今回の「くるめさるく」の事件、私にはものすごくショックで、しばらくこの事件については、何も書けませんでした。
6月から始まった歯周の炎症からの発熱と痛み、大学院でどう進路をとったらいいのかの迷走、つい先日のワクチン4回目の副反応による発熱など、睡眠・覚醒のリズムも大きく狂い、気力・体力が無くなっているところにこの事件で、自分の中でいろいろなものが混乱してしまっていました。
「何も書けませんでした」と書きましたが、実は事件のことには触れず、こうツイートしています。
「2012年に某放デイに行きはじめて、直接支援と同時に、スタッフ研修もしていったのだけど、評判が悪かったのが私が「私のマネをしちゃダメ」とよく言っていたこと。私が「ここまでは大丈夫」と見極めてやってることをマネされると危険なので。安全に穏やかにする方法は伝えていたんだけどね。」
「でも、圧倒的な体力差があってはじめて安全にできることとかもあるので、こちらの体力が弱ってくれば、できなくなる。ほんま小さい頃から学校園などで適切に対応してもらってたら必要の無いことであったりするのだけど。」
これを書いたきっかけとなった YAHOO!ニュースの第一報は、私には探せなくなっています。そもそも同じ URL でも新たな情報を加えて書き直されているのではないかと思われます。
その第一報を読んだ時は「また誤解した記事が出たのだろうな」と思いました。
私はネット上で長瀬さん(記事には最初「長瀬」という名字が出てきて、その後「坂上」という戸籍名が出て来、ネット上では「偽名を使っていたのか。怪しいやつ」というような風評も流れていました。でも長瀬が旧姓というお話をあるところから聞きました。このあたりも夫婦(強制)同姓制度の弊害ですね)
私はネット上で長瀬さんとも少しはやりとりがあり、「(どういう単語を使われたかは正確には忘れましたが)ホールド(抱きとめ)することもある」というお話はうかがっており、そのあたりを誤解されたのではないか、と感じていました。またそういった時、「いつまでできるだろう。もう体力的に限界かな」とかおっしゃっていたのにも共感を覚えていました。
私自身のことを書きます。
例えば幼児さんで、何かで遊んでいる。次は自立課題学習だよ、というのをいろんな手立てで伝える。すると無視するとかならまたいろいろな手を考えますが、明確にこちらを他害しようとしてくる。普段からそうやって意思を通している、という場合。
さっと捕まえて、課題をやり切らせて「できたね」と褒めて終わる。そして後は自由にしていいし、当然元の遊びに戻ってもいい。
いつもではないですけど、まあそういう場合もある、ということです。
これも、本当にやるなら、いろいろ周囲の人に根回しし、段取りや意義を説明したり、本当にそれしか手立てが無いのか、考えるポイントはまだまだあったと今思っています。(私にはできていなかった)
実際に、課題の量が普段の量設定してあったままやらせて、子どもの負担が大きく、もっと課題量をその場で減らすべきだった、ということもありました。
いずれにしても、「他害では意思を通すことはできない」というのを、説教したり叱ったりするのでなく理解してもらう必要がある。
もちろん「こうしたら意思は通るよ」も他の場面でどんどん教えてあげる必要はありますし、人とのやりとりが楽しい場面もいっぱい作っていく必要がありますし、全ては同時進行になります。
でも、そんなことができるのは、私の場合、小学校低学年から下の年齢のお子さんまでですね。もう今はそれも無理かもしれない。
また
これは他害がひどくてある放課後等デイサービスから「来ないでくれ」と言われたお子さんの例です。
この例で虐待ととられがちなところ。
一番最初のアセスメントの段階で、他の子に他害に行こうとした時、間に入り壁になって止めました。もう中学生でしたし、背も私とほぼ同じ、止めるのが精一杯でしたので、字義通り四つに組んでわめくお子さんを押し戻したり、また少し引いたり・・・力づくであることに間違いはありません。
あるスーパーで。毎回外出時には買い物もしました。自分で自分の買い物をひとりでする、という体験は今まで無かったようで、意欲的に取り組んでいました。しかしある時、財布に入っているお金で買えるより多くカゴに入れてしまいました。そこで「お金がこれだけしかないので、何品か返す」ということを絵で描いたり、音声も使って伝えたりしたところ、怒って大声で泣きわめきつかみかかってこようとしました。私は黙って押し返していました。そのうちあきらめたのか、納得したのかわかりませんが2品ほど返して、レジを通りました。その時、店員さんたちは全員私達から目をそらしておられました・・・
しかし、これもひょっとすると私から伝えるのではなく、店員さんから伝えてもらったら問題無かったかもしれないなあ、とも思います。
明確な虐待。
初めての外出の時、横断歩道を渡り切り、信号が赤になったらこちらを見て笑いながら横断歩道を逆走した。そこで私はそのまま車に注意しつつ(停まってくださってました)同じ方向に走りきったところで胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた。
駅で切符を買い、持たせてあげると破いた。それはセロテープでくっつけてあげ、ダメだよとこれは音声言語で伝えた。帰りにまた切符を買ったが、また破いてニコニコと見せに来たので、胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた。
なお、ほとんど子どもを怒鳴ったりすることは無くなっていたのですが、一応自分で10秒ルール(10秒以内で全て終わり、切り替える)、オープンな場のみ(人の目のあるところでやる)という2つのルールを決めていました。
しかし、前者は私の位置取り(子どもの前を歩いてしまった)の失敗ですし、前者も後者も「機能分析」を知っていたらやらなくて済んだことだと思います。明らかに「注目」の機能ですから。
なお、全ては親御さんに伝えています。
こんな失敗もありつつ、いろいろなところと連携し、1年後はほぼ問題なしに、2年後はまったく問題なしになりました。お子さんの生活もどんどん広がっていきました。その後、私の手からはまったく離れましたが、連携されているみなさんのおかげで順調です。(しかし・・・という後日談はあるのですが、それはまた別の話)
長々と書いて来ましたが、こういう私ですので、長瀬さんの言動には共感する部分が多くありました。
また、つい最近も長瀬さんが長瀬さんのセラピーを受けられた親御さんとともに、セラピーの動画を見つつ解説して頂けるという研修も受けていました。
私はホールドの場面なども見ることができるかな、と期待していましたが、そんなこともする必要はなく、ほんの少しのラポール形成と、その後の頻繁ではあるけれど、小さなプロンプト(手をつないだりはするがあとはちょんちょんと少し触れる程度)であれこれできるようになっていく様子には驚嘆してしまいました。
もちろん、それ以前の映像も親御さんが見せて下さいましたが、親御さんは既にすごく努力をされ、スケジュール提示も表出コミュニケーションの獲得もしているのに、出てきてしまった行動の多くの問題に疲弊しきっておられる状態でした。
それが長瀬さんのセラピーを受け、親御さんでもできるようになり、それを学校の先生に伝えて学校でもできるようになっていかれたようでした。いや「何かができる」というようなことではなく「安心して生活できるようになった」というほうがより正確ですね。
この本の中で長瀬さんは「強度行動障害は5日間(100時間)で改善できる」という題でコラムを書かれています。
これは「治る」とか「普通になる(?!)」とかという意味ではありません。周囲の人が「どうしていいかわからなくなっている」状態のご本人さんに長瀬さんが関わり、その情報を周囲の人とも共有し、5日間で長瀬さんはフェードアウトし、周囲の人でうまく関われるようになるところまで持っていく、という意味だと私は捉えているのですが。長瀬さんもそう書いておられますし。「治る」とか「普通になる」とかはひとことも書かれていません。
最初、私はある報道機関から取材を受けたさいに、長瀬さん擁護の論を述べました。ただ法人の女性スタッフが昨年秋に暴行容疑で逮捕された、という点には少しひっかかっていました。
しかしその日のうちに第2報(かどうかはわからないのですが、確か第1報の段階では書かれていなかったような・・・)が目に入り、結束バンドで手足を縛った、無理やり家から事業所(?)へ連れていった、というようなことが出てき、記者さんに確認するとご本人も認めているとのこと。私は擁護を止めるので取材音声を使用することは止めて頂くことにしました。
結束バンドで縛るのは誰も許されるものではありません。それって拷問の手段です。また無理やり家から連れて出るって、それは「ひきこもり」の人に対する「ひきだし屋」と同じことをやっています。これも犯罪行為です。
追記 2022.7.25.20:45
それと「頭に袋を被せた」というのもありましたね。もちろんこれもアウト。
ただし、あるところからは長瀬さん自身が「認めている」とお聞きしたのですが、別のところからは「認めていない」とお聞きしました。情報が錯綜しているので、まだまだ注視していく必要はありそうです。
また女性スタッフが暴行しているという動画もどこかで見ました。その様子を見てもうこれはあかんと思いました。
私はスタッフ指導には気を使っていました。最初の方に書いたツイートの中の
「評判が悪かったのが私が「私のマネをしちゃダメ」とよく言っていたこと。私が「ここまでは大丈夫」と見極めてやってることをマネされると危険なので。」
というような部分です。
またスタッフが善意で強引なことをしているのを見つけたら、さっと側に行って肩をトントンし、小さな声で「交代」と言って対応を代わり、子どもたちが帰ってから、そういう状況であれば、こう考えて、こういう対応を取ったらいいよ、と説明していたりしていました。
上司は部下の行動に責任があります。理事長は当然スタッフの行動に責任があります。またこれは推測ですが、女性スタッフは上司(長瀬さんですね)の行動の真似をしていた可能性もおおいにあります。
「結束バンド」「家から事業所への連れ出し」などはある程度知的に高い触法少年に対してでは、というような話も聞こえてきます。家族の緊急分離が必要と考えられたのでしょう。しかし、対応の中で「本人を大事にする」というのがすっぽり抜けて物扱いになってしまっています。もちろんご家族も大事なのです。しかしまず一番大事なのはご本人だし、もちろんご家族も大事なんだけれど、全部一度にできないというなら、連携で分担することはできます。
また私自身のことを書きます。
ある公的機関から不登校・引きこもりの事例に関わってくれないか、という話がフリーランス(何の制度にものっていない)の私に来ました。で関わりだし、外出活動が何回か楽しめました(なお親御さんと私の直接交渉で時給1000円だったかな?)。その公的機関・児相・学校・私の知人・ご家庭と連携し情報共有しながらやっていきました。
そうこうしているうちにご家庭の内情が分かって来て分離が必要と確信しました。しかし児相も「親から子への身体的虐待」などがあれば分離に動けますが、そんなことはないので動きようはないし、他のところも具体的手立てでできることはないわけです。もちろん事前に里親制度も調べ、私が里親になる手も探りましたが、時間がかかりそう。
なので「本人の意思で私の家で暮らす」計画をたてました。そして連携先に伝えましたが全員に反対されました。そりゃ普通はそう考えます。
しかし「では私は手を引くので、この状況をあなたは責任をもって好転させてくださいますか」と言うと黙り込まれます。
そこで、連携は維持しつつ、私は勝手に計画を進めました。
今までの外出活動からわかったいろいろなことで「これはできるのでは」というバイトをしてもらいお試しで私の家に一泊しました。その上でずっと泊まりに来ないか、と伝えると泊まると言ってくれました。(なお本人が「泊まらない」と言えばまた別の計画をたてないといけないな、と思っていました)
私は最長18歳までその状態が続いてもご家族のご負担にならないよう「一泊1000円」で開始しましたが、ご家族が「それではあまりにも少ない」と「一泊1500円」にあげてくださいました。
(なお私への謝礼は制度にのっていないので、一見非常に安くてもご家庭の負担は大きいです。しかもこれは私が年金生活者だからできる金額かもしれない。)
まあ何がどうなったのか、わかりませんが、土日は帰宅するようにしていたら、そのうち家庭内の問題が無くなって行き、半年ほどで終結しました。
長々とすいません。なぜ長瀬さんが犯罪行為といえるものにまで至ってしまったか。私の推測です。
○長瀬さんは知的に重い自閉症の人たちの強度行動状態を改善しご本人も楽にし、周囲の人も楽にする力があり、ご家族にも感謝されてきた。
○ご家族に感謝されているうちに、ご本人軽視に陥った?(このあたりはよくわかりません)
○連携をいろいろな機関や個人と、情報共有しつつとっていれば、暴力とかまずい対応をした時に指摘してもらえたのではないか。しかし、その本人・家族を含めた周囲にそういう連携(コミュニティと言ってもいいかもしれない)を作り出すことができなかったのではないか。(私は突っ走りますが連携というか報告はし続けます。私は私が一人でやることを信頼してはいません。間違いもするし、下手もうちます)
※しかしこれについては「長瀬さんの仕事なのか?」という疑問は大きくあります。というより、今まで関わってきた学校園・緒機関が専門的支援とともに、連携をとれていれば長瀬さんが登場する必要はさらさらなかったはずですね。
※3日間で100万円という記事内容にいろんなご意見がありますが、じゃあそのお子さんご本人に関わってきた学校園・公的機関の方に支払われた人件費は総額いくらになるのでしょうか?別にそれを減らせとかいう気はありません。しかし同じような額を、少なくとも強度行動障害で知的に重いタイプの人への支援のために安定して長瀬さんに供給するような仕組みがあってもいいはずだとは思います。
この連携の重要性というあたりは最近集中して読んだ「引きこもり者への CRAFT の適用」 関係の文でも強く感じました。例えば
この中で山本彩さんはこう書いておられます。
誰のニーズにより、どこが、どんな法的根拠に基づき、どんな支援を行うか、などの枠組み、支援(治療)構造を整える。「何ができるか」だけでなく「何ができないか」もその理由とともに押さえておく。「他機関が助けてくれない」と感じる時は、その機関に関して「何ができるか」「何ができないか」がわかっていない時。 過不足の無い「本人の役割」や「家族の役割」の設定。それらの人々の力を奪う支援計画にしてはならない。 |
重要なことだと思います。
最後に、収監されるのか執行猶予がつくのか、量刑のことはわかりませんが、しっかりと罪を償って頂きたいと思います。
そしていろいろ考えられ、気持ちが落ち着いて、ご自分で安全に活動できると判断され、再起される時には、幾許かの支援をさせて頂こうと思います。
(でもなあ、「専門性に基づいた支援」も大切なのだけど、「近所のおっさん(私)とかおばはんによる支援」をコーディネーターがうまく使ってくれる、とかいうのもあっていいような気がするのだけど・・・)