のお二人が主人公とのことで是非とも読んでみたい本でした。
最澄の子供時代から始まります。
そして最澄が戒を授けられる(高級公務員となる)さいに当時の鎮護国家の仏教が王権と結びついて腐敗している様子も描かれています。
また人々が簡単に殺されていく様子も。
そうだったろうと思います。そしてそれはほとんどの人が食べていくのもたいへんな時代であったからこそ、というのもあるでしょう。
最澄が寺のメインストリームの出世コースを離れ、自分の仏教を追求するために山に籠もると弟子志願者(私度僧)がやってきて、集団ができていきますが、別に仏教を追求したい者ばかりでなく、食い詰め者(しかし当時のほとんどの人は食い詰め者ではなかったんだろうか)もやってくる様子が描かれています。
そして求道ではなく、ある意味、組織を維持し、いわば事務職を積極的に担おうとする者も表れます。
なかなか面白いです。
天台宗も真言宗も元は民衆のための仏教ではなく、鎮護国家の仏教だったと思いますが、特に天台宗は組織が大きくなって圧力団体にもなり、また怪しい人も周辺に増え、そしてそこから鎌倉仏教の祖師たちが輩出されていくというのが。
神戸市西区に如意輪寺があります。
元は千年ほど前にできたそうですが、「こんな山の中になぜこんなに立派なお寺が」と思ってしまいますが、今でこそ明石川から続く谷間の奥の辺鄙な地、と思ってしまいますが、当時は京の一部以外はみんな「辺鄙」な所だったのだろうな、と思います。
そして、なぜこんなところに人が集まってきたのか、というのも「食える」からなのでしょうね。
西洋、中東の修道院について書かれた
のアントニウスのところでの私の感想
"ここで大事だと思うのは、ローマの貴族にとっては質素な生活だとしても、当時のエジプトの農民にとっては当たり前の生活であった、という記述が後で出てくる。そうだろうなあ・・・食ってけるから人が集まる、という面が、大きくなる組織には必ずあると思うから"
posted by kingstone at 22:25|
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