2019年に起きた
を扱っている。
まず亡くなられた被害者の方に哀悼の意を表します。
すごく調べておられるのだが、「川崎」事件の犯人、Xさんについては情報が無さすぎる。これはまさにネットを利用しない引きこもりの方の世の中からの見え方だろう。
「元農水事務次官」の方は被害者のEさんが、ボロクソに叩かれていた。それはネットに残った痕跡ゆえなのだけど、磯部さんの取材や裁判記録などから別の面も浮かび上がってくる。
「京アニ」はまだ裁判も開始することができない状態である。犯人の「男」さんも生まれてから犯行に至るまでの情報は比較的少ない。しかし、ご本人も激しいやけどを負い、病院での濃厚な治療を受けて生き延びた時に看護師さんに語った言葉
「人からこんなに優しくしてもらったことは今までになかった」
というのは胸をつかれる。
この中で、少しは福祉が関わっていたのは、「男」さんが以前の犯罪で刑務所に入り、出所後「厚生保護施設」で暮らしていた時期があったくらいか。
前2者はまったく福祉の手は届いていなかったようだ。
私は支援者として、どの段階でどうだったら事件を回避できたのだろうか、と考える。しかし、みなさんの年齢からすると、小さな頃からの支援は受けられなかっただろうなとは思える。この中で「元農水事務次官長男殺害事件」について少し見てみたいと思う。
Eさんは2019年の事件当時44歳。
ということは1975年くらいの生まれか。一応1975年と考えると
1975 誕生
1982 小学校入学
1988 駒場東邦中学入学(ネットで調べると偏差値74!。校内ではイジメを受ける)
1989 この頃より家庭内暴力
1995 駒場東邦高校卒業(この頃かかりつけ病院で「統合失調症疑い」との診断)
確かこの年、日大の理系に入学したという記述があったような・・・
しかし製図が嫌で行かなくなったと
? 代々木アニメーター学院アニメーター科入学
代々木アニメーター学院アニメーター科卒業
アニメプロダクションには採用されず
? 日大理工学部復学(しかしやはり製図は嫌で退学)
? 流通経済大学2年生に編入
2001 流通経済大学修士課程修了見込み
受けたプロダクション全て不合格
2004 (日本)パン技術研究所に入る(職業訓練校)
2005 かかりつけ病院の就労支援施設従業員となる
2008 上司殺害を企図したらしく、父親Kの説得で止める
同年(?)代々木アニメーター学院キャラクター科入学
その後、コミケにも出店。父親Kも手伝う。
2012 ドラクエ10にはまる。
2016 診断が「アスペルガー症候群疑い」に変更
2018 医療保護入院のさい診断を「アスペルガー症候群」に変更
2019.5.26 25日に実家に帰り、父親Kの言葉に激高し、頭をコンクリートに叩きつけるなど激しい暴力をふるう
6.1 Eさん、父親Kさんに殺される。
なおお母さんは「小学校の頃はいい子だった」みたいなことをおっしゃってた。(今、探し出せないが)
またEさんは「勉強しないとおもちゃを壊される。エルガイムMK-Uを壊された」と小学校時代恐れていたようだが、お母さんは「勉強では叱ったことがない」と言い、「ただ昔、プラモデルを壊したことは事実で、悪かったと思っています。遊びに来た友達が置いていったものだと勘違いして、捨てようと踏んづけてしまった」
と述べられています。またいじめについては知らされても特に学校に問い合わせることはしなかったと。
私も中学受験しました。
うちだって特に厳しく「勉強せよ」と言われたわけではない。
しかし、十分にプレッシャーは感じていて、母親への呪詛と、「これが見つかったら僕は終わりだろう」と書いた紙を机の奥に隠して忘れていました。それを従兄弟が遊びに来た時に見つけて「こんなん見ーつけた」と眼の前に出された時に、どれだけびっくりしたか。
何かそんなことも思い出されます。
そして、私自身も、暴力まではいかないけれども中学・高校の時は激しい言葉を浴びせていたらしい・・・私自身は忘れてしまってますけど。
裁判の中で主治医がおっしゃってますが、診断が統合失調症からアスペルガー症候群に代わったのは仕方がない面があると思います。1995年段階ではよほど詳しい小児精神科医でないとアスペルガー症候群の診断をつけることはできなかったと思いますから(なお、現在でも間違われる例を知っています)。
日本でアスペルガー症候群に関して知識が広がったのは1999年頃からじゃないかな。
しかし・・・チャンスがあったとしたら、
・「中学受験を考えない」(ってのは東京のエリート家庭(?)ではあまり考えられないことなのだろうか?)
・1995年の統合失調症疑いの診断が出た時に、福祉サービスにつなぐことはできなかったのだろうか。
・2005年あたりで発達障害関連の診断と、福祉サービスへのつなぎができなかったのだろうか、あたりかな・・・
で、難しかっただろうとは思いますが、早い段階でKさんやお母さんが外部に助けを求めることができなかったのかな、というのは思います。
追記 特に、実家とは別の母親が所有する家でEさんが一人暮らしをしている時、ゴミ捨てが大きな問題になっています。2019.5.26 の父親Kさんに対する激しい暴力もKさんの「ゴミを捨てなきゃ」という言葉がきっかけになっています。一人暮らしをしている時に計画相談を受け、居宅介護でゴミの整理や、ゴミ出しは別のサービス(私の住んでいる地域では有償でゴミ出しをするサービスがある)を使うなどで、Eさんの一人暮らしを支えることもできたと思うのですね。父親などの家族が「面倒を見続ける」というのはいろいろな意味でやめておいたほうがいいと思います。
そこから相談支援専門員が相談にのって「居場所」の紹介もできたかもしれないし・・・
もちろん小さい頃からの「俺の人生は何だったんだ」みたいな気持ちを収めていくにはまた別のアプローチが必要だとは思いますが。