※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2022年03月17日

2022年03月16日のつぶやき




















































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2022年03月16日

2022年03月15日のつぶやき
































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2022年03月15日

2022年03月14日のつぶやき




















































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2022年03月14日

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』ブレイディみかこ著





 日本で言えば息子君の中2,コロナ前までの周囲とのあれこれが書かれています。


 第1話はルーマニアからの移民家族(と後にはその仲間たち)とのあれこれ。

 夫さんがDIY趣味でかつ捨てられない人、だったので(みかこさんもかなりやいのやいの言ったのでは、と推測)、前庭に捨てるものを入れるためのスキップという箱を置いていたら、そこに鉄くずを集めているルーマニア人家族がやってきて交流が始まったそう。

 以前のみかこさんの本でも、夫さんは移民排斥の空気が強まって、地元の人から嫌がらせを受けている移民の家に、仲間の労働者を引き連れて行って守りに行く(ただし、意見としては移民政策反対)ような人だから、「これももってけ」「あれももってけ」と毎日鉄くずを出してあげるようになります。

 すると、近所から「捨てるつもりのない物まで黙って取って行く。彼らを来させるのをやめさせられないか」と苦情が出たと。

 夫さんは、「うちのはいいけど、他のところのは、置いてあるのは持って行ってはダメ」ということを伝えたら、翌日からまったく来なくなったそう。(後で出産が近いというのであげた産着は、死産だったから、と返しに来たけれど)

 実のところはよくわからないですが、なんかありそうな話やな。


 あと、緊縮財政でどんどん住民福祉が削られ、地域の図書館が廃館になりました。そこを利用しようと、ホームレスのシェルターを作ることが自治体から提案され、説明集会が開かれたけれど、ものすごく激しい反対意見ばかりが出て、説明に来た自治体職員の女性が途中で泣きながら帰ってしまったと・・・

 なお、近所の人たちの中に、離れたところに住んでる人がいて、みんなを煽るような言動をしてまた反対意見が激しくなったのだけど、後からその人は近所に不動産を持っていることがわかります・・・

 地価下落をみんな警戒してる、ってことなんですが、う〜〜ん、抱き合わせでいろいろな福祉系の複合施設ができ、それができると地価が上がる、みたいなことできないのかなあ・・・


 息子君が数学で悪い点を取って帰ってきたとき、夫さんは激しく叱ります。そして「頼むから俺みたいになるな」と言います。その言葉を父親に言わせてしまった、という思いで息子君は涙をあふれさせます。息子君はなんかめちゃ優しく、よく考える人になっていってるな、と感じられます。

 なお、イングランド、ウェールズ、北アイルランド(つまりスコットランドは別のやり方)では9年生(13歳?)からGCSE(中等教育修了時の全国統一試験)に向けての授業を選択するので、12歳でその説明会が開かれるそう。

 中に「ビジネス」という科目もあり、興味を持つ子どもや親も多い。で、みかこさんも説明会場に入ってみたら、自営業(スタートアップ、フリーランス)を始めるのに必要な知識を与えるもののようだと感じられたそう。で、それは役所や企業に雇う力が無くなったという時代の流れで出てきたものではないか、と。

 う〜〜ん、確かになあ・・・

 日本でも同じようなこと、言えるよなあ。


posted by kingstone at 19:53| Comment(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『最澄と徳一』師茂樹著




 私は全然知らなかったのですが、天台宗の最澄法相宗の徳一の論争は日本の仏教界を揺るがせるものであり、その影響は明治時代まで(ひょっとして現代まで?)続いていたと。一説ではこの論争が最澄の命を縮めたとまで言われている。

 それは三一権実諍論と呼ばれ、Wikipedia によれば

「天台宗の根本経典である『法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗は一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗と仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこそ真実であると主張」

というものであるらしいのだけど・・・お互いに論争するわけだけどそれに対して根拠を示すわけね。今なら「どこそこの論文によると」であるように「どこそこの経によると」と例をあげていくわけだけど、仏教界にはその作法があり、

因明(いんみょう)→ 仏教論理学・議論の方法
共許(ぐうご)→ 双方が承認していること
世間共許   →(業界の?)常識

また経の正当性を言うのに、教相判釈(きょうそうはんじゃく)という文献学みたいなものを用いると。

 で、お互いが承認しているところから議論を積み上げていくということだけど、最澄は当時流行して一気に多くの仏教者に広まった(過去は知られていない)考え方を世間共許として提出したりもしていたらしい。

因明においては本来は証義者(しょうぎしゃ)という判定者がいる。(しかしこの論争においては居たのか?居なかったよな)

 ただなあ・・・現在の後知恵かもしれないけれど、例えば中村元の「バウッダ」によれば一番最初の経典群である「阿含経」が

「『阿含経』は、仏教の創始者ゴーダマ・ブッダ(釈尊)の教えを直接に伝える唯一の経典群であり、同時にまた現存の『阿含経』は、ゴーダマ・ブッダ(釈尊)の教えを原型どおりに記しているのでは、けっしてない」


というものだし、そもそも、大乗仏教の経典群はいろんな人が後々に自分の哲学・思い・到達点でもって書いたものだし・・・

「あそこにああ書いてあったから、これが正しい」と言えるようなものじゃないのじゃないのかな?

 いや、もちろん信仰とか宗教とかは、最終的にはエビデンスとかなくても「私は信じる」というものだし、それでいいと思っているのだけど。

 でもって、どっちでもいいなら私は、「みんな成仏できるよ」という一切衆生悉有仏性のほうが景気良くていいじゃん、と考えるバチ当たりだったりするわけですが。

 しかし仏教界には「論争を起こすと地獄に堕ちる」ですることという考えもあったそうです。

 時代は下るけど、法然の大原問答なんかもそんな感じでやられたんだろうか?

 しかし、本書にも書かれていますが、「相手を潰す」ことが目的ではなく「議論によってそれぞれが思う正しい方向へ赴こう」という方向性ならいいだろうな。

 なお、アメリカの歴史学者ヘイドン・ホワイトは過去を

「実用的な過去(practical past)」(地元を愛し、物語を作る。郷土史とか→行き過ぎると「歴史修正主義」や「排外的な愛国主義」に)

「歴史学的な過去(historical past)」(時に正しくて人の心を傷つける)

と2つに分類してはるとか。なるほどな。





posted by kingstone at 00:26| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする