神戸大学の岩田健太郎先生のブログから「誰でもできる研修医指導」の部分を読んで勉強しています。
なぜか、「2」から始まっていて「1」は見当たりません。
私の場合は、障害のあるお子さんに係る放課後等デイサービス、児童発達支援、特別支援教育担当教師にどう研修してもらうか、というのが動機になっています。
まあ、まず根本的に、「学ぼう」という動機づけの部分で、全然違う、ということは考えておかないといけないですけれど。(なんせ、入ってくるお金の額がまさに桁が違うから)
「優れた研修医に育ててはいけない」その2から
「優れた研修医」はやれ、と言われたことは「はい」と即答するからな。「なんでそんなことするんですか」みたいな研修医は優秀扱いされないんだよ。逆に「面倒なやつ」「バカ」のレッテルを貼られるリスクすら、ある。 |
「面倒なやつ」と思われる危険はあるよな。でも、私もそういう人のほうが楽しみだったりはする。
それに、そもそもその指導医に教わったことが本当に正しいかどうかは分からないじゃないか。間違いを教わっていることだって多いよ(熱のワークアップとかね)。あるいは、その教えは「当時としては正しくても」しばらく時間がたったら新しい知見がでて時代遅れになるかもしれない。だから、研修医のときも指導医になっても「自分のやってることは本当に正しいのか」という懐疑的精神を持ち、サラサラ流さない診療態度を持っていなければいけないんだ。「優れた研修医」ではなく、「優れた指導医」を育てるのが俺たちの役目だからな。 |
そう。スタッフさんを育てるのも、「ひとりだち」できて、そして年数だけの問題ではなく、お子さんや親御さんやスタッフさん、みんなを納得させられる、児童発達管理責任者やサービス管理責任者になっていただくことが役目なんだよね。
これはどこからだったけな?
しかし、研修医を教えていれば、一所懸命教えていれば勉教するモチベーションになる。「ちゃんと」教えようと思ったら勉強しないとダメだからな。というか、そもそも教えるという行為が「学び」そのものだ。繰り返し教えると、記憶は強化されるからな。俺みたいな年になると、何もしてないとどんどん忘れていくんだよ |
研修の時間に、スタッフが他のスタッフに教える、ってのはいいかもしれない。
第9回「知識のなさを怒ってはいけない」その1より
そもそも、研修医というのは知識も技術も足りないから、「研修医」なんだ。知識も技術も十分にあったら、研修なんてやる必要ないじゃないか。研修医がやらかした医療過誤で「研修医が未熟なために起きた事故」と個人を断罪するのは間違ってる。研修医が未熟なのは「前提」だからだ。その未熟な研修医が勝手なことをやらせるシステムの問題と捉えるべきなんだ。 |
放課後デイサービスにしろ児童発達支援にしろ、ひとつのミスが命に直結することは(重心児以外は)少ないと思うけれど、新人スタッフの間違った対応を放置しておくと、そのスタッフも、その他の周囲の人々もとても困った事態に陥ることはあるなあ。
第10回「知識のなさを怒ってはいけない」その2より
知らないことは恥ではない。責めるべきは知らないことに無自覚な態度にある。だから、研修医に知識がなくても俺は全然怒らないけど、自分が担当した患者に出されてる薬や、出してる検査について勉強してないときは怒る。患者の抱えてる病気についてちゃんと勉強してない場合も怒る。自分の患者の飲んでる薬、出してる検査、かかえている病気については「当然勉強したい」と思うべきだ。その「知りたい」という態度が示されていないのが、問題だ。 |
もちろん、放課後等デイサービスでも児童発達支援でも「どんな薬がいいか」ということに悩む必要はないし、検査も(あえてこう書くけど)わかっていなくても大丈夫。しかし、障害特性は知っておいて欲しいし、その知っておいて欲しい理由(特性がわかっていれば、対応を大きくはずす危険性は少なくなる)もわかっておいて欲しい。
で、「知りたい」と思って欲しいのだけど・・・しかし、特別支援学校の先生でも「知りたい」と思っておられない方が多いような気はするな。
第11回「研修医のプライベートライフを大事にしよう」その1より
研修医が仕事を終わらせて帰宅するのは実に健全なことだと思うよ。 |
これは、もう最近の風潮から言っても、定時が過ぎればさっさと帰ることができる、システムにする責任は上の立場のものにはあるよな。
第12回「研修医のプライベートライフを大事にしよう」その2より
D「よく引用する例だが、ラグビーの平尾剛さんが言うには、できの悪いコーチがやる練習のパターンがあるんだという」 S「といいますと?」 D「できの悪いコーチは選手を練習でガンガン走らせる。そして、疲れ切ってもう一歩も動かねくなるようになるまで練習を続けるんだそうだ」 S「それのどこがいけないんですか?ラグビーは走ってなんぼ。さぞスタミナのあるよいチームになるんじゃないですか?」 D「逆だよ。そういうチームは試合になると、最後まで走りきれず、すぐにバテバテに動けなくなってしまうんだ」 |
ラグビーネタが出てきました。
この例は「いつも残業させていると」という話の流れから出てきたものです。
これまた最近の風潮は変わってきたかな?
そのためには、入院当初からの正確な患者アセスメントと治療計画、そして退院に必要な諸々の事項を見通して着々とやっていく能力が必要だ。3,4人分の治療計画を同時に考えるような効率性も必要だ |
このあたりは、医療と福祉では大きな違いがあるでしょうね。
医療、特に入院治療は「出口戦略を考える」ということが大事だと思いますが、福祉の場合は、日々の暮らしをずっと支援していくことを考える必要がありそうです。
しかし「正確なアセスメント」は必要だし、複数の「支援計画」を諸々の事項を見通して作り、着々とやっていく必要はある。
そこやなあ。
第14回「タイムマネジメントを教えよう」その2より
だから、俺はケースレポートを書くときは患者を診療している間に書き始めてしまう。病理の結果とか、その後の経過はあとで書き足せば良い。文献検索や吟味も患者診療しながらのほうが身が入る。身が入った仕事は速い。1年後とかにぼんやり思い出しながらケースレポートを書くのは、苦痛だし時間がかかる |
確かにそうですね。
私が特殊教育学会で話題提供するときは、経過、結果がわかっていない段階で、「これを出させて頂こう」と考え、経過や結果(しかし、結果ではないな。人生なんだから、あくまで途中経過)を加えていく。
でも、学会で多くの人に話題提供する動機は、それこそ福祉職のスタッフさんには少ないかなあ。
望月昭先生は愛知コロニーでの実践で、
1.望月先生が入ってのミーティング
2.だんだんとスタッフだけでもミーティングできるようにする
3.スタッフが学会で発表し、承認されることでモチベーションを持続させる
という実践をされておられましたが。私も学会参加のおりに、スタッフさんのポスター発表をお聞きしたことがあります。
特殊教育学会でなくても、どこか発表の場があり、そこで褒められるという体験があればスタッフさんにとっていいだろうな。