※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2021年04月22日

2021年04月21日のつぶやき
































































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2021年04月21日

2021年04月20日のつぶやき












































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2021年04月20日

2021年04月19日のつぶやき






















































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2021年04月19日

2021年04月18日のつぶやき


























































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2021年04月18日

療育って何だろう



 Twitter で afcp( @afcp_01 )さんがこんなツイートをしてはりました
療育の定義の問題
・定義に目的を含めるのか
・定義に方法を含めるのか
・提供場所を定義するのか
・提供者を定義するのか  
・提供者に養育者を含むのか
・定義に該当するかどうかの評定者間一致率をどうやって確保するのか

ざっと今思いつくのはこのあたりかな。 難しすぎて手を出す気が起きない。

問1 治療と療育の類似点と相違点を述べよ
問2 療育と教育の類似点と相違点を述べよ
問3 療育と保育の類似点と相違点を述べよ
問4 療育と養育の類似点と相違点を述べよ

このあたり、考えれば考えるほど難しくなるのだよな。どこかで考えるのをやめて動きださないといけない課題なのだろうけど。


 過去には私はこんなエントリを書いていますね。


 元発言のブログ(2010年の臨床発達心理士会のできごと)で

いきなりドクターが「ペアトレなんかやってほしくない」という過激発言。よくよく聞いてみれば」「親は親であるべきで親を訓練士にしてはいけない」という至極まっとうな考えです。

というのに対して、あれこれ考えたものです。

 当時から私の考えはあまり変わっていないと思います。

 「療育」という言葉は、あえて言えば「障害のあるお子さんに対して、そうでない(?)多くのお子さんにとって有効と思われる教育方法ではうまくいかなかったり、却って害になる場合もあるので、そのひとりひとりの障害に合わせて行ううまくいく関わり」みたいなイメージをもっています。

 でもそれは一般的に「療育」という言葉でイメージされがちな、「セラピールームで特別なことをやったらより『普通』に近づきます」、というようなものでは無いと思っています。

 しかしほっときゃいい、というもんではない。

 私がよく関わっている自閉症スペクトラムのお子さんだったら、

◯時間の見通しがつきにくい(切り替えが難しい、不安になるなどが起こる)
・時間の流れだったら見てわかるスケジュール
・月日だったら、おめめどうの巻物カレンダーを使う
・自立課題学習で「これだけやれば終わるんだ」という感覚を身につける

などで、切り替えられたり、不安が減ったりするようにします。でも、それってひとりひとりに合わせた単なる暮らしの中のひとこまだよね。

◯音声言語での意味がとりにくい(すごくおしゃべりできるお子さんでも、えっ、ここんとこわかっていないの、なんてことがある)
・できるだけ音声言語でなく、身振りや指差し、書いて伝えるなどする
・ものごとのルールを教えたり議論する時はおめめどうの「◯×メモ」「どうしてメモ」「四コマメモ」などを使う。理由を納得できるように伝えることが大切。
(教えてるつもりでも、音声言語で伝えていると、意味がわかっていなかったり、「なぜそうするのか」に納得できていなくて、「◯◯したらダメ」と言いつつ◯◯することも多い)

これもコミュニケーションの問題とも言え、単なる暮らしの中のひとこま、とも言える。

◯意思表出が苦手なお子さんも多い
・どちらを選ぶかの選択活動や、その場で誰に向かってどう言ったらいいかをおめめどうの「おはなしメモ」を使って実際にやってみる(声に出せれば出したらいいし、出せないなら「見せる」「渡す」でもいいし)。

これも、多くのお子さんは特に周囲が気にせずとも、勝手にできるようになる場合が多いけれど、自閉症スペクトラムのお子さんの場合は、意図してやらないと身につかない場合が多い。でも普通の暮らしの中でやることだよね。

◯終わりがわからないお子さんが多い。またついつい周囲の人が「こうするんや」と指示したりしてしまい、「ひとりでできた!」という達成感が日常の中で持ちにくい。
・自立課題学習で達成感を持つ

これも、「こうすればこのお子さんはひとりでできるんや」とわかれば、その他の様々な活動、家だったら家事活動などの普通のことに使えるよね。

◯買い物をあまりさせてもらっていないお子さんも多い(親御さんのトラウマになっている場合も・・・)
・やはり移動支援や行動援護などの「専門家」がついて買い物ができ、どんどんひとりでも買い物ができるようになればいいな

◯個別の学習時間は?(一見セラピールームでの特別なことに見えるかも。なお、私は知的に低目の方と関わることが多い)
・今できていること、できかけていることを使い、読み書きは「暮らしが広がるように」考え、またゲームなどで「余暇が広がるように」考え取り組む
(例えばジャニーズファンのお子さんなら「嵐」という字が読めたら嬉しいことが増えるだろうし、グッズが買えたら生きがいになるだろうしみたいなことも考える)

◯「承認」や「要求」の意思表出方法を誤って「周囲が困る行動をする」など誤って覚えてしまっているお子さんもいる。
・その行動の機能を考え、代替できる行動を身に着けてもらえるようにする



などというようなことを考えて、私は日々過ごしているわけですが、それを「療育」と呼ばれるとちょっと違う気がしてしかたがない。単に普通の暮らしのためにそのお子さんに必要なことをやっているだけ、という気がするので。


 で、転載させて頂いた afcp さんの2つ目の質問に私ならどう答えられるだろうか、考えてみたいと思います。

 基本「療育という言葉は使いたくない」のですが、あえて使って。


問1 治療と療育の類似点と相違点を述べよ

類似点:意図して働きかける(いや「療育」障害のあるお子さんとの場合、お子さんの方から働きかけてくる場合があり、そのほうが嬉しかったりするな)

相違点:治療は医療、療育は暮らし


問2 療育と教育の類似点と相違点を述べよ 

類似点:よく学校で行われている(?)。学校以外でもされている。

相違点:教育⊃療育 なので相違しているのか?
ただし、多くのお子さんに対して良い、あるいは害にならない取り組みでも、障害のあるお子さんには害になることもあるので注意が必要。


問3 療育と保育の類似点と相違点を述べよ

類似点:暮らしを大事にする。

相違点:保育⊃療育 なので相違しているのか?
しかし教育のところでも書いたように、多くのお子さんに対して良い、あるいは害にならない取り組みでも、障害のあるお子さんには害になることもあるので注意が必要。


問4 療育と養育の類似点と相違点を述べよ

 この養育というのは「家庭での暮らし」ですよね。

類似点:暮らし

相違点:「療育」として暮らしを支えるにはものすごく専門性が必要。親御さんには専門性など必要ないはず。園や学校でちゃんと理屈も実践も同じようにやっていれば、別に専門性が無くても自然に親御さんにやり方、考え方は身についていくものじゃないかな。


 ところが、現状では、親御さんが専門性を持つといっていいくらい勉強しないと、ご自分のお子さんを守れない状況はそこかしこで見られます・・・そういう意味ではペアトレはおおいに必要なのかも。



 う〜〜ん、すっきりとは書けていないけれど、いろいろ書きながら考えていこう。


利益相反について:私は「おめめどうフェロー」です。





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