京都学派という言葉は聞いたことはあったけれども、どういうものかは知りませんでした。「物語『京都学派』」を読んでから、このWikipediaを読むとよくまとまっているな、と思いますね。
西田幾多郎から始まり、田辺元などに続いていく、京大哲学科を中心とした人脈について言われることが多い、と。
また、戦時中は海軍との関係が深くなった。ただし当時の陸軍のイケイケの状況からすれば、実は歯止めになろうとする意志もあったと。まあ無力だったのだけど。
有名な「近代の超克」という座談会では「日本精神」を称揚する小林秀雄、河上徹太郎、林房雄などに対して下村寅太郎は「機械も精神が作った物」として反論している(で特に太平洋戦争では機械、物量の差によって敗けるわけだよね)。
まあ、でも敗戦後、海軍とかに関わっていた人たちは公職追放や教職追放(2つは違うものとのこと)になるわけだけど、その時、東大は和辻哲郎を守ったのに対し、京大では「戦争に協力したかどうか」より、内部人事の足の引っ張り合いでどんどん追放してしまったみたい・・・やーねえ・・・
なお、田辺元と野上弥生子の恋愛とかもあったのね。しかし、死別した奥様やお手伝いさんには完全なDV夫、モラハラ男だったみたいだけど、野上弥生子さんに対してはどうだったのだろうか・・・