「泣くな研修医」の方、感想を上げ損ねてましたね。
今日「逃げるな新人外科医」を買ってきて、置くあたわず、読み終えてしまいました。
後半、ずっと泣きっぱなしでした。
大学教育を終えた雨野が研修医となったのが「泣くな研修医」、研修を終え専門を外科と定めて新人外科医(同じ病院だけど)となった3年目が「逃げるな新人外科医」
大学教育6年間で座学はたくさん、実習も少しはやってきただろうけれど、本当に「何をやっていいかわからない」「やっても失敗する」という情けない状態、迷いながらやる情景がこれでもか、と描かれています。
そしてご本人は迷いながらなのだけど、先輩のOJTを受けて着実に実力をつけていっているようすも。
しかし・・・お医者様、特に外科は、患者さんが目の前に現れてから、下手をすると非常に早い時間のうちに取り返しのつかない地点にいってしまうから、たいへん・・・
特別支援教育はどうだろう。
もちろん「医療」と「教育」と「福祉」は重なる部分があっても重ならない部分のほうがはるかに大きい。
で、「教育」だと、「医療」とは違って、時間はそんなに素早くあれこれやらなくていい。
でもな、6・3・3の12年の長い時間をかけて、ご本人も家族もぼろぼろにしていってる例もあるんじゃないかな。
例えば2020年7月17日にこんな事件がありました。
「母親(中略)を逮捕した。同署によると、「障害のある子どもの介護に疲れた。数年前から、物を投げたりして暴れるようになった」と容疑を認めているという。(中略)総合支援学校高等部2年の長男(17)の首を絞めて殺害した疑い。」
10年は特別支援教育を受けてきてるよね。
まあ「教育」には「医療」における「標準治療」みたいな「標準的な関わり方」は無いのだけど、しかしなあ・・・
教えられる先輩もなかなかいないし・・・
先生方が一生懸命なのは認めてるんです。
で、結果がこれなら「何か間違っているんじゃないか」と根本的なところから考えることが必要なんじゃないかなあ・・・
「いやそんなことないよ。特別支援学校の教育はこんなに素晴らしくなってるよ」という反論をお聞きしたいが・・・
(「いや、こんなに楽しく学校生活を送ってますよ」というのはいろいろあるかも。しかし、高等部でその学校生活、「1対7」で十分に成立するようにしてはります?1対2や、1対3でないと無理というなら、それは間違ってると思う)