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 あくまでも、私個人の意見です。

2020年10月27日

日本の浄土思想 平安時代(「一遍 捨聖の思想」桜井哲夫著より)




(注。この本に書かれていないことも、調べてメモしたりしています)

766〜822 最澄(天台宗)
804年入唐 805年帰国
774〜835 空海(真言宗)
804年入唐 806年帰国

794 平安遷都

794〜864 円仁 
唐にわたり法照(唐代の浄土僧。善導につながる)流の五会念仏を学び日本に伝えた。五会念仏は五種類の音調に基づく緩急交えた音楽的な念仏の称え方。
(もともと天台宗は声明も盛んだし、音楽的な、つまり当時の人がコンサートに参加したような気持ちになれるようなことをいろいろやってたんだろうな)
常行三昧が称名念仏となる。(不断念仏)

806 官符(官報みたいなもんかな?)に律、三論、法相、華厳に天台宗を加えることが出る。

822 最澄の死後、比叡山に戒壇が作られた
 いずれも根本は鎮護国家の宗教に変わりはなかった。しかし奈良時代に貴族や官僚に浄土思想が広がり、地方豪族にも求められ(流行り)た。地方豪族には、雑密系の遊行する密教僧がその役を果たした。

880〜964 延昌(第15第座主)
毎月15日、別時念仏(特定の期間を設けて不断念仏を行う)を始めた。

948 空也に大乗戒を授けた。

903?〜972 空也
922 尾張国分寺にて出家
在俗の修行者で土木工事など多くの社会事業を行なった。
称名念仏は葬送のためのものと思われ、はばかられるものだったのを、念仏者自身の往生の因となると説き、念仏を勧めた。

900年代の願生極楽往生の広がりについて、井上光貞はその先駆を
「10世紀の摂関期に疎外され没落し、無常観を深める社会層の中級・下級貴族」
に求めるが、異論もある。
 でも、「既得権を持っていて当然もっと権力的にも富の面でも上に行ける」と思っている人が、そうはいかない時に、もう来世に希望を託すしかなくなる、というのは私はなんか納得できるような気がするなあ。

964 勧学会。
天台宗の学生と僧侶の間で結成された運動。参加者に共通しているのが空也への思慕。

910?〜1007 性空
(書写山。姫路市。「ラストサムライ」や「駆け込み女と駆け出し男」のロケ地にもなっている。)

912〜985 良源(比叡山 横川)

942〜1017 源信
天台密教の恵心流の祖

985 「往生要集」(源信著)成立
天台の摩訶止観(瞑想法)を志向する

永承7年(1052年)には末法の時代に入ると考えられていた。
 これって、1999年の「ノストラダムスの大予言」が日本人に影響があったみたいに、僧や貴族には影響があったのかな?

1073〜1132 良忍(融通念仏。当時は大念仏と呼ばれていた)
大原別所(別所とは本寺を離れた僧の隠棲場所。聖や上人を中心とする信仰集団が結成されることもよくあった)

1095〜1143 覚鑁。高野山座主。鳥羽上皇の庇護を受け、大伝法院を建立。高野山を改革しようとしたが反対勢力に追われた。その後、根来寺を成立させていく。

1121〜1206 重源
真言宗の醍醐寺に入り、出家する。のち、浄土宗の開祖・法然に浄土教を学ぶ。
後に東大寺(奈良の大仏も)が焼け落ちた時、再建のための東大寺勧進職についた。
重源の同朋衆に仏師快慶もいた。


真言、止観は「行(修行)」として奥深く迷いやすい。
三論、法相は「教(理論)」として奥深く悟りがたい。
それに対して
「易行(やさしい行、念仏)」は・・・簡単?
ここらへんはややっこしい。


posted by kingstone at 21:58| Comment(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月26日のつぶやき










































































































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