに浪費させられる。」

(もともと提唱した Young がとりわけ重視したのがジェンダー搾取)

ここの男性をいろいろ入れ替えるといいわけだな。

2.周辺化
「労働システムが用いることができない、あるいは用いようとしない人々」
(後ろに出てくる例では、算数ができない→レジができない→(好きだった)」アパレルの仕事が続かなかった、というのが出てきた)

3.無力化
「他者から命令を受けなければならず、自ら命令を下す権利は稀にしかもてないように位置づけられ」
無力化された者とは、権威や権力を及ぼす場所がない人々

しかし、後で出てくる無力化の例としては、「叱られた(そして褒められない)」というのが出てくる。たぶんそういう形で無意識のうちに刷り込まれるということなんだろうな。

4.文化帝国主義
「自らの経験を人類そのものを代表する経験として取り扱う」

私は男性で、高齢者(戦後10年の生まれ)で、とそういう性別や歴史の中で育っているので、その経験を世の中の常識として、無意識に当たり前と思っている部分は無茶苦茶あるだろうな。

5.暴力
これは具体的に浴びた暴力だけでなく、女性はレイプを恐れ、アメリカの黒人は襲撃やハラスメントの標的になることを恐れるなどの
「抑圧された集団の構成員全員が、その集団的アイデンティティだけを理由に被害者になる傾向がある」
「集団に向けられる暴力は、制度化され、組織的である」

これらに対して、

抵抗

ドナ・ベインズ(D.Baines,2017)によれば

クライエントが経験する問題について
「個々の選択からだけでなく、社会的に条件づけられ制限された選択および相互作用または制御から生じる」

レナ・ドミネリ(L.Dominelli,2002)によれば

抑圧に対する行動には受け入れ、適応、拒否の3つの行動があるとし、一見反社会的な行為に見えても、それは抑圧に対する抵抗である

(しかし「受け入れ」と「適応」に違いはあるのだろうか?)

で、事例として2人の方にインタビューしている。

Aさん
児童養護施設で育ち、昼職についたが、算数がわからずレジができなかったので好きだったお店をやめ、性産業へ。一度怖い目にあい逃げた先でまた乱暴され、警察に行き、保護施設を紹介され入所。その後、出て再び性産業へ。
(でも、施設の責任者さんから紹介されてインタビューしているのだから、施設も関わりは持ち続けていると思われる)

表1に「抑圧およびそれに対応する抵抗の語りの例」が出てくる。

そこで「搾取」「周辺化」「無力化」「文化帝国主義」「暴力」と分類され、それにどう対応したかが書いてあるのだけど、私にはいまひとつ分類がすっとはわからない。しかし周辺化(労働システムからの排除)はすごくよくわかる。

 また無力化のところで、抵抗の行動(環境?)で、「(育ちの過程でも、成人してからも)よく怒られていた」が、性産業では「頑張ったね」と言ってもらえる、というのがあって、ああああ、となった。

 このあたり、それこそ学校や家庭で PBS のような考え方が広まってくれば、ずいぶん変わらないか?
 つまりダメなところを矯正しようという態度でなく、良いところを認めていこう、そし最終的には「躾の方法として褒める」のではなく、当たり前に褒めることがある環境みたいな。

 あと、たぶん昼職では「嫌なこと」から誰も守ってはくれなかったけれど、性産業では「規則ですからしません」と言え、それでもされそうになったら従業員さんが介入してくれるなどあるから「拒否」がきちんとできるってとこも、大事な点なんだろうな。
ここには守ってくれる人や仕組みがある。

 そして、現時点ではAさんは「周辺化(昼職の労働から排除)されている」という事情はありつつも、性産業を自己選択している。

Bさん

 言わば「ヒモ」から逃げて現在も保護施設におられる方。

 なお、AさんもBさんも昼職について

「数字やパソコンが使えなくても従事可能な肉体労働が知的障害男性にはあるものの、知的障害女性には難しい」(武子,2022)

ということなのだけど、A型就労支援事業所なんかだったら、何かありそうだけどなあ・・・


posted by kingstone at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月10日

『移民の運命』エマニュエル・トッド著(1994)その2





第1章 普遍主義と差異主義

 う〜〜む。「普遍」と「差異」という言葉を使うと何か「普遍」のほうが良いというような価値観を感じてしまう。まあ、訳語だから、元の単語にそんな価値観があるかどうかわからないけれど。


普遍主義(世界中のどの人間も根本的には同じ)
例:ローマ、スペイン、ポルトガル、フランス、ロシア、中国、アラビア等
(ただし、男女間で強烈な差異主義のところもあるよな)

差異主義(人間はお互いに本質的に異なる)
例:ギリシア、イスラエル、ドイツ、日本、バスク地方、シーク教徒のパンジャブ、イングランド、ドラヴィダ・インド等

で、それがどのような現れ方をするかというと、Wikipedia

「エマニュエル・トッド (Emmanuel Todd, 1951年5月16日 - ) は、フランスの人口統計学者、歴史学者、人類学者」

と紹介されているような人だから「宗教システム」「婚姻システム」「相続システム」に注目する。

相続では

対称(平等)
・全員が対称
・男性だけが対称

無対称(不平等)
・長子相続
・末子相続

例えば日本も過去は、男性長子相続。で次男以下は部屋住みか出ていくか、女性はどこかに嫁ぐか、しかなかった。で、各国とも次男以下は僧侶になるか戦士になるか両方になるしかなかった、と書いてあって「両方?」と思ったら続けて「日本の僧兵」とか出て、なるほど、となった。

『鬼滅の刃』の中で、炭治郎の「長男だから〜〜できた」という言葉にたぶん多くの日本人は「大正時代ならさもありなん」と納得しつつ現代読むことの「おかしみ」を感じてネットミーム化したのだと思う。

でもって、こういう考え方、無意識のうちに集団の中に埋め込まれている。

 例えば、父母の長男である私の家には仏壇があり、炊いたご飯を供えるのだけど、これはなぜか私の役割で妻は私が不在の時にしかしない。それを私も妻も当たり前と思っている(?)

 これが、他の集団と出会った時にどうなるかだよな。

 もちろん、これらは農業の時代、工業の時代、脱工業化の時代と変化していく。

 しかし、最後の仮説のところ、「家族システムから人類学的システムへ」と見出しがついているのだけど、さっぱりわからない。

 ほんと、頭から湯気が出そう。
posted by kingstone at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誰もが暮らしやすい街作りのために、「合理的配慮」を(おめめどう20周年記念講演会)



※画像はクリックすると大きくなります。
※もう一度クリックするとさらに大きくなりますが、サイト外に出ます。
※チラシは下からダウンロードできます。
おめめどう20周年記念講演会おもて-2024_02_3.jpg

日時:2024年5月12日(日)13:00〜16:00

場所:四季の森生涯学習センター西館 多目的ホール




プログラム

13:30祝辞 堀成志(株式会社 プリテック 代表取締役)

13:40基調講演:「子どもの権利から考える合理的配慮」

講師:飯野由里子(東京大学バリアフリー教育開発研究センター)
   平林ルミ (学びプラネット合同会社)

15:20謝辞 奥平綾子(株式会社おめめどう代表取締役)

終了後〜16:00 支援機器、グッズの「展示」&「販売」
        おめめどうユーザー交流会

参加費:2000円(資料代)/定員 300名

お申込み:おめめどうネットショップよりお申込みいただけます。

お問い合わせ:株式会社おめめどう
 〒669-2223 丹波篠山市味間奥190-8
 TEL&FAX 079-594-4667
 E-mail   info@omemedo.com


【同日開催】

<おめめどうオブザーバー大西俊介@syunさんを偲ぶ会>

(講演会にお申込みいただくと、午前中の偲ぶ会にもご参加いただけます)

10:30 大西俊介さんにそれぞれ関わりのある方による、映像やメッセージ

・といくらふと&つつじ園時代
・堺市時代
・福祉のまちづくり研究所時代
・おめめどう時代

12:00 佛教大学軽音学部のかつてのお仲間による
    追悼コンサート
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<20周年によせて> 株式会社 おめめどう 代表取締役 奥平綾子

 株式会社おめめどうは、2024年5月28日、創立20周年を迎えます。

 「おめめどう」とは、自閉症・発達障害の人たちに「視覚的支援はいかがですか?」「視覚的支援をしましょうよ」が合言葉になるようにと願って、2004年の起業のさいにつけた社名です。

 20年経って、文科省や厚労省など政府の刊行物にも、知的障害・発達障害の支援に「視覚的」「具体的」「肯定的」という文言が見られるようになりました。また、この数年の「新型コロナ感染症」の拡大で、社会には「視覚的なマーク」や「掲示物」が増えていきました。日本は毎年のように自然災害があり、その非常時には人々への「情報保障」は欠かせません。おしゃべりの伝聞ではコミュニケーションが難しい場面も多々あり、防災グッズで求められるものに「筆談の道具」が入っています。

 おめめどうが書籍やセミナーでお伝えする「みとおし」「えらぶ」「おはなし」「杖の役割」「年齢と性別の尊重」といったシンプルな五つの支援の考え方を実践することで、障害があっても自然な暮らしを支えていけること、また、「巻カレR︎」「コミュメモR︎」が、人手不足にも「支援の引き継ぎ」をより楽にすること、ライフラインが途絶える「非常時の時」には「アナログな支援」が必要なことなどが、ジワジワと知られるようになり、昨年、全国のユーザー数は10000を超えました。「巻カレR︎」は年間何千本の注文、「コミュメモR︎」は万単位の発送をさせていただいております。

 ありがたいことに、丹波篠山市では、2022年から「巻カレR」「コミュメモR」が、成人までの日常生活用具の給付対象となり、知的障害児者の生活を支える制度が整いました。

 「誰もが暮らし良い街作りのために」と謳うことは簡単ですが、そのためには、私たち自身が「一歩を踏み出す」ことが必要になります。この「一歩を踏み出す」ことが難しいのです。実際に踏み出すためには「適切な知識」を得ることが必要です。

 20周年を記念し、基調講演を飯野由里子さん (東京大学バリアフリー教育開発研究センター)、平林ルミさん (学びプラネット合同会社)に、お願いいたしました。2024年4月より「合理的配慮」が「民間業者義務化」になり、一人一人が「合理的配慮とは」を自分自身のことに引き寄せていかなければならない時代になります。このたびの会は、真摯に学ぶ機会にしたいと思っています。

 丹波篠山で「おめめ どう?」と小さく呟いた小さな会社が、なんとか20年やってこれたのは、ひとえに私たちを支えてくださるお客様、お取引先様をはじめとする、多くの皆様方のご愛顧とお力添えのおかげと、おめめどうスタッフ一同、本当に感謝しております

 これからも、自分たちのできる範囲で「お役に立てる会社」であり続けたいと思っております。今後とも、どうぞ、ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

 2024年5月吉日





posted by kingstone at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | おめめどう・視覚支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする