※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2021年01月27日

新型コロナからいのちを守れ! 西浦博 聞き手 川端裕人




前書きの部分にこう書かれています。

 しかし、第一波の流行を走り抜く中で、いくつかの大切なことに気付かされました。

1.自らの研究者としての実力は確かであり、それを役立てられること。

 マニアックな研究者として、私は実力第一であることを最も重要視していて、普通よりもストイックな傾向があります。さまざまな有形無形のことを言われる中ではありましたが、きちんと分析 して能力を発揮することを第一の目標に据えてきました。

 こうありたいですよね、プロであれば。
 
2.人間として誠実であること。

 社会が注目する事態で露出をすると、往々にして化けの皮が剥がされます。私が裸にされるのは 仕方のないことです。本書で記すように、純理系バカであるがゆえに、さまざまな点でコミュニケ ーション問題に行き当たりました。しかし、失敗を重ねながらも、人間として本質的に誠実であることを忘れずに行動するようにしました。
 
 本当に誠実であること、(嘘をつかない、同じことですが捏造しない、とか)めちゃくちゃ大事だな、と思います。

3.家族とお世話になっている知人に支えられていること。

 流行を通じて、妻と子どもがこんなにも愛おしい大切な存在であると、改めて強く認識させられました。妻から毎週段ボールで届く洗濯物と子どもたちからのエールの手紙があったから、延々と続くホテル暮らしを切り抜けられたのです。また、数理モデルや感染症研究の同僚や先輩、中学から大学までの友人は、有言無言のエールを送り続けてくれました。近しい方々に支えられて今の自分があるのだな、と実感しました。

 これもよくわかります。

 家族・・・これは利害関係はありますが、無条件で味方になってくれる(もちろん西浦先生の場合は、無条件ということではなく、その姿勢、研究の実力といったものに、深い信頼があってのことでしょうが)。
 (まあ、もちろん、そんな家族ばかりでないことも承知はしています。つらいけど)

 中学から大学までの友人。利害関係なく、とにかく味方になってくれる。

 同僚や先輩。同じような学問のバックグラウンドがあった上で、認め、信頼し、味方になってくれる人たち。

 そういった味方がいないとつらいですよね。


 西浦先生は、1月の段階で香港大学時代の同僚たちの動きから「来るぞ」と直感し、自主的に論文調査などを始められています。

 で東京に呼ばれるわけですが、まずはダイヤモンド・プリンセス号の下船オペレーションに取り組んでおられます。

 その最中、2月18日に岩田健太郎先生の告発があり、西浦先生は「残念」と書いておられますが、私はあれも必要であったのではないかな、と思います。

 それをきっかけに、政府の現場責任者であった橋本岳厚生労働副大臣が、反論のために発表した写真(現在は削除されている)が、岩田先生の言説を強力に支持する結果になりました。

「未曾有の事態だった」、クルーズ船対応の橋本副大臣が会見

 変な話、2009年のドラマ「JIN ー 仁」でコレラ発生の時に描かれていたゾーニングすらできていなかったのではないか、と思われましたから。(龍馬さんは仁先生が縄で区切ったレッドゾーンから出て行く時に、仁先生の指示で服を脱いで行きました)

 この事件が無かったら、後の報告でも「厚生労働省はよく頑張って(頑張られたことは事実)なんとかうまくいきました」で終わっていたと思います。

 このあたり、私の勤務していた養護学校(特別支援学校)で体育祭や文化祭の後の「反省会」において「いろいろたいへんだったけど(何人かのお子さんは非常な苦しみの中に居続けさせられたりする)、我々も頑張り(頑張ったのは事実。ただし適切な対処を考えてはいない)うまくいった(何人かのお子さんの苦しみは無視される)」ということで終わり、何も改善されていかなかったということを思い出します。

 「頑張った」ことは認めてあげないといけないけれど、「頑張りの方向が間違っていた」ことに関しては、少なくとも記録に残し、次の事態への改善につなげないといけませんもんね。

 この事件のおかげで、各現場の責任者さんたちも、より意識することができるようになったのじゃないかな。




 調査のために使える形になったデータが無く、西浦先生たちがいろいろなデータを持ってきて、それを使えるようにまず整形する必要があったことが繰り返し出てきます。

 この新型コロナの大惨事があって、今後日本の中で統一された、研究に利用されやすいデータ記録法が統一されるだろうか?

 また、そのデータも公開されていて、誰でもが使えるようになっていたらいいのですが。

 これは教育分野も同じで、中室牧子先生も政策に反映させるような研究をしようとしても、データが無いというのを嘆かれていたと思います。


 4月15日に「何も対策をしなければ死者40万人」という話をされます。実際には西浦先生は40万人とは言われていないそうです。実際は「対策を全くとらなければ、国内で約85万人が重症化し、その半分が死亡する恐れがある」とおっしゃったとか。

 これは厚労省からも「死者数は言わないで下さい」とクギをさされていたこともあったからでしょう。

 で、これについて「データを出していない。データを独り占めしているのでは」「コードも出していない」と計算のできる方たちから大きな批判を浴びることになります。しかしこれも、もともときれいなデータが無い、あちこちから公開の許可をまだもらえていないデータもある、などの理由があったとのこと。

 また実際の被害が少なくてすんだ後、西浦先生を非難する声が大きくなりました。

 これも私にはわけがわからない。
 西浦先生の発表もあり、みんなが気をつけたから、というのはすごく大きいと思いますから。

 なお、4月15日に至る準備をしている時、西浦先生はかなり気持ちが弱っておられたよう。
 そんな時に、尊敬するお医者様からの信頼しているよ、というメールを見て涙を流されたこともあるとのことです。

忘れてはいけない大事なこと(西浦先生について)

 しかし、西浦先生がすごいな、と思うのは、リアルタイムで Twitter での発言を見てみると、西浦先生を批判する立場の計算をも西浦先生は歓迎しておられたこと。これは大事なことかもしれない・・・


 
 基本的に西浦先生は意思決定支援(Risk Informed Decision)の立場で発表したいと思われていたけれど、厚生労働省は父権主義(Paternalism)であったということも書かれています。これは地方自治体との現実的なやりとりのために仕方がない面はあるのだけれど、科学とは齟齬を来すことがあると。

 う〜〜ん、でもなあ・・・どのような厳しい予測が出たとしても、そこに基づいて「じゃあ今何ができるか」をそれぞれの現場で考えるためには、情報を公開していくしかないと思うけどなあ。



 なお、この本は初版発行が12月10日ですから、そのかなり前の時点でのまとめになると思います。

 第2波(3波?)の途中まで、年明けのオーバーシュートはまだ先のことです。
 ひょっとしたら、西浦先生は予感(というか計算による推定)はしてはったかもしませんが(そういう記事もいくつか見たような気がします)

 また、いつになるかはわかりませんが、その後のことを教えて頂けるとありがたいな、と思います。


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2021年01月26日のつぶやき


















































































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2021年01月24日

岩田健太郎先生の「誰でもできる研修医指導」を読んで学ぶ 2




第15回「多様性を大切にしよう」その1 より

病気で休む研修医に「あいつばかり楽をして」とムカついているという話に

楽なんてしてるもんか。他の研修医たちが十全な研修を受けてどんどん成長しているのに、自分はその半分しか研修できていない。忸怩たる思いでいるかもしれないじゃないか。表面的な理解で休む研修医が「トクをしている」と思うのは間違いだ。だいたい、病気で仕事を休んで一番つらい思いをしているのは、症状のある当該研修医だ。健康に仕事している俺たちじゃない。

第16回「多様性を大切にしよう」その2 より

パフォーマンスが悪い研修医を歓迎しよう。そうすれば、他のパフォーマンスがイマイチの研修医も「ここなら俺たちの居場所がある」とやってくる可能性が高い。もし、パフォーマンスのよいスーパー研修医だけを歓迎し、できの悪い研修医お断り、にしたら、そのチームはどうなる?参入者がどんどん減っていき、先細りしていくだけだ。

 なるほどな。

 例えば教師って超人というか聖人というか、能力・人格スーパーな人が求められているようなところがあります。

 そして特別支援教育担当教師にしても、「特別支援教育担当教師はより知識・技術が高くなくてはいけないから大学で6年間学ぶようにしろ」という声があったり、現実には「指導力不足教師」だとか「高齢な教師が楽するために」だとか精神疾患があるという理由で回されてきてたりします。私はどちらも変だと思ってますが。(なお、私は精神疾患(ウツ)にもなったし、指導力不足であった時期もあります)

 ただ、後者の「ダメだから特別支援教育に回す」とされた先生方でも、歓迎し、力を発揮してもらったらいい実践ができる例も見てきています。

 あと「優秀な先生・管理職」が「現場の先生に言ったってやりよらん。勉強しよらん」と文句を言う場面にも遭遇していますが、「それってあなたの責任でしょう。気づいておられるなら。どうしたらやって下さるか、勉強して頂けるか考えるのがあなたの仕事では」と言うしかないな、と思ってしまいます。

 そのあたりはPBS(Positive Behavior Support Systems)が普及してくると良くなるのかな?


第17回「研修医の健康にも留意しよう」その1 より

スパルタも必ずしも悪くないんだけど、あまりやりすぎて、「高校卒業したらああいう練習したくない」になっちゃ、意味がない。持続して努力を続けられるようなメンタリティー、鬼の指導者が目を光らせていなくても自主的にトレーニングできる主体性こそ、大事にするべきなんだ。

 これですよね・・・
 自主的に学ぼうとできる主体性。
 主体性ってのはこちらがどうこうできることではないから、環境作りか。

 学ぶことのできる時間を作る。(勤務時間内で学べる。残業などしなくていい(ブラック環境でない))。
 外部で学ぶ、あるいは資格取得をするのに助成が出る。
 現場で教えてくれる人がいる。
 うまく実践できて楽しい。

 そのくらいのことが浮かんできますが。

第18回「研修医の健康にも留意しよう」その2 より

S「メンタルな問題についてはどうですか」
D「まあ、うつが多いんだけど、基本的には精神科医につないでしっかり治療してもらうしかないな。あれは長期戦だから、慌てないのが大事。長い人生、少しくらいの中断は気にしないのも大事だ」
S「先生のところでは、メンタルその他の問題で停滞している学生や研修医の「駆け込み寺」を作ってますよね」
D「うん、俺も昔メンタルを病んでたんだ。そのとき、恩師に同じように「居場所」を与えられてた。居場所があるってとても大事なんだよ。毎日通っても、たまに通ってもいいんだけど、存在する場所がある、存在が許されている場所が社会的に存在することが大切だ。あとは、停滞、中断、失敗を許容すること。繰り返すけど、長い人生なんだ。別の人生をやり直すのも全然悪くない。日本社会は失敗にとても不寛容なところがある。いいじゃないか、失敗くらい」

 ほんま「居場所」大事ですね・・・

第22回「言動は一貫させよう、ただし」その2 より

研修医と指導医では「見ている世界」が違うんだよ。研修医にはAとBが同じ胸痛に見えていても、指導医から見るとそれは異なる胸痛だ。Aは入院、心カテとなり、Bは外来フォローとなる。研修医には一貫性がないように見える。抗菌薬なんか典型的だな。研修医は馬鹿の一つ覚えで同じ抗菌薬ばかり出したがる。異なる患者の異なるところが、見えてないんだよ

 これ、自閉症のあるお子さんへの対応でも、「一般的な特性」と「個別の特性」について言えるな。

 初心者はインフォーマルなアセスメント(要するに観察)がまだよくわからないから、一般的な特性にのみ対応しようとする。いや、一般的な特性すら無視するか・・・で、目の前で「一般的な特性」「個別の特性」に基づいてうまく対応しても、何がどうなったのか見えていないことはよくある。だからこそ


そう。だから、大事なのは説明だ。こないだのAと、今日のBはどう違うのか、「指導医の見ている世界」を見ているような追体験をさせるんだ。細かく、丁寧に、しつこく、我々が「当たり前」と思っていることを説明するんだ。教育とは畢竟、手間ひまかけるってことなんだよ。

が必要になるんですよね。そして教える側も勉強し続けないと。

それに医学の世界はどんどん進歩する。今日読んだ論文で、これまでの診療態度が変わるなんてこともある。学問の世界では朝令暮改はOKなんだ。何十年も首尾一貫して同じことしかしない、ってのが間違った医療のあり方なんだ。

 例えば2020年のマスクに対する評価は、1月と12月では大きく変わりましたもんね。

第24回「がっかりさせてはならない」その2 より

研修医は常にベストを尽くしていると信じろ。なぜなら、彼らは常にベストを尽くしているからだ。自分なりに。もちろん、「ほんとうの意味では」まだベストを尽くせていない研修医もいる。しかし、それも「ベストの尽くし方がわからない」という意味での彼らの能力の限界なんだ。研修医は未熟だ。だから、彼らのベストを低く設定しろ。一所懸命がんばってる、その精神を評価しろ。アウトカムベースで研修医を評価するな。そんなのは医学教育オタクに任せておけばよい。アウトカムベースで研修医を評価すると、できのよい研修医だけが評価される病院になる。それは、教育学的には正しくても、間違った病院を生む。

 すごくよくわかります。自分なりに。
 
 しかし、何らかの形で評価というか、文字、あるいは数字にしないと他人に伝えることが難しいですよね。

 もう「そういうのはできない」と諦めるのか、何か方法はあるのか・・・

 患者さんが良い治療が受けられて、納得して満足で
 働いている研修医さんたちも良い治療ができて、納得して満足で

 放課後等デイサービスなら、お子さんたちが納得して満足で(苦痛なく、不安なく、混乱なく)
 スタッフさんたちも、納得して満足で(苦痛なく、不安なく、混乱なく)

 どうしたらできるかな。

posted by kingstone at 16:30| Comment(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする