私の関わりのある法人
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 あくまでも、私個人の意見です。

2019年11月04日

国境を超えたスクラム 山川徹著




「Number ラグビー日本代表超入門」の中で、リーチ・マイケル主将は、インタビューで

「日本代表に外国出身選手が多いのはなぜでしょう」

という問いに

「それが今の日本だからです」

と即答したそう。

「僕が15年前に日本(の札幌山の手高校)に来た時にはそんなことはなかった。まだ外国人は珍しかった」

 今ではたくさんの外国人が街にいる。

「だから、ラグビー日本代表の姿は日本の現実だし、未来の姿を先取りしている。ダイバーシティ(多様性)の大切さを社会にアピールできる存在なんです」

 そうやろなあ。


 このワールドカップ中に「見ろ。日本も必勝の精神があれば勝てる」などという Twitter のツイートを見かけましたが、外国出身選手の物理的な体の大きさ速さ、そして100日以上合宿できる資金、良いHCを外国から呼べる資金、など物量があってのことだ、ということを認識した上でないといかんよなあ、と思います。


「国境を超えたスクラム」より

 1984年にホポイ(トンガ。当時大東文化大4年)がラグビー日本代表になり、1985年にノフォムリ(トンガ。当時東京三洋)が日本代表になった。

 当時の日比野監督によると「一切反対は無かった」

 ホポイやノフォムリは、「体育会の文化」に風穴を開けた。

 ノフォリムの言葉「年上の人間が下仕事をするべきなんだ」(今の帝京大学みたいですね)

 1985 大東大に留学生としてラトゥとナモアが入ってくる。

大東大ラグビー大学選手権優勝  1968※,1985※,1999

しかし「とびぬけて強い助っ人」と本人も周囲も見るようなチームは強くならない。
プレイヤー全員に役割のあるチームが強い。

ラトゥとノホムリが出てます。
「ラグビーテストマッチ 日本 vs スコットランド 平成元年5月28日」


1993 仙台育英高校にニュージーランドからの留学生、ブレデン・ニールソンがやってくる。

 当時一緒にプレーした人によると、「特に体が大きいわけでない」「特に足が速いわけではない」にもかかわたず、ボールを持つとするすると抜いていくことの驚いたと。

 これを嚆矢として、高校生留学生は増えて行ったが「助っ人で強くしようとしている」「勝利主義」など批判的に見る人が多かった。審判が厳しくとるとか。

 しかし少しずつ日本全体で留学生が増えていく。

 その中でも「助っ人」という感じではなく「仲間」「チーム」になったところが強くなる。意外に留学生のいるチームはいいところまで行っても花園優勝はできていない。

 ニールソンは力を見れば高校日本代表に選ばれておかしくなかったが、「高校日本代表に外国人はふさわしくないのではないか」という声があり選ばれなかった。(1984年の日本代表ではそんなことなかったのにね。確かに高校あたりのほうが保守的な感じはするな)

 またその後も仙台育英や埼工大深谷にしか留学生がいない時代が続き、彼らに明らかに厳しい笛が吹かれた、と。それは「勝利至上主義で、きたない」みたいな意識がレフェリーにもあったのではないか。

 あと、トンガやニュージランドからの留学生と違うのは、今いろいろ関係が悪化している韓国の方だろうな。(例 キム・チョルオン(近鉄)、具智元(グ・ジォン。現日本代表))

 しかしお二人とも韓国でも仲間はみんな応援してくれている、と。

 なお、在日の方だと呉英吉(オ・ヨンギル)さんは大阪朝鮮高校を長年指導されていたが、なかなか花園の予選にも出してもらえなかった。

「1992年に大阪朝高が高体連に加盟することになったのですが、大阪の他校の先生方が率先して協力してくれました。「大阪朝高の生徒らも、同じように日本で生まれて頑張ってるんだから、一緒にやったらええやんけ」と。定期券も初めて学割になったんです。」

 私がネタキリから初めて遠出(ってたいしたことないですけど)したのは、2011年「大阪朝鮮VS黄金世代選抜」を関西学院大学グランドに見に行った時です。

 この試合、正月の花園で大阪朝鮮高校は優勝候補だったのにも関わらず、権裕人(コン・ユイン=3年)選手が試合中脳震盪を起こし後の試合に出られなくなり、準決勝で桐蔭学園(松島幸太郎君がいた)に負けてしまったのですね。

 そこで呉監督がいろいろな学校に声をかけ賛同を得て開催したものです。

 楽しい試合でした。

 なお、松島幸太郎選手にも声はかかっていたのですが、当日は来れなかったですね。期待してたんだけどな。





プロ化について

 日比野さんは、アマチュア精神を大事にしたい派で、最初のW杯後の日本代表監督になった時、外国の方から「日本は未だにアマチュアリズムにこだわっているのか」と笑われた経験がある。

 日本がプロに門戸を開くオープン化に舵を切ったのは1995年の歴史的敗北(NZに17-145と。1試合最多失点の大会記録)をしたため。アマチュアリズムに固執したために、世界との差が大きく開いてしまった。

 しかし、プロということではなくても、当時、バブルの余韻のあった時代、各国の経済格差から例えばニュージランド選手が日本の会社で年収700万円で契約、というのは合理性もあった。

 しかし、Jリーグを作ったサッカーと比べてみても、「観客数の減少」「競技人口の減少」「競技力の減少」が起きていた。

 まあ、だから2019年夏に放映された「ノーサイドゲーム」の中の観客減少対策や、プロ化の論争は25年ほど前の話やね。


posted by kingstone at 05:57| Comment(0) | ラグビー・スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月03日のつぶやき




























































































posted by kingstone at 00:01| Comment(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする