※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2022年05月18日

『対話から始める 脱!強度行動障害』読書メモその3




第6章 しくじり思春期 母子分離の重要性(奥平綾子)

奥平綾子さんは鰍ィめめどうの代表取締役。
利益相反について:私はおめめどうフェローです。

  それだけに、いろいろ聞いていたのですが、今回、これを読んでめちゃくちゃ得心でき、私もわかってなかったなあ、という部分がたくさんありました。

中学校への入学と過干渉

  小学校卒業前、困った行動が出始めてお医者さんに相談した頃のことを思い出して書かれているのが、

「(お医者様が)『お子さんにストレスがかかっていますね。何か(式典などの)活動をやめるのも一考ですよ。それに、親御さん、もっと離れて下さい』と。視覚的支援をすることで、参加できるものは増える。けれども、まだ、筆談コミュも少なく、本人の気持ちを聞くところは甘く、『過剰適応』になっていた」

(当時、奥平さんは「学校は絶対休ませません」と言ったり書いたりしてはって、なんかすごいな(褒めてるんでも非難してるんでもなく、淡々と字義通りに)と感じていましたが、そんなことが進行していたんですね)

母子分離の難しさ

(中学以降、激しいトラブルを起こすようになり)「当時はなぜそれが起こるのかわからなかった。ずっとしてきた視覚支援や選択活動、そしてコミュニケーションに、何か問題があるのだろうか?周囲の目もあり、私は不安だった。結局、一生懸命な母親が陥る典型的な例なのだと思う。熱心な親ほど「母子分離」が下手なのだ。「私がいなくちゃ」にますます追い込まれていった。」

(もちろんその後も、視覚支援や選択活動に助けられることは多いわけですが)

(現状では「母子分離」と書くしか無いところがありますが、ここ数年の動き流れを見ているとこれも「親子分離」となっていくかな?お父さんが子育てに参加されている例も増えてきた感じがありますし)

年齢相応に尊重されない

  これは今の特別支援学校どうだろうか?高等部の生徒でも幼児や小学生みたいな扱いをされる、ってことなんだけど。今はそういう場面が少なくなってきているのを期待したいけれど。

「エスパー」の罠

(高等部を退学する時に、学校が嫌な理由に「先生がしっぱいするのがイヤです」と書かれたそう。この話もよく聞いていたので、「学校の先生が何かをスムーズにできなくて嫌だったのかな」くらいに思っていたのですが、どうもそうではなかったようです)

「自分が『お茶がほしいな』と思ったとして、『お茶がほしい』と口に出さなくても、お茶が出てくるのだ。それが続くと、いずれこう考えるようになる。『お母さんは、僕が思っていることは、全部わかっている』と。となれば、車を運転しているときに、彼が『右に曲がってほしいな』と思っているとして、私が左に曲がると、『お母さんが失敗した〜』となるのだ。」

(つまり、「考える」→「要求する」→「実現したり、しなかったり」であるところ、「考える」→「実現する」が続くと同一性保持が起こってしまい、周囲が特に間違ったり失敗したりしていないのに「○○が失敗した」と他人の責任にしてしまう。自分の責任を引き受けられなくなっているわけですね。すごく奥が深かった・・・)

(だから「エスパー」をして先回りして何かをしてはいけない、という話になるわけで。また本人の責任なのに、勝手に後始末をしてはいけない、という話にもなるわけで。しかしだからこそ自分で判断する元になる情報を視覚的支援を使って正しく伝えることが大事になるわけだな)

「仲間はずれ」をやめる

(これは樋端さんの「オープンダイアローグからの学びとツールの活用」のところで書かれていたことを彷彿とさせる)

(また本人が暮らしていくためのお金の判断(おめめどうの言う「予算軸」)を育てていくのに大事なことも書かれてます)

「しくじり思春期」を経てわかったこと

「障害があるから、特別な思春期がやってくるわけではない。定型発達の子どもたち、いや、自分自身と『同じ思春期』がやってくるのだ。ただ、その子が自閉症・発達障害・知的障害であれば、その特性に沿った対応(注意しなければならないところ)があるという、それだけのことだった。」


(メモで書き出したところも、前後に詳しく他のことも書かれていますし、他の方の部分も勉強になる(めちゃつらくなるところも・・・)ので、是非、ご購入して下さい)
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『対話から始める 脱!強度行動障害』読書メモその2




読書メモ

第5章 対話を止めるな 人権侵害が行動障害を生む(樋端佑樹)

 本田先生は「自分がかかわってきた人で強度行動障害になった人なんて見たことないけどなあ」とおっしゃっていた。
(めちゃよくわかります。適切な対応を継続していたら、思春期、成人期になっても起こらない。起こらないから「この取組がいい」と証明しづらい。そして「あの人は障害が軽かっただけ」と言われる)

 佐々木正美先生がおっしゃっていたことであるが、母性と父性はどちらも大切だが、大事なのは順番である。
(これ、今後は言葉を変える必要があるだろうな。母性→受容、承認。父性→教える、訓練(?)、外部の価値観とのすり合わせ(?))


   早期から家族を取り巻く強力なチームが無いと無力。
(吉川先生のおっしゃる「とにかく人手を集めること」ですね。別に専門家・職業支援者のみの集団とかでもなく、保護者同士であったり、爺ちゃん、婆ちゃん、ご近所の人とかでも)
 チーム内外での対話が継続されていないと、ババ抜きのように誰かが苦しみながら丸抱えするか、結局、自分たち以外の誰かに丸投げすることになる。
(私は爆弾ゲームの爆弾と言ってます。もちろん「この子は爆弾ゲームの爆弾ちゃうぞ!人間やぞ!」という文脈でです)
 チームとして生き残り、できるだけ課題を社会の中に広く問い、開いていくことが大事なのだ。
(別のところで、地域の連携があまり無かったところで、荒れる当事者さんを何とか支援しなきゃ、ということで集まり、連携が形づくられていった例が出てきます)


オープンダイアローグからの学びとツールの活用

  当事者抜きで当事者のことを決めない、相手を変えようとしない、結論や落とし所を想定しない、多様な声を共存させる、それぞの主観をテーブルに並べてみんなで眺める。そういうコミュニケーション様式である。見えていない部分が見えると、無意識であっても歩み寄りが始まる。落とし所を想定せず、対話を継続することだけで関係性の修復プロセスが動き始めるのだ。(中略)
  問われているのは専門性か関係性か。どちらが先というものではなく、相手をリスペクトし、相互性、対等性をもった対話が継続できているかどうかなのだろう。(中略)
  たとえば、大荒れで立てこもっていた本人も衝立の裏から自分の支援会議に参加し、となりにいる私と筆談や選択肢で言葉を探し、親に対する思いを直接打ち明けられたところから、周囲のまなざしが変わり、本人の主体性を尊重できるようになった。その後、家族や支援者とも LINE や筆談でやりとりするようになり、落ち着いた暮らしが維持できてきている。

  問われているのは専門性か関係性か。どちらが先というものではなく、相手をリスペクトし、相互性、対等性をもった対話が継続できているかどうかなのだろう。

(私も計画相談(相談支援)をしていた時、できるだけご本人にも担当者会に参加して頂けるように努力してきたけれど、まだまだ甘かったかな)


人として対等に付き合える支援者とは

(ここのところが難しいと考えています。私が関わっていろいろ連携し、行動問題の無くなったお子さん。高等部入学から再び行動問題が起きたのですが、教師が対等に関わっていないから、と感じられます。「強制」のほうでなく「言いなり」のほうなんですが・・・しかし「言いなりは良くないですよ」とか言えば、じゃあということで「強制」になりそうだし・・・どっちもちゃうねんけど・・・)


(メモで書き出したところも、前後に詳しく他のことも書かれていますし、他の方の部分も勉強になる(めちゃつらくなるところも・・・)ので、是非、ご購入して下さい)
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2022年05月17日のつぶやき
































































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2022年05月17日

『対話から始める 脱!強度行動障害』日詰正文・吉川徹・樋端佑樹編




すごくいいです。(まだ半分までしか読めてませんが)


読書メモ


まえがき(樋端佑樹)

「大事なことは彼らをがっかりさせず、世界はまんざらでもないと思ってもらうこと」

(佐々木正美先生の「この世の中がこれだけ美しいものだということを伝えたいのです」

を思い出すな)


1章 強度行動障害の背景にあるもの、予防のための工夫(吉川徹)

DSM-5 診断につながる自閉症スペクトラム症の特性

○社会的コミュニケーションの困難

○常同的反復的行動

(これ、以前の3つ組から、DSM-5で2つ組になって、どうわかりやすく説明したらいいんだろうか、と悩んでいましたが、これはわかりやすそう)

さらに根っこにあるもの(吉川による)

@人づきあいが行動の動機になりにくい

A好きなものが増えにくい

B嫌いなものが増えやすい

「これ好きだな」から「こういうの、好きだな」になかなか広がらない

(「これ好きだかな」から「こういうの、好きだな」への難しさ。めちゃくちゃわかる)

強度行動障害に見られるパターンとその予防

(1)嫌悪的記憶の蓄積(感覚の過敏さ。馴れは生じにくい)

(2)動機の不十分な活動が多い(動機が十分あることの大切さ)

活動の後、少しでもその活動が好きになっているように

(3)命令と強制されることが多い(力を使われること)

(4)人で遊ぶ

「人と遊ぶ」とは似ているが違う。大人が不快な遊びはちゃんと断る、逃げるということを続けること。ついつい受け入れがちになりやすいが」

対策 1.遊びを求める要求のコミュニケーションを身につける

   2.断られた時に、穏やかに引き下がれるようになる

(5)行動レパートリーの不足(退屈に著しく弱い)

筋の良い退屈しのぎをたくさん用意しておく

(6)報酬のための活動の不足

(なるほど・・・これが無いと、あるいはわからないと、成人後「遊び」でばかり暮らしを形づくっていかなくなり、それはたいへんと・・・確かにそうだ)

(7)カタトニア

専門の研究者によると、自閉スペクトラム症のある人の1218%にみられる[1]

[1] DeJont, H,, Bunton, P,, Hare, D.J,; A systematic review of interventions used to treat catatonic symptoms in people with autistic spectrum disorders. J Autism Dev Disord 44: 2127-2136, 2014

(ちょっと「うわっ」と思いました。そんなに多いのか・・・ただ、これもどう対応したら防げるか、を書いてはって、要するに、「強度行動障害に見られるパターンとその予防」で書かれていることが起こらないように、嫌悪的な活動を避け、動機が十分ある活動をし、命令や強制されず自らやりたくなる活動をし、ひとりであるいは人と遊べるようにし、行動レパートリーを増やし、報酬のための活動を入れていけばいいってことだよね)

予防のための資源

(1)とにかく人手を集めること

(2)子どもと対話する余力を確保する

(3)「できること」より「やりたくなること」を目指す

(4)大人になったときの暮らしをイメージする

将来の暮らしをあらかじめ決めてしまうのではなく、その子に似合う暮らし方を想像するというような向き合い方ができることが望ましい


 (なんかめちゃめちゃわかりやすくて、他の人に説明する時に使える、と思えました。メモで書き出したところも、前後に詳しく他のことも書かれていますし、他の方の部分も勉強になる(めちゃつらくなるところも・・・)ので、是非、ご購入して下さい) 

posted by kingstone at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月16日のつぶやき


























































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