惹句は
「政府がつぶそうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」
となっています。
2017年に起こった実話を元にしているようです。
モデルは
ステファン・ベナム(Stephane Benhamou)ブリュノのモデル
ダーウド・タトウ(Daoud Tatou)マリクのモデル
ダーウド・タトウ(Daoud Tatou)マリクのモデル
(すごいねえ。アルファベットの本名で検索をかけると記事がずらずら出てくる)
主演のヴァンサン・カッセルは「国家が破産する日」にも出ていた、というのでパンフレットを見てみたら、韓国に IMF の緊縮策を押し付けに来る IMF専務理事役で出てはりました。
ーーーーー ネタバレあり ーーーーー
本田秀夫先生が(字幕)セリフ監修、そしてパンフレットに解説文も書いてはります。
強度行動障害の人への支援も断らない、無認可(?)の入所施設を運営しているブリュノ。
施設を出て町中を走り回っている自閉症の方を八方手をつくして探し、確保し、しかし確保する現場では野次馬が集まってくるのを「離れて!」と制していたり、地下鉄に一人で乗っていて非常ベルを押してしまい停止させてしまった人を受け取りに行ったり、という冒頭部分からもうあるあるすぎて、笑っていいのか、泣いたらいいのかよくわからないことになりました。
その施設が監査を受けるという。いつもの自治体のではなく、厚生省じきじきに。上の話でもわかるように「危険」であったり「虐待をしている(確保の時は押さえつけてるし)」と思われたりしていて「安全でないから閉鎖させよう」という動きなわけですね。
マリクはたぶん移民やゲットー出身の、それこそ高等教育など受けることもできなかった、文を綴ることもたいへん、といった青年たちの就労支援をし、また障害を持った青年たちの外出支援(行動援護と言ってもいい)をしたりしている。
マリクのところの青年たち(男女とも)もブリュノのところで働いたりもしている。
二人は相棒なわけです。
で面白いのはブリュノは敬虔なユダヤ教徒であり、マリクはイスラム教徒。そしてブリュノの施設ではたくさんのイスラム教徒が働いており、また白人・黒人の軸で言えば黒人もたくさん働いている。
このあたり
に書かれているような現実を反映しているのだろうなあ、と思いました。
ところで本田先生はこんなことを書かれています。
支援者が、ちょっと離れてもいいだろう、と判断して離れているスキに大きなトラブルが起こったのですが、
わが国でちゃんと仕事をしている福祉施設の職員だったらあり得ない話だ。 |
と書かれています。これについては、マリクが青年たちに「時間を守れ」ということを口をすっぱくして何度も言わなければならいように、たぶん日本だったら小学校の段階で基本的に身につけられていることが身についていない青年たちを相手にしている、という面があるだろうな、と思います。
で、それに続けて
障害のある人たちの支援について研修を受けた職員なら、本作に出てくるトラブルの多くは技術で防げると思う。 |
と書かれていますが、それはどうだろう・・・
そういうことができている施設もあるだろうけれど、そうじゃないところも多いような気がしますが・・・
なお、やはりやりとりは「静かに」「礼儀正しく(相手を対等の人として)」いる部分は大きいのですが、やはり音声言語でのやりとりが主流で、それでうまくいっていない部分もちゃんと描かれていました。
病院の言語聴覚士(ST)さんが絵カードを並べてコミュニケーションをすることを教えている場面がありました(予告編を見て私は PECS をやっているのかと思ったのですが、PECS とは言い難い(指導の順序としては違うだろうと)ものではありました)。
で「レストランであなたと食事がしたい」とか伝えてるのが見えて、おお、と思ったのですが、あれは支援者さんがそのSTさんを誘ったもののようでした。
私は「フランスは精神分析が大きな力を持っていて、自閉症の人には暮らしにくい国だ」という話を聞いたことがあります。
でも少なくとも専門の病院には視覚支援の考え方は入ってきてるんだ。
でね、厚生労働省の監査官が「あの施設はダメだ」という証言を得たくて、保護者、マリク、専門病院の医師などにインタビューするのですが、全員から「あそこは断らずにちゃんとしてくれる(他のところは断りまくる)」というような意味のことを回答されます。
で、最後にブリュノに「あなたのところは無資格者も多いし、危険な事故も起きてるし(だからやめなさいみたいなニュアンスで)」というようなことを言われキレた(?)ブリュノは
「わかった。全員引き取ってくれ。かくかくのトラブルを起こすAも、しかじかのトラブルを起こすBも・・・」
と延々と言っていきます。
二人の監査官は顔を見合わすだけ・・・
これね・・・私は「制度外の支援」をしています。で、困難事例が私の元に持ち込まれるわけ。で、私が動き出すと「そんなことやっちゃいけない」とかめっちゃ非難されるフェーズがどこかで起きるのね。
私が現役の教師時代は、教師から。福祉の世界に入ったら私に賛成してくれる方が多くてびっくりすることになったのだけど、最近、制度外の支援での困難事例に対し、「今、ここに危機がある」時に緊急の動きをすると福祉の世界からもかなりの反対が出る。
私も最初から喧嘩腰ではなくて、あれこれ話すのだけど、最後にはキレてしまい
「わかった。じゃあ私は手を引く。そしたらあなたは責任をもってこの状況を解決してくれるのだな」
と啖呵を切ってしまう・・・
そういうと相手はぐーの音も出なくなり、結局、私がリスクこみでなんやかんややって、なんとか結果を出しているのだけど。
映画に戻ると、まあ2017年の危機は
「代替手段を提供できない」
という判断でお咎めなしになります。
(しかしお咎めでなく国(厚生省)は「ありがとうございます。私達が情けないばかりに無理なことをさせてしまってすいません」と言うべきところだよな)
(しかしお咎めでなく国(厚生省)は「ありがとうございます。私達が情けないばかりに無理なことをさせてしまってすいません」と言うべきところだよな)
で、今は制度がよくなりかけているとか。
ところで、
「英雄譚(感動的な話と言ってもいいかも)は戦争の時に一番多い」
という話があります。この映画のストーリーは感動的なのだけど、それだけフランスの状況が理不尽であったりしているのかもしれない。
で、もちろん問題は山積みだけれど、日本のましな部分もいろいろあるのかな、と思いました。