私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2020年08月12日

畏怖と賤視(日本の歴史をよみなおす(全) 網野善彦著 より)




第3章 畏怖と賤視

古代

7世紀後半に律令国家成立。

まじめに戸籍に登録しようとした。

その中で

廃疾 → 廃人と言っていいような重い病気の人、身体障害を持つ人
篤疾 → 非常に重い病気の人

他の人と一緒に記載。そして課役は賦課しないことになっており、介護者を決め介護せよ、という原則になっていた。

少なくとも建前では排除していない。

8世紀には全員登録というのが無理になってくる。

国家の規制力が弱まり、浮浪、逃亡する人が増えた。
(課役の負担が大きいため)

浮浪、逃亡する人への対策(救済)のために悲田院、施薬院が作られた。
悲田院出身者(子どもだったのか?児童擁護施設みたいなもん?)は成人後、平民の養子となったので、特段の差別はなかったよう。

9世紀には予算が無くなり、悲田院の人も稼がないといけないようになる。
そのさいに、鴨の河原の死体処理をさせたことがわかっている。
このあたりで平民の集団から離れることが始まったか。

また他の、官庁に所属していた手工業者を始めとした職能民は独自に集団を作って動き出さざるをえなくなる。遊女もそう。
(って、官って、時代が下ればお金が無くなって、やっていた施策が無理になる、って基本的な形なのかな?)

10世紀、11世紀には身寄りの無い人や重病人を官が支えるのはまったく無理になる。


一遍 1239 - 1289

天狗草紙 1296年制作

奥書により、1299年(正安1年)一遍の弟子にあたる聖戒が詞書を起草し、法眼の地位にあった画僧の円伊が絵を描いた。

一遍聖絵 非人の救済、非人の信仰
天狗草子 一遍を天狗とし、非人をこきおろす
(解説を読むと、諸宗の僧侶を天狗として笑っているよう)

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(中世の)貨幣と商業・金融(日本の歴史をよみなおす(全) 網野善彦著 より)




貨幣と商業・金融

 宋銭、12世紀から大量に輸入されるようになる。
(これって、中国で紙幣が主となって、貨幣があまり必要なくなったせいだ、って説がある)

 平清盛がたくさん輸入。

 ここで初めて銭が流通するようになった。

(この時、銭の病、というのが流行ったってことだけど、単純に人の交流が増えた、それで感染症が入ってきた、ってことだろうな)

 銭が大量に入ってくるとインフレになりそうなもんだけど、土地の価格を含めてむしろ安くなっているとのこと。これ、宋銭を輸入して、銭が流通するようになったけれど、必要量が入ってこずにデフレになった、ということじゃないかな?


 この14世紀前半に沈んだ船に勧進聖が乗っていた、とのこと。朝鮮半島で勧進していたのか、はたまた、勧進ではなく、貿易で利益を得る商業活動をしていたのか。後者かな?寄付を集めるだけでなく、利益を上げてそれを上納してもいいわけだし、

埋蔵銭 → 無主物

 呪術的な意味もあって埋めた、ということも考えてはるが、銀行の無い時代、タンス預金とするためには、埋めないと危なくてしかたなかったのでは、と単純に考えてしまうが・・・(もちろん網野さんもそこも考えてはる)

市 → 無縁

 それまで、物は人とくっついていた(贈与)。それが人から離れ、流通する場が市。

 利息。

 金融の起源は出挙(すいこ)?
 種籾を貸し出し、取り入れたあと5割り増しで返す。(公出挙)
 5割といっても籾だからそれほどの利率では無い。
 しかし私出挙の場合、「元本の10割以上とってはいけない」というお触れが何度も出ているということだから、もっと高い利率の私出挙が横行してたんだろうな。

 金融、商売、職人仕事、芸能は普通の人にはできないこととされ、神や仏の直属民である、という立場で姿を表す。

 神の直属民 → 神人(じにん、じんにん)

 仏の直属民 → 寄人(よりうど)

 天皇の直属民→ 供御人(くごにん)

 また市から市へ遍歴していた。
 こうした人は「聖なるもの」とされていて、それなりに地位が高かったようなのだが、後年(?)世俗的になり、差別される存在となる。(いや、それとも地位は高くとも最初から差別されていたのか?特権を持つ存在だから、他の人からの嫉妬を買う?)


 鎌倉新仏教は社会的な活動をする。

 律宗。叡尊、忍性。
 勧進(寄付金集め)だけでなく、手工業者、職人も組織している。
 宋人の石工とも関わりを持ち、寺社造営の時に協力。
 (って、行基上人や、行基集団もそうやったろうな)

 禅僧も貿易や芸能に関わる。
 絵画、茶道、築庭、能楽・・・
 室町時代には「荘主(しょうす)」として荘園経営も。
(これは、寺組織の経営のために、組織としての動き、計算などできたってことやろな。禅宗は典座教訓に見られるように、実務も重視してたし)

「無縁所」となった寺
禅宗、日蓮宗、おそらく律宗寺院ではなかったかという寺、浄土宗、時宗の系統
(浄土真宗は? → 後ろに出てきた)
土地の所領をあまり持たず、氏寺でなく、金融と勧進で経営していた。

浄土真宗は寺、道場の周辺を区画して寺内町(じないちょう)を作り、これを「聖地」として商工業者を集める。そして「志」という寄付金で寺を維持。(無縁所と同じ構図)

 しかし、日本の場合、生活の規範(というか縛るもの)としての宗教は、キリスト教を含め16世紀から17世紀の大弾圧(及び懐柔やろな)により、独自の力を持てなくなった。

 なお、江戸時代も両替商を始め、金融業者に対しては賤視があった。
(って、このあたり、金融で儲けたユダヤ人が非ユダヤ人から賤視された、っていうのとも近いか)

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2020年08月11日のつぶやき






































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2020年08月11日

文字について (日本の歴史をよみなおす(全) 網野善彦著 より)




 ただし、「古い部分も」と書かれていた。後書きの日付1995年の12月3日。25年前・・・そりゃ古い部分も出てくるだろうな。

第1章 文字について

 網野さん、各地の古文書を史料として読みはるわけですが、日本全国どこのでもだいたい読める、と。ところが話し言葉になると各地の方言があって理解できない地方も多い、と。

 なるほどなあ。

 標準語というか、お手本としての中国語があり、それをまねて文を作り、かつ行政文書は一定の形式を踏まえさせられるから、そうなるのかな。

 中世は仮名まじり文書が増えてくる。しかしその仮名は圧倒的にひらがなで、カタカナは少ない。カタカナはどういう用途で使われたかというと、口語の書き写し(ってか音を書きつける、という感じか)。

 なるほど。だから、ヨーロッパから来た人の言葉(単語)はカタカナで書かれることが多いのかな。

 しかし明治になるととたんにカタカナが法律と軍隊で多用されるようになったんだって。学校でも最初はカタカナ。でも庶民が使うのは圧倒的にひらがな。

 なんでそうなるんだろう?(いや、ひらがなが使いやすい、というのはその通りだと思うのだけど、学校でカタカナから教えられても、やっぱりひらがなを使う、ってのが面白いな、と)

posted by kingstone at 23:03| Comment(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月10日のつぶやき
































































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